天鳳について僕が語れること

僕は天鳳を2008年の4月に始めた。

天鳳が「半熟荘」から「天鳳」に名前を変えたのが2007年の3月だから、天鳳が徐々に浸透し始める時期に始めたことになる。(ところで天鳳が最初「半熟荘」という名前だったことを知っている人は今どのくらいいるんだろう。wikiを見れば書いてあるけど)

それまでインターネット麻雀と言えば「東風荘」や「ロン2」がメジャーだったと思う。僕も誘われたことがあったけど、とてもじゃないけどあのUIではやる気にならなかった。

当時僕は、アンダーグラウンドの世界のことを書いたブログで、ちょっとインターネットの世界にはまりかけていた。(アンダーグラウンドの話はまた別の機会に)

当時は理想雀士や01、かにマジンのブログが麻雀関係のブログでは人気だったと思う。あ、あとあれだ、須田さんの「東大を出たけれど」だ。

理想雀士のブログで天鳳を知り当時はもうわりと固い世界にいたこともあって、毎回歌舞伎町や道玄坂の”アドゲー”に行くのも面倒だったので暇つぶしに天鳳を始めた。

やっぱり画面がリアルだったのがけっこう大きな理由だったんだけど、9pの画像が誤りなのを、「東大を出たけれど」の須田さんが指摘するまで気づかなかったから(ピンズの色違いの赤のお団子は横なのにつのだは縦にデザインしてた)人間の記憶なんていい加減なもんだなと思う。

これが天鳳の昔の9P。お団子が縦でしょ。

画像1


天鳳を始めた理由はもう一つあって、アドゲー雀荘はだいたいタバコ臭くなるから、30歳くらいで禁煙した僕としては臭い取りも面倒だったのもある。(おっさんになってつくづく思うけど人生はわりと「めんどくさい」が原因で転機を迎える。思考が言葉になって、言葉が行動になって、行動が・・・みたいに崇高な動機で転機を自分から迎えられることってあんまりない。マザーテレサくらいのもんですよそんなん)

それはさておき、暇つぶしで始めた天鳳だけど尋常じゃないくらいはまってしまった。4月に380戦、5月に629戦・・と4ヶ月で1700戦以上打ってしまった。

しかも当時Twitterの前に隆盛を極めた2chの雑談スレッド、通称「雑スレ」に入り浸りながらである。当時らいつべ(Livetube)で人気配信者だった理想雀士と01の番組にゲストみたいなので出てしまってよけいに2chに入り浸るようになってしまった。

あげくには自分で配信まで始めるようになってしまった。いい社会人が、であるからこれは嫁子供に逃げられても文句は言えない。仕事だってうまくいかなくても仕方がない。40前にして人生たそがれ日記を書いたって誰も読まないっていうのに。

順調に六段まで駆け上がったのに五段にも落ちるしまったくもってどうしようもなかった。

家庭や仕事がうまくいかないのはまだいいが(よくない)「ああ俺はまだ下手だったんだ」そう悟るまで1700戦もかかったのはひどかった。

ただ、らいつべは楽しかった。

長村ビッグ、ロリータな焼肉、平井銀二、個性豊かなプレイヤーが日夜誰かしら配信している。

福地先生がエロサイトのブラクラに引っかかってインチキ請求画面が消えずに長村ビッグに泣きついた時には腹を抱えて笑わせてもらった。

麻雀というゲームのコミュニケーションツールとしての優秀さはこういう環境では異常に楽しい。

フリー雀荘でさえ、常連同士で仲良くなれば卓が立ってなくても雑談で楽しめるのは周知の事実だけど、誰かとくっちゃべるという楽しさが自宅で手軽に味わえるわけだからそれはもうとにかく面白かった。

とにかく天鳳って手軽すぎる。

当時は圧倒的に東風戦が主流だったから15分あれば余裕で1戦打てる。鳳凰卓もまだなかったから特東で全員打ってて待ち時間なんて全くない。予約を押した瞬間卓が立ってアドゲーの場だ。本当に一瞬で卓が立つ。それが良くない。大学生じゃなくて本当に良かった。

