見かけた人も分からず

今朝、友達の手伝いに呼ばれて商店街のカフェから坂の上のお寺のほとりにあるカフェへライブ機材を運んだ。その道中、高校生のときになんとなく好きだった女優さんが撮影しているのを見かけたらしい。らしい、というのは一緒にいた友達がそうだと言っていたからであって、自分ではまったくその女優さんであると認識出来なかったのだ。その人は首筋が少し隠れるくらいのショートヘアーで、前髪も短めに切り揃えていた。自分の記憶の中のその人は、胸の下辺りまで髪が長くて、前髪も同じくらいに長くおでこを出している。このイメージは自分が高校生の時、数字にしたら8年も前のもので、髪を短くしたのはもう随分前の事らしかった。

テレビを見ることをやめてもう7年も経つ。小さい頃は早起きしてテレビに映る戦隊ヒーローに目を輝かせたり、夜には兄弟達とリモコンを取り合って喧嘩もしたりした。7年前にテレビを見ることをやめた時は、進んでやめたわけではなく、むしろ仕方なく、見られなくなったという方が正しい。引越しをして学校が遠くなり、平日の朝は戦隊ヒーローが始まる時間より前に家を出て、家に帰りのは22時を過ぎて体力のない自分は自然とテレビを見ることをやめていった。

大学生になって東京へ出て、始めの1年と少しは兄と暮らした。兄の家のテレビは、その当時でも大分時代遅れになりつつあったビデオデッキ搭載のブラウン管のテレビだった。その年の3月に起きた震災の影響で大学の入学式が遅れて、家でする事もなく呆けていたとき、暫くぶりにテレビをつけることもあった。暫くぶりのテレビは、なんだかよく分からないけど笑ってる人たちがたくさん出ていたように思う。アイドルグループの狂気性もこの頃、格段に増していっていた。この時点でテレビに対する興味はほとんど失い、地上デジタル化の流れに乗ることを辞した兄の家のテレビは放映をやめた。そして僕もテレビを見ることを完全にやめた。

そこからの流れが今も続いている。世間では相変わらずバラエティ番組やアルドルグループの押し売りが行われているようだけど、やっぱり自分の興味と好奇心の対象にはならない。情報が溢れかえっている、なんて今の世の中は言われるみたいだけれど、一度テレビを絶って自然に入ってくる情報を制限すればそんなこともないように感じる。

これのおかげで自分は世間話が下手くそである。テレビ=差し障りのない共通の話題だから、この話が出来ないということは、一気に1人スタートダッシュで転んだような状態になり、会話に取り残されたりする。

暮らしの話をしよう。
テレビを通して得た情報の話じゃなく、身の回りの暮らしの話。今日は水嵩を増した祇園橋の下の海に、チヌがたくさんいたこととか、今日は土曜日だから土曜夜店があるねなんてこととか、あいつとあいつが今度こんなことをするんだってなんて話だとか。こないだ、街で昔好きだった女優さんを見かけたけど、誰だかも分からなくて少し悲しくなった、なんて話をしようよ。

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