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泣く

何歳になってもお子は泣く。
3日に1度くらい泣く。
嬉し泣きというのはない。それはある程度大人にならないと備わらない感情表現なのか、かくいう私も「嬉し泣きの記憶」はほぼない。

思い出すのは「悔し泣きの記憶」である。

お子も8割が悔し泣き。
あと2割は、悲しい涙と怒ったときの涙が半々。

「◯◯ちゃんがやりたかったのに!」
「これどうしてできないの!」
怒りの言葉を口にするが、突き詰めれば「悔しい」から腹が立つ、の構造だ。

悔しさから苛立ちが生まれて、そして怒りの感情と一緒に爆発する。すごいエネルギーであり、見ているとなんだか「すごいな!」「感情を爆発させておる!」「いけいけー!」と自分の中の煽る感情が沸き立ってしまうがここでそんなこと言ったら収集がつかなくなるので、
「そうだよね、悔しかったよね、やりたい気持ちに気づいてあげられればよかったね、ごめんね」と共感・受け止め、そしてなだめる方向へと、母たるものを演じる。

落ち着き考えてたどり着く自分の本当の気持ちは「羨ましい」なんだろうなと。

悔しいことは山ほどある。
仕事でも家庭でも、自分が思い描くシナリオにハマらなく苛立ったり、
隣の芝生は青いのだと知っているのにやはり我が枯れた芝生を手に取り涙が滲んだり。
でもそんなのイチイチ表現しないし誰にも言えない。

入院する祖父との思い出が蘇る。
おじいちゃん子だった私に、母がおそらく最後となるかもしれない祖父との時間を用意してくれた。
街の代表的な飲み屋街を80になっても白いスーツで飲み歩く祖父の張りあるほっぺはしわしわになっていて、白いベッドに飲み込まれそうな手をそっと握ると嫌でも視界は滲んでしまってどうしようもなかった。
そんな私に祖父はこういった。
「悔しいときや悲しいときは、海に向かって叫ぶんだよ。そうしたら誰にも泣いていることは気づかれないから」

どうしてそんな言葉を私に残したのか。
ずっと経営者だった彼は、一人っ子だったためか誰にも相談せず自分のやりたいことを常にやってきた。
それには到底及ばないけれど私も仕事が好きで、やりがいのある環境に身を置くことができて、そんな日々をよく手紙で知らせていた。だから「働き続ける者」としてのアドバイスだったのか?
それとも、「自分で考えて行動する」一人っ子と長女はその点で共通している。そんな私にうまく生きる教えだったのか?

今海岸にはいないが、
暗い病室で悔しさに押しつぶされて泣いている。
お子にとっても私にとっても「2度目」の入院。
もっと強い身体に産んでやれなかったのか?乳離するまでに免疫力を高めてやることはできなかったのか?

彼女が親である私を恨むだろうか?「こんなふうに産んでほしくなかった」なぜかそうやって責められる未来は想像できない。
でもじゃあ誰の責任なの?と問われればやはりこの子は私の体から出てきたんだもの。私がどう育ちどう生活し、どう産んだのか。その振り返った道のなかで「より良い選択」ができたのではないか。

誰に相談したって愚痴ったって慰めの言葉をかけてくれる人しかいないだろうし、そしてそれをわたしは求めていないのだから、やはり私は海に向かって叫ぶしかないのである。

そしていつか、この子と一緒に嬉し涙を流せる未来にたどり着くまで、母として心身ともに健康に育てていきたい。なにがなんでも。

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