社会人なのに月に600戦打つのだ。学生だったら倍は打ってる。体力だけは自信があったから下手すりゃ最多記録を狙いかねない。まあ間違いなく留年してる。

その代わり今よりも麻雀が強くなれていたかもしれないけど。

そう、天鳳をガチで打つと麻雀が強くなる。

きちんと集中して(ながら打ちはダメだ、あれはエンジョイ勢のやることだ)、自分が上手い強いと思うプレイヤーの観戦などで休憩を取りながら自分の打った牌譜を見返す。

これの繰り返しでどんどん強くなれる。

観戦の対象はもちろん大事だ。有象無象見たって仕方がないのは当然だけど自分とあまりに打牌傾向が違う人のは参考にしようとしても難しい。自分の上位互換ぽい人の観戦が最適だろう。

当時の強豪プレイヤーとして有名だったのは

素人α(朧夏月)

遊走

六分儀ゲンドウ

闘士渋川老

メタルクウラ

('(ェ)'o)

side

あたりだったけど、僕が目標にしてたのは国立君というプレイヤーだった。彼は当時の特上東風の八段のポイント配分(50.20.0.-100)をクリアして九段になったプレイヤーだ。

国立君の偉業、そして当時の強豪プレイヤーについてはまた改めて書こう。

僕が参考にしたのはそれだけではなくて、天鳳にあった牌譜閲覧機能と牌譜解析だ。

この牌譜解析がものすごく役に立った。

今はもう天鳳に標準装備されているけれど当時はまだβ版しかなかった。ツノダ神が有力プレイヤーだけにテスト使用させていてそれが2chで発覚した時にはけっこう荒れた。

課金すれば使える機能だったから僕も速攻で課金して使ってみた。押しすぎ、それも1シャンテン以下での押しが多すぎて放銃率も高すぎた。(.130近くあった)

要するにフリーの打ち方ってことだ。天鳳のルールには全く見合っていない。

六段を2000戦くらい続けていた僕がそこに気を付けるだけで七段になれたからまぁ病気のように押していたんだと思う。

天鳳に合わせて打ち方を改造したんだけど僕が学んだのはそういうことではない。

要するに「場のルールに合わせて最適解が変化する」その重要性をきちんと認識しただけのことだ。

でも実感として、いわゆる「香車一本」強くなったと感じた。同時に、自分が強くなれる場に対してとても強い愛着を抱いた。

僕はフリー雀荘で打ち続けてきたプレイヤーだし、若いころは競技麻雀の世界もかじった。プロ麻雀協会ができるよりも前どころかμができるよりも前、金子さんや飯田さんはもちろん、古久根さん、井出さんあたりがまだ最高位戦に所属しているころから現地観戦していた。

採譜のアルバイトまでしたことがあるくらいだ。環境がもう少しまともだったら、あるいはプロになっていたかもしれない。

そんなリアル麻雀どっぷりの僕が、

ネット麻雀はもっと大きな可能性がある、もっと多くの人が楽しめる、もっと多くの人が強くなれる

そういう強い確信を抱いた。

僕は麻雀プロにはならなかったけれど、麻雀に対してはとても大きな愛情がある。(憎悪や後悔もないわけではない)麻雀はとても楽しいゲームだけれど、もっと良いものにできるはずだと思っていたし、ネット麻雀にはその可能性があると確信した。

だからその場を作り上げた人物にまず会ってみたいと思うようになった。こんな風にしたら、こんなことをやってみたら、そんな思いをぶつけてみたいし、どんなことを考えているのか、天鳳の管理者の考えを聞いてみたいと思った。

願いは口にするとかなう、というけれど、そのせいなのか、その日は意外と早くやってきた。

続きは次回。たぶんおかねとるよ!

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