独白

とある女流プロのツイートが話題になったのを見かけて、ふと昔話をしたくなった。

高校を卒業してすぐ、僕は家を飛び出た。周りは全員がそれなりの大学に行くような進学率100%の高校だったから、当然自分も大学に行くつもりだったのだけれど、どうしても家族とうまくやっていくことができず、家にいるのが嫌になったのだ。

かといって、就職活動をしたわけでもないから仕事もない。住むところのあてさえない。要するに家出だ。18になっているから補導されないだけだ。

そんな僕が、どうにかして一人でやっていく手段として思いついたのが、雀荘のメンバーになることだった。実のところ、当時の僕の腕前はそこまで大したものではなかったのだけれど、一応は麻雀を打つことはできた。スポーツ新聞の3行求人を見て、近くにある場末の雀荘に面接に行った。寮がある店であることが僕の唯一の条件だった。

面接は数分で終わった。即採用だった。身元保証人だの雇用契約だのは一切無かった。「アウト切ってもいいけど勝手に抜いたらダメだから」という説明を受けたけれど、何のことかその時は全く分からないまま、僕は曖昧に頷いた。

その後「寮」というにはかなりおぞましい2DKのアパートに連れて行かれた。それぞれの部屋に二段ベッドがあり、その一つを与えられた。10時になったら出勤してくるようにだけ言われた。

最初の月から300本打った。研修なんかなかった。モロ引っかけは禁止なと言われただけだった。食事は他のメンバーと一緒に出前を取った。金は払わなくていいと言われたけれど、帳簿に付けられていて給料から引かれるだけの話だった。

接客らしい接客もしなかった。来店した客におしぼりと飲み物を出す。言われればお代わりを出して、時々灰皿を換える。出前の注文があればついでの注文を訊いて回る。ゲーム代を集めてレジにいる責任者に渡す。両替を頼まれればしてやる。割れたら卓を掃除する。洗い物とゴミ捨て。それだけで働いていることになった。

麻雀の成績はそこまでひどくはなかった。30万と言われた給料は10万くらい残っていて、寮費として3万円引かれて7万円ほどを手にしたと思う。場代バックなんてなかったけど、それだって僕からしたら大金だった。

なんだ、生きていけるじゃないか、ほんの2日間ほどだったけれどそう思った。2日間だったのは、寝ている間に財布の中を抜かれていたからだ。7万5000円くらいあった財布を枕元に置いて寝て、起きたら財布の中身は小銭だけになっていた。

次の月は金が無いからチマチマ抜かせてもらったのだけれど、それでも10万円くらい残った。要は場末のヌル雀荘だったのだ。ただ、月末で辞めることにした。同僚にどうしても合わないおっさんがいて、そいつにいじめ抜かれたからだった。たぶん金を抜いたのもそいつなんだけど、証拠もないのに詰められるものではないことくらいは当時の僕にも分かった。

財布を肌身離さず持ち歩き、布団の下に紙幣を隠して眠る生活は、僕の眠りを極度に浅くした。寝付いて数時間しかたたないのに、目が冴えて眠れず、寝返りばかり打っては、同僚に二段ベッドの下から天板を蹴られた。

移った先は、仕事が終わった後に遊びに行って誘われた雀荘だった。2万円給料が良かったし、賄いが出ると言われて即決した。「俺もスカウトされるくらいになったんだ」と謎の自信も持った。もちろんスカウトではなくて、単に人手不足だったのだけれど。

移った先の店で、僕は実に多くの「大人の遊び」を教わった。飲み屋にも連れて行かれたし、競馬、競輪、競艇、パチンコ、チンチロリン、コイコイ、オイチョカブ、手本引き・・・およそ雀荘のメンバーが覚えるような小博打はたった半年ほどであらかた経験した。

勝つよりは負けることの方が多かったけれど、それでも楽しかった。一ヶ月間、好きな麻雀を打っていれば10万円くらいは金が残り、運が良ければ時々給料がほぼ残る。一度だけアウトオーバーになって、3日くらい立ち番だけをやった。

店が暇だと、一人前の顔をして競馬新聞に印を打つこともできた。その店では、貴重品を責任者が預かり、金庫にしまうシステムだったから、もう寮で財布の仕舞い場所に困ることもなかった。

可愛がってくれたメンバーも何人もいたけれど、そのうちの何人かはいつの間にかいなくなった。辞める時に、辞める意思表示をしないで突然いなくなることを「飛ぶ」と呼ぶのを知ったのもその時だった。

それでも新しく入ってきたメンバーと、僕は同じように竜宮城の生活を送っていた。レジの打ち方、日報の付け方も教わって、雀荘の仕事はだいたい理解できるようになった。夜の12時になるとなぜカーテンを下ろすかも理解した。

僕がそのまま何十年も竜宮城にいたとしても何の不思議もなかった。雀荘やパチンコ屋の店員、あるいはラブホテルの従業員は、社会人としてのいろいろな義務から逃れたい者、身元を隠したい者にとってのセーフティネットだ。今はもう、パチンコ屋はそうではないようだけれど、当時はまだ、身元も確認しないで採用される店は山ほどあった。

そこから僕が抜け出したのはたまたまに過ぎない。

ある日店長に呼ばれた。「番の移動(昼番と遅番がいたから、反対の番に移ることもあった)」かなと思っていたら、店を辞めろと言われた。

「君は使える、それは確かだ。機転も利くし性格も明るい。客商売に向いていると思う。でも、君の歳で、この世界に居続けちゃいけない」

そう言われた。でも雀荘以外に住むところも働くところもありませんと言うと、大学に行けと言われた。

「親に頭を下げて、学費を出してもらえ。あれだけ嫌な客にも頭を下げられるんだ、親にだって下げられるだろう。大学に行って、社会人になって、そしていつかそれでも雀荘で働きたいと思ったら、戻ってくればいい。ここはいつでも戻れる世界だから」

世間知らずで生意気だった僕をずいぶん可愛がってくれた店長は、僕にそう言った。何だったら親に口添えしてやるとまで言ってくれた。

そこまで言われたら仕方がないから、僕は実家に戻り、しぶしぶ親に頭を下げて、大学に行かせてもらった。これで落ちたらあまりにダサすぎるので、受験勉強はわりと必死でやった。

大学に行ったからといって、何かが変わったわけではなかった。むしろ大学の友人とは全く話が合わなかった。テン3で打って勝った負けたと騒ぐ彼らを横目に、池袋にあったリャンピンの店に通った。いや、ピンの2-6だか3-7だったかもしれない。

その先はもっと惨めな話だ。僕はさらに堕ちて、大学4年の時から完全にアングラの世界に浸った。「足を洗う」まで15年くらいかかった。夢があったわけでもなく、ただずるずると泡銭に引きずられながらの15年だった。

それが僕の、全然嗤えない話。ふと、思い出した。

ここからはいつものポエム。買って面白いことは、あんまりない、かな。

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