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父・瀬戸口清文のこと|みみ

メリークリスマス!
今年は例年とは違う雰囲気でのクリスマスでしたね。
わが家は娘が生まれて初めてのクリスマス。特別なことはしていないけれど、子どもの頃のわくわくを思い出して楽しい日になりました。

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▲サンタさんからのプレゼントは、『こんとあき』のこんのぬいぐるみ

前回のnoteでお知らせした絵本『そしておめでとう』(ニジノ絵本屋)が、いよいよ一か月後には発売しています。
企画出しから約3年。発売まで辿り着けることが本当にうれしいです。

今回は、詩を書いた父・瀬戸口清文について書いてみようと思います。(2018年3月に他界しています)

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父は、NHK「おかあさんといっしょ」で体操のお兄さんをしていました。1974年から13年間務め、体操は「地球をどんどん」~「ようじ体操・スイッチオン」~「パラランたいそう」~「コケコッコたいそう」~「ぞうさんのあくび」を担当したそうです。

私は父が番組卒業後に生まれたので、現役時代の父を知りません。

私が知っている父と言えば…

鹿児島県生まれのザ・九州男児。私が中学生の頃、父にリビングに呼ばれて「究極の愛の歌だよ」と言われ聞かされたのが、さだまさしさんの「関白宣言」でした(笑)
母に対して亭主関白だったというわけではありませんが、今思うと、そのやり取りを見ていた母はさぞかし複雑な気持ちだったのではと思います。。

それから、仕事好きの仕事人間でした。
早朝の家族が寝ている時間から仕事をはじめ、夜中にアイディアが浮かぶと起きてメモをする。
朝早くから足音で起こされて、年頃の私はムッとしていました。今となっては忘れられない、恋しい足音です。

体操のお兄さんとしての父は見ることができませんでしたが、運動あそびを保育士さんに教える講師としてステージに立つ姿は何度も見てきました。

高校生になってからは、父がステージに現れると鳥肌が立って、毎回ちょっと泣きそうになりました。
その感動を言葉できちんと伝えられなかったのが悔やまれますが、ステージに出てきてから会場にいる先生方の心をつかむ空気が凄くて、全身で感動していたんだなと思います。

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▲リハーサル風景

そんな父を素直に尊敬することができはじめたのは、私がおむすびひろばを結成したときくらい。ほんの4年前です。

おむすびひろばのお披露目会に、父が見に来てくれました。
何を言われるかとドキドキ緊張し、照れくささもありながら帰宅すると、父から先に話してくれました。

「テクニックだけあってもプロにはなれない。心があってこそということを、忘れるなよ。今日はふたりの”心”が感じられてよかった。」

そう言って手渡されたメモには「Technique/Mind=Professional」と書かれていました。
この言葉は、今でも大切にして活動の軸にしています。

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それから数回、おむすびひろばを見たり仕事を作ってくれたりしました。
(実は、おむすびひろばがテーマソングとして歌っている「ピクニック・マーチ」の替え歌は、父が監修してくれました。)

その頃の父からの評価は「素人に毛が生えたレベル」だったのですが、その評価のまま他界してしまいました。
今見てもらったら、どんな評価をされるでしょう。せめて毛が2本くらいにはなっていると良いのですが…。

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▲イベント告知チラシのために、友人の絵描きhitomi horioに描いてもらいました

年頃の私は、仕事人間だった父とはそれほど上手に会話ができていなかったように思います。
同じ”ステージに立つ人”になってから、やっと話したいことがたくさん出てきました。

ただそう思ったときには時遅く。聞きたいことや相談したいことが数多くありますが、もうできません。
父ならどうするかな?どんな風にステージに立ってたかな?と記憶をたぐりよせて、欠片を集めるかのように学んでいる最中です。

次回のnoteでは、卒園ソングとしての「そしておめでとう」について書きたいと思います。
ここまで読んでくださりありがとうございました。

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