気球

渋谷では夜の空にたくさんの気球が飛んでいました。
見上げれば案外広く、真っ直ぐ前を見たときのように群がる人々に視界を塞がれることもない。
平日の夜はどうして過ごしたらいいのか分からず、一旦タワーレコードに立ち寄ったのですが、膨大な量と全てが日本とそれ以外でa〜zで並べられた棚の前で右往左往してしまった。
結局、目当てにしていたgirlpoolのwhat a chaos is imagineryのLPは、クローズアップされて別のコーナーにあって見つけるのには30分もかかったけれど、snail mailと並んで大きく展開されていることを嬉しいと思った。でもやっぱりパイナップルバイナルが欲しいなぁと見送った。

会社には内緒の空白の午前中は原美術館へ行った。開館1時間前に着いてしまったので、北品川駅前にあるこの路へ寄ってみると、どのくらいおいでになる?ごめんねぇ、この後もう少ししたら出かけなくちゃならないのってかわいらしいおばあちゃん。30分弱、コーヒーを飲みながら休ませてもらって美術館へ向かった。

痛みを負うまでと痛みとの対峙。その対峙の仕方とうつろいがあまりにも印象的だった。徐々に徐々に言葉少なになっていくその文書からは、傷の治癒ではなく悲痛な願いに対する諦念が感じられた。
一人歩きをする痛みを、ありふれた別れだと納得してみせて、感覚も麻痺して案外普通に生きられてしまったのだと、諦められてしまったことに対する痛みを感じさせられた。そんな気がした。

色彩のある写真と色彩の乏しい言葉ではどちらが雄弁に語るのか。見た目がなんか良かったり、あるいは複雑で抽象的な絵とか記号のような作品は、何を根拠に作品を見たらいいのか全然わからなくて理解することができない自分にとって、明白な問いなのかもしれないと考えてる。

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