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自戒

 どうやら私は性格が悪いらしい。らしいというのは、自身の性格の悪さを他人に指摘されたことが何回もあるからである。個人的にはむしろ性格が良い方だと思っている。確かに歪んでいる部分もあるとは思うけれど、基本的には優しいし。性格の悪さを指摘されるたびに私は、自分の性格について考える。考えて、省みる、今までの行動を。その結果、大いに落ち込む。確かに私は性格がよくないかもしれない、倫理観がズレているかもしれない、器があまりにも小さすぎるかもしれない…。私がおもしろいと思うものは、大多数は不快に感じているのでは?なんて思ったりもして、もう誰ともしゃべれねぇや俺、ってなっていたりもする。
 が、二日も経てばそれら全てを忘れたかのように普通に生きている。だってそれら全部、すぐに直るものじゃないし。他人とは倫理観がちょっとズレているかもしれないけど、犯罪は悪いことだと認識出来ているし、社会生活が困難になるほど乖離してもいない。器は確かに小さくて、細かいことが気になったりもする。それでいて人間性もまだまだ未熟だけれども、社会性が全くないかと言われると、全然そんなことはない。なにより、私にもいいところはあるわけで。人は選ぶかもしれないが、私のことが好きな人だけ私と付き合ってくれたらいいと思う。
 こんな感じで開き直らないと、とてもじゃないけど生きていけないでしょう?こういうところが良くないのかもしれないけれど、そうやって生きていくしかないのです。


 なんで急にこんな話を始めたのか。それは、まさに先日、性格が悪いと言われたばかりだからである。


 私はとある女性と話していた。ひょんなことから私と同じアーティストが好きであることがわかり、そのアーティストについて話していた。そのアーティストの名前を、ここでは便宜上Aとする。話していくと、私と彼女はAの同じライブに参加していたことがわかった。
 そのライブでAは、喉の不調を訴えていた。Aはここ数日喉の調子がよくないようで、それ故、そのライブのセットリストはかなりおとなしめであった。そして実際、思うように声も出ていなかった。私は友人と2人でそのライブに参加したのだが、2人の感想は『なんかあんまりだったね』だった。私はこのライブ以前に本当はもうひとつ別の公演に参加する予定だったが、Aがコロナに罹患し、残念ながら中止となってしまった。楽しみにしていたライブに参加できなかったフラストレーションや、以前参加した別のライブのパフォーマンスがものすごいよかったことが重なり、上がりきった期待値を大幅に下回るパフォーマンスに、私は肩を落としたのであった。

 そのときのことを思い出し、私は彼女にありのまま自分の感想を告げた。正直がっかりしたと、プロなら自己管理きちんとしてくれよと、そう思ったことを、割とストレートな言葉で彼女に伝えた。すると、返ってきた言葉は私の想像だにしなかったものであった。

「うわ~、最低。性格めちゃくちゃ悪いんだね。」

 そんな風に捉えられるとは微塵も思っていなかった私は、彼女が放った言葉の意味がわからなかった。さらに彼女は続ける。

「体調が悪い人に対して、普通だったら心配するでしょ。」

 確かに。その発想はなかった。私の発言はあまりに自分本位であった。様々な要因が重なったこともあるが、Aの体調を思いやる心の余裕がなかった。素直に反省すべき点である。

 だがちょっと待ってほしい。では私が抱えたライブの感想はこの世に存在してはいけないものなのだろうか。少なくともこちらはお金を払って参加しているのである。友人なんて遥か遠くから飛行機に乗ってわざわざ来てくれたのだ。そのライブの感想は、性格悪いの一言で済まされてよいものなのか。相手の話を聞きながらそのことが頭をぐるぐる回り続けていた。

 そしてとどめの一撃が飛んできた。

「私お父さんに同じ目に遭わされたことあるからわかる!人の体調を思いやれない人は最低だよ!」

 彼女曰く、夜中に腹痛を訴えた際に、大嫌いな父親から「夜中に起こすな、大げさだろ」、といい加減な対応を受けたことがあるとのことであった。その時のことが未だに許せないらしく、今まで以上に語気を強めてこちらに怒りをぶつけてくる。性格が悪い、最低、信じられない、、、様々な棘のある言葉が私に向かって飛んできた。

 だが、このあたりで私は話を聞きながらずっと思っていた。

 それはなんかまたちょっと違うだろ!!!!!!

