関ジャニ∞と過ごした日のこと


今日で関ジャニ∞という名前が変わってしまうらしい。
すばる君がいなくなったあの年、頑張る自担の姿を見ていられなくてeighterと名乗れなくなってしまったわたしが、何を、今さら。と自分でも思うけれど、それでもやっぱり言葉に残しておきたいと、ビールを片手にアルコールに支配された脳で文字を打っています。

初めてジャニーズを好きになったのは嵐だった。
でも、初めてライブに行ったジャニーズは関ジャニ∞だった。
いつだったんだろう、何がキッカケだったんだろう。
もう十数年も前の話で、あまり記憶が定かじゃないのが残念なのだけれど。

あの当時、丸山君が生きる理由だった。大袈裟じゃなく。

人生で1番しんどかった社会人時代。
朝6時に家を出て、帰ってくるのは翌朝3時。実家にいるはずが平日は両親と会わない日も多くて。寝ても覚めても仕事、土日も持ち帰りの仕事、繁忙期は27連勤、それも全てサービス残業。20時間働いても手取り14万円で生きていたあの頃。夜中に原因不明の高熱が出るので解熱剤が手放せず、精神的にも肉体的もボロボロになりながらそれでも正気を保って生きていたのは、関ジャニ∞がいたからだと、今でも思う。丸山君が好きだったから、関ジャニ∞がいたから。楽しかったから。あの、ライブで会えるあの時間があったから、わたしは生きていた。死ねない、と思っていた。人間でいられた。丸山君が、いたから。関ジャニ∞がいたから。

住んでる場所も年齢も育った環境も違うのに、「関ジャニ∞が好き」という共通点だけで友だちがたくさんできた。もう出会ってから何年も経つのに、まだ仲良くしてくれてる友だちもいる。なんなら8年前に名古屋ドームで「初めましてー!」ってした子とルームシェアまでしてるよ、今。お互いの共通点、8年前に「関ジャニ∞が好き」というだけよ。そんなこと生きていてある?奇跡。

数あるアイドルグループの中で、あの時関ジャニ∞を好きにならなかったら出会わなかった出会いがたくさんある。

そんなわたしの人生の中にいる関ジャニ∞の名前が変わってしまうらしい。なんで、どうして、彼らが何をしたっていうの。もちろんその気持ちは消えないわけだけれど。彼らの決めた覚悟を、今の彼らを応援している人たちの想いを、わたしなんかが同列で語っていいわけがない。

だけど言わせてほしい、寂しいと。悲しいと。
そしてありがとう、と。

関ジャニ∞を、その名前で彩られた思い出を、宝箱にいれて。
新しい名前を背負う彼らの未来がどうか、明るいものでありますようにと願って。




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