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花椿

前に書いたのが10月の終わりだから、ちょうど2ヶ月空いた、というこの下書きを発掘したのはそれから7か月半が経った6月も半ばの事、と一度は投稿しようと編集したものの、再び下書き保存を押して眠らせてしまい、改めてこの記事を開いているのは8月9日の事です。
これからは月報くらいは書きたいなと、ななえさんのうれしいよそおい通信を読んで改めて思ったので、三度掘り返した次第です。
初めてBOYに行った18歳の夏、今から何年前になるんだろうかと数えるみると、11年前だ!すごいね。あの時からその佇まいにひっそり狂乱していたわけですが、今はななえさんの書く文章がとても好きです、と今なお狂乱してる。

さて、前回書いた2021年10月の終わりからその年末にかけての2ヶ月の間だけでも十分すぎるほど色んな事がありまして、これはその記録になります。

11月の半ば、突然高熱が出てしばらく下がらず、なんと緊急入院をした。
(結局のところ、大したことはなく5日程で退院できたのだけど)
まだ寒さも厳しくなる手前の季節、風邪にしては熱が高くて、流行りの病かなとかインフルエンザかなとか心配したけど、どれも陰性で。原因が分からず血液検査をしたら白血球の値が異常なほど低く、医者には白血病の初期症状かもしれないとか、今感染症に罹ったら命が危ないとか恐ろしい事を言われてしまって、なんら現実味のないまま、淡々と入院の手続きを進めていた。でもその最中には不思議と最悪の事態も想像できてしまっていた。

久方ぶりに食べた病院食はやっぱり好きじゃなかった

コロナの状況で、家族が病室に入れるのは入院日だけと限定されて、その後の面会はできない。この日を境に由佳ちゃんに会えなくなり、そのまま衰弱していくことを想像したら涙が止まらなくなっておいおい泣いた。病床の端からそこに伏す人を見ていることは幼い時にサンザンあったけれど、自分がこちら側にいるのは初めてだった。早く良くなってねと祈る事は在っても、自分が祈られるのは初めての事だった。あの頃は、自分自身が不安になって心配をするばかりで、当人が一体どんな気持ちで病床に伏していたのか、想像した事すらなかった。こちら側に来て初めて、その心情に初めて思いを馳せてはみたけれど、下は11歳になったばかりの4人の子供を家に残していたその人の悲しみは、今もなお計り知れない。

1人と1匹を家に残して自分だけが病院に残される時の気持ちは、あるいは家に残される気持ちは、もう二度と味わいたくはないし味わせたくはない。
急遽入院が決まったあの日、車を走らせ1人自宅へ向かう時の想いは、その晩、つくしに不安を吐露したであろう気持ちは、翌日、1人浄土寺へ御祈祷をしてもらいに行ったその時の想いは、いったいどれ程のものだっただろう。
祈る側の気持ちは分かっていたつもりだけど、それは幼少の頃で、何も分からない頃の事で、その心情は実際には推し量る事はできない。けれどもう二度と、絶対に味合わせたくはない。

幸い、入院してから2日後の朝の採血結果で、危険視されていた数値が正常に戻った事が確認され、予定されていた骨髄検査もすることはなく退院が決まり、そんな不安は解消された。
それからは経過観察のため数日引き続き入院して、計5日の入院のみで退院する事が出来た。
大げさに不安がってしまったけれど大した事がなくて本当に良かった。
それでも、医師に今の状態で感染症に罹ったら命が危ないと告げられたのは心底衝撃的な事実で、万一あの時感染症を患っていたらと考えるとぞっとする。少しでも体調がおかしい時は、即座に病院へ行くのが吉である。

