私が英語アレルギーになったわけ

国内大の入試にとことん失敗し、国外逃亡を余儀なくされ、やはり私は英語から逃れることができないのかと思い知った。英語は私にとって、コミュニケーションを取るための手段(道具)にしか過ぎず、正直英語を科目として捉えることにはいつも疑問を持っている。何となく、英語を使いこなしている?私だが、英語に対してはかなりコンプレックスを持っている。今回は、私が英語に対して嫌悪感を持つようになってしまったわけについて語っていきたい。

「5歳で脳の8割が完成するから脳のシワを増やさなくては」という母の思いから、私は2歳からインターナショナルスクールに通い所謂バイリンガル教育を受けてきた。(2歳から英語に触れているはずだがネイティブ並みに英語ができないことはいつも高額な幼稚園代を支払ってくれた両親に申し訳なく思っている....) 私は、毎日家に帰らないと駄々をこねるくらい幼稚園が大好きで、英語漬けの毎日を送っていた。(幼稚園が今までの人生の中で一番楽しかったと言っても過言ではない笑)恵まれた環境のおかげで、軽い小説なら読めるぐらい英語力が伸びていた。(幼稚園の頃が一番賢かったかも笑)

6歳で卒園すると、私は地元の公立小学校に入学した。夏には冷房、冬には暖房でぬくぬくと育った私は、あまりのギャップに驚かされた。(暑いので冷房つけませんかと担任の先生に尋ねクラス全員に大笑いされたのが懐かしい.....あるわけないやろ笑 扇風機1つでしのいでいた)隣の席の子に、「グルー(のり)貸して〜」と言い、クイズを出す時は「ゲス(guess) して!」と言い「〇〇ちゃんのbackpack(リュック)かわいいな!」と褒め、普通に考えて頭のちょっとおかしい子だったと思う。(ちょっとというかだいぶ)英語を話している時間が圧倒的多かったため、日本語が咄嗟に出てこなかったのだろう。(今でも日本語英語どちらも単語が出てこないことはよくある)

小1で何よりも苦労したのは平仮名の書き取りだ。アルファベットは当然のようにかけたのだが、平仮名が一向に覚えられなかった。「お」は「あ」に点を加える始末で間違えていることにも気づかず、どんどん新しい平仮名を創造していたのを思い出す。(笑)(クラスでも段を抜いて劣等生だったと思う)平仮名がまともにかけず、日本語と英語を織り交ぜて話していた私は当然クラスメイトには変な子にうつり(事実)少しいじめのような対象にされていた時期もあった。このこともあり、周りの目も気にせずばんばん発言するタイプだったが、日本の小学校ではそれは受け入れられないことを知り、内気な性格?に必然的に移行していった。

小3から英語の授業が始まり、唯一まともにできることだったので胸が踊った。(満点取れるまで一生続くタイプの漢字テストでは再×8までいき、私だけ満点取らなくても免除されるルールが出来上がっていた笑 多分諦められていた....)国語(日本語)はできなくても英語は周りよりできるという自信があった私は見返すつもりか授業に積極的に望んだ。しかし、ネイティブに寄せた発音で(発音良く)英語を話すと「海外にかぶれた痛いやつ」「自慢している」というレッテルをはられ仲良しグループからにハブられるようになった。人の目を気にしていないように見せかけて、人一倍他人の顔色を伺う性格の私は大変傷ついた。そして、絶対日本人の前で英語を話さないことを心に誓った。わざと、日本人が話す英語に近い発音で話すように心がけた。このせいで、発音はかなり衰えた。(当時の自分にやめるように言えるものなら言いたいくらいだ...) 正直、今でも英語は極力英語しか通じない人に話す時以外使いたくない。(一種のトラウマみたいなものだから笑)

