ありがたリアルメモ(誤解のループ)

他人を褒めると 他人は嫌な顔を向ける

ひどい時は 怒ってくる。

それに その光景に まんまと 信じ込み

褒めたら 嫌なんだ。だめなんだ。嬉しくないんだ。

と受け止め 認識して

褒めるのは あくだと 理解する。

それだったら 逆がいいんだと認識して

他人を責めてみる

そしたら今度は 笑顔がかえってくる。

それにまんまと 信じ込んでしまった。

責めたら 喜ばれるのだと。

責めることは いいことなのだと。

なので、違和感を感じつつ

褒めたいのに 責めるようになる。

褒めれば よかったのに。

すべてうまくいってたのに。

逆に

褒められると 自分も 嫌な顔になり

責めたり 怒りたくなってくる。

それか、ほほを赤らめて はずさをかくそうと

花の穴がひろがり 怒り口調になる。

ほんとは嬉しくてしかたがないのに。

自分もそうだ。

なんで怒るんだ。喜べよ。ではなく

自分の立場で考え 相手の立場で理解向けると

おのずと怒りはおさまり 許せる。

そして、そうだったんだなと悟る。

誤解がすべてをおかしくする。

褒めている時は 相手もさまざまな事情があり

うまく嬉しさや喜びを表現することができず

そして照れ隠しなどで

どうしても素直になれなくて、喜びや感謝の気持ちを

あらわにできない。

あたりまえだよね。

そうゆうあたりまえの向け方が大事だった。

相手視点になってあげると 

怒りもおさまり

むしろ 愛おしくも感じるものだなと

実体験から 感じられた。

自分にとってはかなりでかい勘違いの認識と理解。

あらためはなにより大事で感謝しかない。

あとは、他人からむけられる

自分への態度だ。

話しかけるだけで いい顔はされない。

それはなぜだったのかも 理解できた。

相手の視点にたてば 理解をあらためられる。

見た目では 認識できない

領域に 理解をむけようとしてあげれば

すべてはひっくりかえる。

相手は、緊張してるだけ。

照れてるだけ。

緊張や照れや喜びを隠すために

逆の怒りや無関心などを

よそおっているだけ。

それか、ただみえていないか、、。

むけようとしてあげれば

全く違う 感情がうまれる。

まわりは 怒っているのに

ひとり 笑い。

まわりは笑っているのに。

怒っている。

そんな感覚に戻れるんだなと感じられた。

そこで大事なことが

自分はおかしい、と感じる感情だ。

たしかに おかしいのだけれど

俗にいう 変人のことではない。

ということにも 自分で理解し

前をむいていくことが大事だなと感じられた。

これまで見た目からあらわれる態度や表情

言葉だけの視点で 判断して 理解をしてきたが

それではなく

そのでている うらの 事情の深い部分の事情を

理解をむけようと実行することで

自分もおおきな勘違いに 気づけるし

なんといっても 他人を救うことができる。

無意識にだ。

なにが大事ってこれだけなんじゃないのかなと

またあらためて思う。

脳ってほんと大事。

脳が発達してないと

それもしたくてもできない。

できなかった。

脳がほどほど健全な人がほんとに羨ましいなと感じる。

肉体ぶち壊れると

他人にあたえたくても

それもできなくなる。

それをも遮断される。

とても素晴らしいおこないを閉ざされる

苦しみはひかりしれない。

相手を 人を幸せにしたいのに

それもしたくてもできない。

そんな歯痒さをいたいほど味わえた。

これからはぞんぶんにしていきたいと思う。

いやというほど 少しずつね。

ありがとう。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?