春の花木
桜吹雪が舞うと先が全然見えなくなって、雪山に迷い込んだのかと、今は春じゃなかったのかと狼狽して、桜吹雪はまさしく吹雪だと実感した。夜に桜並木沿いを運転するのは怖い。
春の花木
卒業シーズンも終わってもうすぐ入学シーズン。
通勤路にある学習塾では、卒業生の置き荷物であろう参考書なんかが大きな袋に詰め込まれて入口横に寂しげにまとめられていた。
卒業のテーマにした商材にはよく桜が使われるがちだけど、桜はまだその頃は咲いてないのに何故だろうと不思議に思う。昔からそうなのか分からないけど、自分の中ではいきものがかりのさくらとコブクロの桜、森山直太朗のさくらがそのイメージ密接に関わってるように思う。
卒業というイベントの捉え方は文化圏によって違うようで、日本では上に挙げた3曲が象徴するように別れを惜しむ意味合いが強いけど、欧米ではこれからの成功を願う意味合いが強いという話を聞いた。どちらの側面も持ち会わせているけど、前に出てきているのはどっちかという話。
実際のところは分からないけど、映画の中で見る欧米の卒業は別れの寂しさが背後にあるも華々しく旅立っていくような感じで、そういうことなのかなと思う。
前に住んでいた家の庭には白木蓮があった。3月の中頃に大きな花が一斉に咲いて、合唱してるみたいできれいだったと思い返す。
そうそう、最近知ったんだけど、同じモクレン科の花木で、泰山木(たいさんぼく)とか辛夷(こぶし)というのもあるらしい。
見た目はそっくりだけど、花の咲く向きや樹高から見分けられるそうで、背も前の家のはそんなに背が高くなくて、同じ方向に花を咲かせていたのでたぶん白木蓮であっているのかな。
3月7日(火)、8日(水) 憧れは死んだ
2年前も同じ内容で名古屋へ出張していた。定例の仕事ではないけどたまたま同じ場所で同じ内容で、同じくらいの時期に。
少し前までは名古屋は楽しみにして行く場所だったけど、憧れの心は死んだ。前泊の夜はホテルから一度も出ずに、翌日仕事をして帰りに後輩からおすすめされた台湾まぜそばを食べるだけして帰路に着いた。
憧れていたものに落胆、絶望したり、好きだったものを嫌いになることはあまりに辛い。
3月11日(土) June of 44
June of 44を観に京都へ。広島の音楽ファンの方々に混ぜてもらい、現地で集合。町家を借りて一緒に泊まらせてもらった。
京都に来るのもずいぶん久しぶりで、たぶん3年ぶりだろうか。京都駅から宿泊先まで歩いて向かう道中、高瀬川で水遊びをする鳩やだだっ広い鴨川とその向こうの山も久しぶりに見た。
道沿いを流れる小川と幅の広めの大きな川、そして開けた土地の向こうに見える山々。京都は歴史的な街であると同時に文化的で栄えていることも好きな理由だけれど、この景色がなんとなく地元の栃木を思い起こすことも京都が好きな理由なひとつだ。
広島の人々に合流してから、開演まで時間があったので飲みに繰り出す。徒歩圏内の隣駅まで、通過する快速電車を何本も見送ってようやく来た各駅停車の電車に乗り、徒歩よりも時間をかけてたどり着いた。
もうすぐ広島に初めて鳥貴族ができるらしく、広島の人々は鳥貴族を視察したいとなぜか息を荒くしていた。学生時代に安酒飲みに行っていた店というイメージしかなく、そんな楽しみにしていくようなところだっけかと思いながら、その様子が不思議ながらも面白くて見ていた。結局、鳥貴族には行けず (終演後も入れず)、貸し切り状態のおしゃれな餃子屋と会場付近のお店をはしごして、いつの間にか開場の時間になっていた。
1番手 bed (from kyoto), 最近は東京の同名バンドと被るので"from kyoto"が後ろに付けている。もう本当に愛なんですが、、心底良い。
