黙ってみているだけ

なぜ自宅に箱入りのマスクが置いてあったのか、普段からマスクなんてしない自分には不思議でならなかったけれど、きっと自分のモノグサな性格がその答えだ。
一昨年だったかその前の年だったか、定期的にやって来る爆発的な花粉症の猛威に耐えかねて購入したものの、ほとんど付けずに部屋の隅に置き去りにされていたと考えると、いかにも自分の取りそうな行動だと納得がいった。
モノグサな性質は時に役に立つ。一般に良くないとされるものも時には良いものに成って変わることがあるということだ。

さて、4月上旬から始まった完全在宅勤務が1日おきになった。
原付を会社に置き去りにしてしまっていたので、久しぶりに自転車で通勤してみたけれど、5月の陽射しはちょうど良い温度で、風もちょうど良い強さで体を押してとても心地が良い。これまた思わぬところでモノグサの恩恵を受けた。

駅裏のアパートに住んでいた頃に使っていた経路を使ってみて、高架下を涼しさも久しぶりに味わった。
暑い日の高架下は、どうにも高校時代を思い出して良い。駅から高校のすぐ脇までまっすぐ伸びる高架線の下の日陰の道でひたすらひたすら自転車のペダルを回していたことを思い出した。

途中、陽射しが強くなって服の中に汗をかき始めていた頃に、麦わら帽子を被った男性とすれ違い、その鍔の広さを羨ましく思った。
そういえば、大学4年の頃に友達と実家の近くで虫取りをするために買った麦わら帽子はどうしたんだっけか。
思い返したけれど、行先は分からなかった。


世の中の情勢がなかなか変わらないことは理解できる。
緊急事態宣言まで発令されて、身動きが取れないことに閉塞感はあったけれど、元々日常のほとんどを身の回りだけで完結させていて、たまに外に出たり遠出をするくらいだったので正直なところ大きな変化はない。
バンドの練習ができないことやライブをしなくなったことは支障だけれど、家に籠もって音楽を聴いたり、ギターを弾いたりするだけでも自分はある程度満たされるな、とakutagawaのdawnのレコードを聴きながら思っていた。
もちろん、早くバンドで合わせて音を出したいし、好きなバンドのライブは観たいし、自分たちもライブがしたい。そんなことは言うまでもないことだけれど。

この情勢を受けて、CINRA STOREがサービスを終了した。
オンラインサービスなので、身近と言うとおかしいかもしれないけれど、自分が利用したことのあるものが終了となったのは、実存するしないを問わず初めてだったので、とてもショックだった。

行政の経済支援はあって然るべきと思うけれど、当然とまでは思えてはいない。言い回しの違いが微妙だけど、ShouldであってMustでないというように考えている。

支援がないことで終了してしまうことを、しょうがないだなんて思うことはできず、ただただ終了してしまうことが実際にあるという事実だけを目の当たりにしてる。
ライブハウスやミニシアターの動きに賛同して支援を願うものの、それ以外の方法が見つからなくて途方に暮れてばかりだ。
個人の力には限界があるからこそ、行政があって僕たちは高い税を納めているんじゃないのか、無駄な金の使い方をするなら本当に必要としているところに渡してほしい。

支援は当然とまでは思えていないけれど、検察庁法改正については当然されるべきでないと思う。
検察官の定年を65歳とすることは良いと思うけれど、再延長の判断基準が政府に置かれる事に対しては、歴代検事総長の意見書の通り。反対だ。

黒川氏の問題抜きにしても、どうしても裏側に何かがあると思わざるを得ない、と言うより思わない方が無理がある。
これまでのいくつもの不祥事とされる事案への良く分からない答弁や、検察官には適応されないとされていた国家公務員法 第81条の3の解釈を覆してまで黒川氏の定年延長を行ったこと、その後に改正案を定年の再延長を可能とするよう変更した事が背景としてべっとりこびりついている。

反対の反対派(賛成ではないように思える)の意見を読んだ。可決された場合の施工日と黒川氏の生年月日の兼ね合いから、可決されたとしても、問題となった黒川氏の任用に影響はないとの意見をには納得した気がしたけれど、その日の午前3時に目を覚まして仕事に行くまでの間に改正案原文や解説を読んでからは、それすら危ういように思えた。

但書には「必要な施行期日を定めるものとすること」とあり、施行日前倒しの可能性がある上に、国家公務員法改正案 第11条(≠検察庁法改正案)に、以下、一部内容を施工日ではなく公布日より発効とするとの規定がある。

”第4条 検察庁法改正に規定する63歳に達した検察官の任用に関連する制度について検討を行い、その結果に基づいて所要の措置を講ずるものとする。”

この”所要の措置を講ずる”とはどのような事を指すか明言されていないが、改正案施工前に施工前の定年の63歳に達する検察官に対して、施工前でも定年を延長する可能性がある。
この解釈を改正案の検事総長に対する定年延長(「内閣の定めるところ」により65歳から最大3年)にも適応されると拡大解釈し、施工前でも65歳に達する検事総長の定年を最大3年延長可能とすることすらあり得るんじゃないかと思ってしまう。
つまり、現検事総長が退官するとされる今年7月頃に黒川氏が後任として総長に就任し、改正案が可決、施工前かつ黒川氏定年前の2022年2月以前にこの解釈に沿って、黒川氏の総長としての定年が延長され得る。こんなことすら起こりかねない。

こんなことは杞憂だと願うばかりだけれど、こんな不安を持たせられる政府が定年再延長の判断を行うことはそりゃ不信感を持つ。

最後に、改正案原文は分りにくいことこの上なかった。仕事で扱う英文契約書の5億倍分かりにくい。
この内容を一国民が正確に把握することなんてほとんどありえない事で、そうしていないのだから声を上げるななんて言うのは明らかに横暴だと思った。
歴代総長や日本弁護士連合会が反対声明を発していることだけでも、これに賛同するに十分だ。

対立意見を持つ人の声を否定するのではなく、対立の理由を教えてほしい。互いの主張根拠を知ることで、見えるものがあると思う。異なる意見にきちんと耳を傾けて理解する姿勢を取ると良いなと思う。

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