5日振りに家に帰るとこうでした
退院後には浄土寺や御袖さんへお礼を言いに行った


2つ目、年の瀬を前に、2年ぶりくらいに東京で4日程滞在した。
高校の友人が結婚式に招待してくれて、それに出張を絡めてさらに、これ好機と言わんばかりに大学の友人にも久方ぶりに会う事ができた。
赤子が生まれた友人の家にお邪魔させてもらって、相変わらずのマイペースながらも進めたい方向に進んでいて、さらにしっかりお父さんをしているところを見て微笑ましく思った。
お土産に持って行ったパペットは気に入ってもらえたようだったし、寒空の下、公園に遊びに行って追いかけっこ?をしたり、砂遊びをしたりしてひたすらにかわいい尽くめだった。

みんなも相変わらずのように見えて、なんとなく落ち着きがあるような感じがした。またゆっくり遊びに来て、最近はどうしているとか、何があったとか、そんなことをゆっくり時間をかけて話したいなと思った。会いたい人には飛行機に乗ってでも這ってでも会いに行くべきだ。

東京最終日が友人の結婚式だった。
神職/牧師の代わり司婚者、聖歌隊の代わりに雅楽隊、新郎の衣装は袈裟と、初めての仏前式で見るもの全てが目に新しかった。
披露宴は対照的に洋風のきらびやかな装いで(一部雅楽の生演奏はあったが)ユーモアに溢れた当人らしさを感じられて良かった。そして金持ちの結婚式はすごい、、、と実感した。
この場でも、高校卒業振りに会う人がいたり、昨年は会いたくても会えなかった友人とも再会する事が出来て本当によかった 。今度はまた近いうちにゆっくりと時間をかけて会えると良い。

寺?

3つ目、最近の週末はもっぱら新居の天井材の塗装をしています。
最初は2階の6畳と8畳の竿縁天井の天井板をひたすら塗った。2日に分けてそれぞれ3~4時間程度作業をして、計9坪分を塗り上げた。
これはどのくらいの量かというと、1.9m x 33cmの板材が54枚、つまりは33.858平米分 = 京間にして18.5畳分の量である。翌日にはふくらはぎが筋肉痛になるボリュームだ。

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本当は無垢材を使いたかったのだけど、和天の幅の広い無垢材は値段がとんでもなく、既に諸々予算を飛び越えそうな恐れがあるので、アウトレットの貼り物の板材を探してきて使ってもらう事にした。
工程との絡みもあり、最初は無塗装にしてしまおうかと思っていたが、実物を見ると貼り物感(そりゃあそうなんだけど偽物っぽい)が強かったので、自分たちで塗ることにした。

柿渋に猩々のベンガラと墨汁を溶いて濃い目の茶色に仕上げた。
本来は墨汁ではなく、松煙を使うそうだけど、近場のホームセンターでは手に入らなかったため、墨汁で代用する事にした。
ベンガラは柿渋に溶けるが、墨汁はうまく溶けず、まず水で墨汁を溶いたものをベンガラを溶く前の柿渋に溶かして、最後にベンガラを溶くと良いという学びを得ながら、好みを作りひたすら塗った。混ぜる手順や比率等を掴むまでの道のりはなかなか険しかった。

普通の刷毛の代わりにコテ刷毛を使ったことは、色々やった作業の中でも非常に優秀。普通の刷毛だったらおそらく3倍以上の作業時間がかかったと思う。

和天を仕上げた後、3日目には、1階用の天井材の塗り作業に入った。
2階の和天と同様の塗り材とコテ刷毛で塗ったが、板材の幅が狭い分、一往復で概ね塗り終える事が出来てすこぶる快調だった。(ただし枚数が多い分、しんどい)

工事の方は本格化して、壁や屋根が取っ払われてスケルトン状態になっている。すごいね。

最後に、年末も年末、SONOROUS CHORDの3人や森さんとフレンドのカラオケ忘年会に参加して、うえじゅんさんがやけになって爆酔い大暴れ、人の家に着くなり即ベッド占領就寝と最悪だったけど楽しかった。普通に遊んで楽しくやりたいね。(卓也さんも相当酔ってしんどそうだったけど、酔っても常識人を貫いていて尊敬する)


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