 確かに体調を思いやるという部分では共通しているかもしれない。だが、その2つを比較するには、関係性や場面設定があまりにも違いすぎる。そこを同列に扱っていいものなのだろうか。違うと思うの私だけ?この議題、突き詰めていくとその本質は思いやりに辿り着くのだろうか。そうといえばそうな気がするが、なんだかイマイチ腑に落ちない。
 まぁでもシンプルに父親、あんたの行動はよくないな。娘を傷つけただけでなく、その怒りは時を越えて全然知らん男に飛び火してるぞ。

 私は謝った。ごめんごめん、私がよくなかったと、そう訴え続けた。よく言えば明るく、悪く言えばヘラヘラしながら。そうするしかなかったのだ。このまま真剣に謝って、何が残るのだろう。葬式のような空気しか残らないのなら、努めて明るく振る舞うのが正解ではないか、私はそう思ったのである。が、今度はその態度を指摘され、さらなる追撃を受けた。どちらに進んでも終わり。あの不用意な発言をした時点で、私は詰んでいたのである。口は災いの元とはまさにこのこと、本当によくできた言葉である。

 え?本当に悪いと思ってたのかって?ほんとに思ってたよ。ほんとにね。今でも2割くらいは私が悪いと思ってるよ。うん。あ、やっぱ1割かも。
 まぁでも、いつもみたいに言い返さなかった自分に及第点はあげたい。


 思えば、最初から全く合わないタイプの人間だった。なんだか話していても会話がスムーズに進まないし、なんとなく肌で感じるノリも違った。全然面白くないところで笑うし、逆にこっちが笑って欲しい場面ではクスりともしない。面白いと見せられた動画なんてひとつも面白くなかったし、なにより、彼女はコムドットを見ていた。『コムドット好きそう』が一種のちくちく言葉になっているこの時代に、コムドットを好んで見るような人と初めて会った。そういうノリが好きなのだ。私はそういったノリが好きじゃない。感性があまりに違いすぎたのである。事実、彼女は前述のAのライブで泣いたらしい。確かに自分が泣くほど良かったライブを貶されたら、気分はよくないだろう。私と友人の共通見解を、外部の人間にもまるで当てはまるもののように言葉を投げかけてしまった。これはよくなかったと思う。が、いくら私が感想を抱いた経緯を知らなかったとしても、頭ごなしに否定されるのはシンプルに気分が良くないし、正直全然納得もいってない。

 正しいものさしをお持ちのみなさん、教えてください。私は性格が悪いですか。この場合、何が正しくて、何が間違っているのですか。



 もう寝る。彼女はそう言うと、ひとり先に寝てしまった。


 あーあ。せっかくラブホに来たっていうのに。


 その後たまたまテレビでやってたプロレス番組で見た、オカダカズチカvs内藤哲也の試合がその日のどんなことよりも面白かった。私の人生にはもう男だけいたらいいのかもしれない。やっぱり、仲良くない人と一緒にいる時間って苦痛だ。これから先あらゆる場面で、多くの人と付き合いを持つのは私には無理だろうと、そう思った夜だった。

 それからの地獄のような時間の顛末は、とてもじゃないけどみなさんに見てもらうようなものじゃないので書かないでおこうと思います。見た人を不快にしかねないので。個人的にはこちらの方が、純度100%の私の悪いところが出た、不穏なひとときでありました。

 今回このことについて書いたのは、タイトルの通り自戒のためである。皆さんもよくなかったことは素直に認めて、よりよい自分になっていきましょう。自分本位な言動をしてしまった自分を省みるきっかけをくれた彼女にも一言、感謝を伝えたい。小さな気づきと、話のネタをありがとう。


 それではみなさま、ごきげんよう。




バイト前に、いえないを聴きながら


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