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マネジメントができなかったんじゃなくて、「愛」がなかったんじゃないのかなと、今は思う

言わない優しさと、伝える愛。あるなと。


器用な優しさと、不器用な愛。あるなと。


じぶんは、不器用なヒトが、嫌いじゃない。


嫌いじゃないというか、むしろちょっと好き。なんでなんだろなーというところ、哲学してみた旅すがら、


気づいたことは、おれは「愛」に欠けてたんだなという話。ちょっと、ポエミーです。ご容赦。


いわないのはやさしく、いうのは愛だよな。


っていう言葉をnoteだったか、Twitterだったかで見つけて、じぶんは優しいかもだけど、愛はないよなと思わされた。


「ことなかれ」とか「波風たてない」とか「笑いでごまかす」とか、そっちよりだよなーと。


じぶんは、営業がけっこう強かったので、よく営業部長になるんですけど、マネジメントができないので、すぐ営業部長でなくなる。といった経歴をなんども経験してきてるのですが。。


マネジメントができないんじゃなくて、「愛」がなかったんじゃないのかなと、今は思う。


現状を変える。ちゃんと伝える。お金を稼ぐ。仕組みをつくる。仕組みを壊す。叱る。、、、愛のあるヒトは、「嫌われる覚悟」をそなえてるひとで、自分にはそれがなかった。。というのが、ほんとのところなのだろうなと、今は思う。


過去の彼女にふられる理由も、いまおもうと全部これなのだ。「愛」がないんだよな。


器用さはやさしさなのだけれども、あんがい、不器用なひとが、愛を放っているよな


じぶんが不器用なヒトが好きな理由は、不器用なひとが、自分に欠けてる、いわゆる愛を持ち合わせてることが、多いのからなのかもしれないな。


人類が、ホモ・サピエンスが、まだアフリカの一部にしか生息していなかった時代に、体も大きい腕力もつよい、他の人類がいるところに、突っ込んでいくネジの外れたホモ・サピエンスは、全員ADHD(多動性症候群)だったんじゃないかという、説があるw。


不器用は、破壊の源というか、進化の源というか、そういう側面、あるよなと。


波風が立たないようにすることは、「ことなかれ」なスタンスをとるということは、優しいことのかもしれないけれど、進化には関与しないのだろうな。

器用さは、ヒトを、世の中を変えうるかどうかっていう点でいうと、やはり弱くって、不器用さのほうが、破壊力を、そなえてるような、そんな気もしてる。


じぶんはけっこう、不器用な愛を、個に変化を、全体に進化を、放つヒトが好きだし、あこがれてる。でもでも、そういうひとは傷つきやすかったり、傷つけられやすい立ち位置にいるというか、波風をたててるわけだから、そらぁ風当たりは強いわけでw。

だからこそ、寄り添いたいし、応援したいし、分かってるよって、いいたい。てな気持ち


「いる」と「する」のはなし。


でもときに、つたえない言わない愛も、あるとはおもうのだ。こういうオーラは、一長一短で出せるものではないのだろうな。

そのひとが、「する」ではなくて「いる」をもとめてるときがあるよなと。

「ただただ、いる」が「いられる」が「いてもいい」が、必要なタイミングって、まーあるよね。


児童養護施設で働いていたからなのかもしれないのだけれども、「ただただ居られる」は心が出来上がる上で、めっちゃくちゃ重要なのだと、思う。


家庭に役割があるとするのなら、子どもの「する」を増やしてあげるとかではなくて、子どもの「いる」を用意するという、一点だろな。


「する」はネットと土を用意しときゃ、勝手にふえるよなきもする


態度や空気は「凪(なぎ)」
言葉や行動は「波風(なみかぜ)」


そんな感じのヒトになりたい。なんかの能力者みたいだなw

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