2021.9.8

最近、私の心の内を写しているかのような曇天が続いている。

ただでさえ外に出るのが億劫になっていた中、普段は行かない様な、心做しか懐が寒さを感じる程度の飲食店へ足を運んだ。

どのくらい食べ進めた所だっただろうか、少し遠くの方から店員に対する客の怒号が聞こえた。

その時からだろう。それ迄気にも止めて居なかった、店員を急かす声や、明らかに忙しそうな場面で自分の注文を優先しようとする客の声が耳につくようになったのは。

私は無意識に彼らに対して、多分に憐れみを孕んだ目を向けていた。

最初、何故自分がそのような目をしているの分からなかったが、私は帰りの電車の中でようやくその答えに辿り着いた。

私は彼らの、自分の餌だけを欲して理性を欠く様を家畜と同じではないか、と考えていたのだ。

確かに三大欲求とはよく言ったもので、知性在りしと主張する人間でさえこの三つの欲求を満たそうとする時だけはそこらの獣畜生と同じレヴェルになる。

睡眠を摂る時、飯を食う時、セックスをする時。これらの状況下では、人間がまだ野生の獣だった頃の遺伝子の記憶、つまり本能でのみ動いているのだ。

それは私も例外ではない。

つまり私も、自分達に起きている現象を頭で理解しているだけの家畜人間にすぎないのだろう。


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