6年間の日本語漬けの生活を送り日本語を使いこなせる?ように成長した。小学校では頭が悪いかつ悪ガキの劣等生だったが、「内申点」が重要になる中学では生まれ変わったように超絶真面目に人格を変えた。(笑) (後から中学の先生によると、めちゃ悪いやつがくるので要注意ですと小学校の先生から忠告されてたらしい爆笑)中学ではテニス部の副キャプと勉強、文武両道頑張った。小学校では再テスト王とあだ名がつくくらい超絶頭が悪かったが、中学では学年順位を争うくらいトップ層に君臨できたのは恐らく奇跡。(人はやればできるのだろう。)学校では、超絶真面目を取り繕い内申点は稼いでるどす黒い生徒を演じ、毎日学習塾に通った(塾にほぼ住んでた笑)おかげで良い成績と偏差値を獲得できた。だが、英語に対する嫌悪感は依然としてあった。偏差値を取るための英語(文法)とツールとしての英語は私にとって別次元。今でも文法は全く分からないので、英語は直感なので教えれない。(一番駄目なやつ)「発音が少し良い=学校の英語のテストで良い点だ取れる」というわけではない。元に私自身、受験用の英語は1から学んだ。しかし、そこを勘違いしている英語の先生の「学年1位取れて当たり前みたいな」無言の圧、授業で正しい発音を聞いてみましょうと振らるノリ、友達に英語喋ってと言われることに苦しんだ。(今考えたら馬鹿らしい笑)

ここまで、長々と英語アレルギーになった経緯について話してきたが、正直今でも英語はあまり好きじゃない。できるものなら、一生日本語だけで生活したいくらいだ。だけど、私自身英語からは逃れられないみたい。というわけで、どうせなら伸ばせるとこまで英語力を伸ばそうと思う。(仕方がない これが運命なんだろう)「さら 思ってん 〇〇を」と日本語でも英語の文法の順 (I think 〜) で話してしまうところから少なからず、英語に影響されてしまっているのは明らか。元々の思考回路は多分英語なんだろう。(多分)

最後に自分自身が受けてきたバイリンガル教育の是非について語って終わりたい。正直、本当の意味でのバイリンガルはほんの一握りだと私は思っている。バイリンガルと歌っている人は世の中に沢山いる。話せて、何となく使える程度はバイリンガルと呼べる資格はないと勝手に思っている。私自身、日本語でも言葉のチョイスがおかしいとよく言われる。(同じくバイリンガル教育を受けてきた人あるあるな気がする ちょっと日本語おかしいみたいな笑)同時に、英語もネイティブ並みに使いこなせるわけではない。つまり、私はセミリンガルなんだと思う。(バイリンガルに見えてセミリンガルの人は私以外にも沢山いると思う)母語が確立しないまま英語を同時に習ったことの負の遺産なのかもしれない。勿論、発音矯正、脳のシワを増やせる、英語に対する苦手意識をなくすなど幼少期に英語を習うことにはメリットは沢山あるとは思うが、バイリンガル教育が絶対良いとは思ってほしくない。私の時はなかったが、現在はインターナショナルスクールの中にも日本語の授業があり全く日本語ができないみたいなことにはならないと思うが、私のようにセミリンガルになる可能性もあることを念頭に入れておいて頂きたい。

終わりが見えなくなってしまったが、英語教育が重要視されている今、私は母語を鍛える方が重要だと思っている。「This is a pen. 」特に意味のない英語を使えて何になるのか?これは極論だが、英語が話せても中身のない内容だと意味がないと言いたいのだ。つまり、母語を鍛え、母語で思考する能力を養ってこそ英語が生きると思う。ネイティブみたいな発音で話せるけど中身ないことを話す人より、発音はあまり良くないけど中身のあることを話す人なら、断然後者に需要がある。中身のある話をする人は、私の経験上母語の運用能力が高い。(プロフェッショナル級)だから、まずは母語を鍛えるべきだと思う。(英語はツールにしか過ぎないのだから)後、英語話す時はハキハキ元気よくノリよくアメリカ人みたいに話さないといけない文化みたいなのも個人的に消したい笑。比較的おとなしい日本人が英語を話す時だけテンションを上げる必要はないのでは?おとなしい人ならおとなしく英語で話して良いと思う。日本語訛りの英語も全然ありだと思う。英語圏で話されている英語だけがすべてじゃない。かなり強いアクセントを持っている国でもみんな堂々と英語を話している。発音が悪いからともじもじしているのは多分日本人ぐらい。(私もそのうちの一人)国外逃亡決行の日までに、英語アレルギーを克服して、また堂々と英語で話せるようになりたい。そして、バイリンガルと言えるぐらい日本語英語ともに使いこなせるようになりたい。

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