見出し画像

電気のことは電気屋さんにきこう。脱スピリチュアルの話

電気のことは電気屋さんにきこう
水道のことは水道屋さんにきこう
ただそれだけの話(ウソw)


じぶんはスピリチュアルにハマっていた
自分軸で
直感を大切に
人それぞれ


とか言っていた。でも辞めた。めっちゃ間違っていたらからだ。今そんな風に思ってる人向けに書いてみてる


現代天文学


昨日今日で、天文学の本を買いまくってしまったwこれからちゃんと勉強してく


アレキサンダー・ビレンキン博士「宇宙は無からはじまった。」


ジョージグリーンスタイン博士「われわれがすべての自然を眺めるとき、超自然的な存在の何かを認めざるをえない。われわれはその絶対者がいる証拠を発見してしまったのであろうか」


フレデリックバーハム博士「過去、100年の間になされた、神抜きの考え方よりも神が宇宙の創造に関わったという考え方のほうが、理にかなっていると、いわざるをえない」


エドワードハリソン博士「宇宙を調べると、神の証明になってしまう」これが、無目的につくられたものなのか、あるいは何かしらの目的をもって超自然的な存在により、つくられたものなのか。天文学者は2択をせまらえている」


宇宙が存在するための条件は34個あるらしい
生命が存在するための条件は77個あるらしい


たとえば具体的にいうと


電子の数(中性子の割合が一定でないといけない)10の37乗分の1の確率でないとすべての物質を構成している原子は成り立たないらしい


宇宙の拡張速度は遅すぎても早すぎても宇宙は成り立たないらしい。その絶妙な速度で一定に保たれている確率は10の55乗の1らしい


人を含めた生命は60億対の塩基対の組み合わせ出来ている。まったく同じ生命体が存在したことは過去に一度も起きていない。必ず一点物(オリジナル)をつくってきてる

天文学者や生命物理学者はいま、言葉通り天文学的確率の重ね合わせの存在を突きつけられている


そして彼らは、創造主の存在をもう認めざるをえないタイミングに差し掛かっている


学校で、現代天文学を教えることはあるのだろうか。たぶんないだろうw


何かしらの目的をもって誰かによってつくられたであろう可能性をみとめることはなく


確率論的にすでに否定されている無目的に自然淘汰的に自然発生的に地球は出来上がり、生命は存在しているという教えを、教え続けるだろう



ダーウィン(しらべると分かるけどゴリゴリの優生思想者だよ)、進化論、それらの仮説を、「真実」として世に拡める行為を、辞めないだろうな


餅は餅屋という話


あなたはネガティブとポジティブどっち派ですか?
あなたは他人軸な生き方と自分軸な生き方どっち派ですか?
あなたは支配された人生と自由な人生どっち派ですか?


ときかれて後者を選ばない人なんてたぶんいないw


DS(とその後ろにいる存在)が用意する2択のどちらかに、正解があった歴史は過去にひとつも見当たらない。といってもいいくらいw


2択どっちも誤誘導
美酒に一滴の遅効毒
仮説を強引に真実化
疑えない直感を洗脳
真を大量の嘘に隠す


そんなことばっかり、2000年繰り返してる🐍


そしていま現在は、政治不信と、医療不信と、他人不信を、メディアをつかって故意につくりだすことで、「信じられるのはけっきょく自分だ。自分の直感を信じよう。真実なんて人それぞれだ」という思考回路に、追い込んでいる


これをやっている理由はリベラル→リバタリアンへの世代交代、物質世界の支配から、精神世界への神になろうとしてる。というよな話になるんだけどこれはまた改めて


でも自分の直感なんてもんは、知識と経験で出来ており


その人の経験や知識なんてもんは、たかだか数十年働いたり、数年趣味にハマったり、数千冊読んだ程度で分かった気になり、あるいは強制的に子どものころに見せられた教科書や、家に帰って無意識に見せられたアニメや音楽、そんなもんで人は出来ている


それでもなお。餅は餅屋という話になるのだ


マイクは、マイクとしてつくられている。
マイクに乗って、高速道路に乗り込もうとしたら、止められるだろう


バイクは、バイクとしてつくられている。
バイクを持って、カラオケで歌おうとしてたら、止められるだろう


作られたもの(造作物)には目的と使い道。が存在してるのだ


あと作った人にきくのがいちばん確実なのだ


じぶんは前職がリフォーム屋だ(一応いまもw)


たとえば工事で「あれなんでこういう工事にしたんだろうな」って思うときがあったりする


めちゃくちゃ当たり前のことなんだけど、電気のことで分からないことがあれば電気屋さんに聞いて、電気屋さんにお願いするのだ


めちゃくちゃ当たり前のことなんだけど、水道のことで分からないことがあれば水道屋さんに聞いて、水道屋さんにお願いするのだ


作った人に、聞くのが確実なのだ


たとえば


「いや、じぶんはじぶんの直感を信じてます!水道工事の正解は自分の中にあります」


「ガス工事に、正解なんてないんですよ。人それぞれなんですよ」


「じぶんは直感力がすごいんです、答えが何となく分かるんです。電気屋さんよりも水道屋さんよりも、自分を信じてます!」


みたいな新人工事担当が現場に現れたら、各種業者さんに総スカンを食らうだろうw


そこでなのだ


科学はもう、創造主の存在を認めざるをえない


あなたやおれを作ったのは、どう考えても創造主なのだ。。いちばん大事な専門家を人類は忘れきってるののだw。地球をつくった人に、自分なるものをつくった人に、ちゃんと相談したほうがいいのだ👍


創造主がおれをつくった。「つくったのは創造主だ」という事実を認めるのであれば、つぎに出てくる疑問は、「あれ何の目的でつくられたんだろな」という素朴な疑問だ


そしてその目的を自分は知らない。知らないから、なんとか自分なりに、自分勝手に、考えてしまうんだけどねw。自分も含めてみんな


人にはそれぞれ、役割と目的がある。それは得意なことや好きなこと、性格や体格まで、1体たりとも被っていないという設計意図からみて、確実だ


マイクは、バイクではない
マイクは、マイクだし
バイクは、バイクだw


同じように、人は人なのだ


でも、作った人(まぁ人ではないw)に「なんで自分を作ったんですかね?」とちゃんと聞く人は、ほどんどいない


それどころか神様の前まで行くと「受験に合格したいです!」「あの人と結婚したいです!」「お金持ちになりたいです!」と願望をぶちまけて、叶えてくることを神に願っていたりするw


テレビやスピリチュアルは、世界は願えば変わる。現実は自分で変えられる。という教えを拡めてる。この思考回路に、創造主さんのアドバイスを受け取る。という謙虚さは見当たらない


ちゃんとちゃんと「わたしを作った目的ってなんですか?」ってきいてみたことがあるだろか、「今まで願望とかぶちまけ続けててごめんなさいm(_ _)m。わたしを作った目的ってけっきょくなんなのですか?」ってきいてみたら、なにか教えてくれるかもしれないよ



少なくとも「自分軸でありのままに感じるままに生きる(つくった人に相談することはしない。自分を信じる!わたしはわたしの直感をたよりに願望を実現してみせるわ!)」では、ぜったいにないよ


自分の直感を信じて生きるのではなく、創造主に「つくった目的はなんですかね?」と日々確認をしながら生きてみたほうが、あんがい軽やかな人生が送れるのかもしれないな


そしてそれが生まれた意味や目的・役割をまっとうするという、本来の人のあるべき生き方なのかもしれないな

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?