見出し画像

私も野菜を捨てられない

一人暮らしをしていた時、食べ残しをよく腐らせていた

最近は実家に住まわせてもらっているので、食べ終わっていない途中の皿を捕まえて母が「まだこれ食べるの?食べないの?」と2択を突きつけて来る。

それでも私は、「うーーーん笑」と濁した返事でどちらとも答えない。
大抵母が今までの統計から今回の行動を予測して冷蔵庫にしまったりしてくれる。

この2択を突きつけられた時、私はなぜかどちらと決めることが出来ない。なんなら食べるから置いといてと言ったくせにその後1回もその皿に触れずに自室に籠る。

実家で皿に入った調理済みのものが腐るところなど見たことがないが、一人暮らしの家では散見された。
冷蔵庫の中でも、腐ってはいないけどもう食べたくないなという痛み方をした野菜をみて(もうこれ食べないな)と思っても、その時に捨てることが何故かできない。なぜならまだ腐っていないから。冷蔵庫の中でもっと致命的な腐り具合に育つまで勿体なくて捨てられない。どうせ食べないのにね。

私は、途中で決断することが苦手だ

というか、もうおなかいっぱいで食べないとしても、腐った野菜にしても、もうだめだと分かっている関係性でも、捨てるのが嫌なんだと思う。
自分で捨てるのは嫌だから完全に腐ってダメになるまで待つ。そうしたら自分のせいじゃないから。自分の意思とは関係なく捨てていい免罪符ができるから

責任感がなさすぎるね

彩瀬まるさんの「あの人は蜘蛛を潰せない」という小説で、蜘蛛の始末を付けられないおじさんが、若い女の子と心中をしに消えてしまうシーンがあった。ただそのおじさんには奥さんがいて、奥さんはおじさんが帰ってくると確信していた。なぜなら3回目だから。今までも若い女の子と嘘の話に酔って心中未遂をして中途半端に帰って来ていた。おじさんが働いていた薬局の店長に向かって奥さんは「あんなに弱い人が生きられるなんて私の傍しかないんです」と言った。

このおじさんは、自分の始末も蜘蛛の始末も付けられなかった。薬局に蜘蛛が出た時、潰すのは可哀想で嫌だけど逃がすのは掴むのが気持ち悪くて出来なかった。奥さんと一生過ごす覚悟はないけど女の子と死ぬ覚悟も全くない。刺激が欲しいのか安定が好きなのか、よく分からない人だった

この人は平たく言えば責任感がないんだと思う。
自分がなにか決める時にリスクを負うことを嫌がる性質。自分にもそういうところがある。
人と付き合う上で少しのトラブルで逃げたくなるが衝突する勇気も何も無い。責任を取るべきことをやらかしても責任を取ったことがない。

いつかできるだろうか。野菜を捨てる時期を自分で決め、自分の人生を自分で決め、人の人生に責任を持つことが

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?