セッティング中に、すごくスリムになっていた山口さんが別人だと思い、ローディーさんいるんやぁ、すげぇとか思った。この日はジューシー山本さんメインの曲が多く、1バンド目から完全に持っていかれました。
2番手 upandcoming, ちゃんと聞いたのは2017年のdiscographyからで、聴いたきっかけはLIVEAGEでのbed 山口さんのコラムだった。2000年台の活動はよく知らず、聴き出したのも遅かったわけですが、そのレジェンドをきっかけのbedと一緒に観られたのは嬉しかった。
3番手 June of 44, 1時間以上演奏したんじゃないかと思うくらいのボリュームだったけど、終始圧倒された。ダグ シャリンのドラムが本当にすさまじくて、過去の来日時のインタビューでドラムの魅力を「原始的で、全ての土台となる楽器であること。ドラムが生み出す直接的・肉体的な感覚には誰も逆らえないよ。」だと語っていたけど、まさしくその通りのドラムだった。
あと、Four Great Pointsの1曲目、Of Information & Belied (一番好きな曲) の繰り返し弾かれるギターのリフが後半にバイオリンみたいなストリングスの音になるところ、レコーディングでバイオリンとか入れてたのだと思っていたけどギターだった。エレハモのmel9、買おうと思います。
ライブ後は近くの鳥貴族に入れず、近くの中華屋で飲んで日が変わる頃に歩いて宿へ向かった。宿に着いてからも好きな最近聴いたいい音楽を紹介し合って4時ごろ床についた。nhommeやslow massがうけたことや、下門さんと広島のリツカの良さで盛り上がったのが個人的にとても良かった。
3月12日(日) 梅湯へ寄って帰る
June of 44を観た翌日、徒歩でサウナの梅湯に行き、朝風呂。二日酔いの人もおり、サウナに入っていたら気づけばみんないなくなっていた。来たのは5年ぶりくらいだと思う。前回来た時と変わらず、朝から若者が集う良い銭湯だった。
これは京都という立地によるものだけでなく、運営するゆとなみ社のあってこその事だと思うし、その功績は本当に本当に大きく輝かしい。
まず導入として、梅湯にすべてのデザインが良い。建物自体の佇まいや二階の建具がそもそも良いし、入口の上にそっと配された緑とピンクの小さな提灯もかわいらしい。代名詞的な「サウナの梅湯」のネオンの配置や配色も良くて通行人の目を奪う存在になっている。
衣類やタオル、ステッカーなど、新旧織り交ぜた様々なデザインのグッズは銭湯を知らない人も目を止まるきっかけになるし、既にファンの人の愛着はさらに高まる。度々ここを会場にしてライブも企画しており (先日は青葉市子さんを呼んでたみたい) それも新しい人たちが銭湯に足を運ぶようになる理由のなっているだろうと思う。
個人的に、何より一番と言っても良いくらいに、浴場の清潔さが若者が集うという点で重要なカギだと思っている。数は多くはないけど、各地へ行く度にその地の銭湯へ行くようになったが、古くからの銭湯でここまで清潔な銭湯はあまり記憶にない。常時水気のあるその性質上、清掃の手間は相当なものだと思うし、壁や床のタイルはどんなに掃除をしていても何十年もの年月を経るとどうしても汚れが染みついて取れなくなる。 それをきれいにしようとすると、新しいものに張り替えるしか選択肢はないのだろうけど、それには大きな費用がかかり、手付かずのままになってしまっている銭湯が多いというのが現状なのだろうと思う。古着、小道具、築104年の家など、古いものに抵抗のない自分でも、カビが生えた浴場やぬるぬるしたタイルは心地が良くない。
清潔で明るい風呂で温まりながら、壁に貼られたスタッフさんが書いた梅湯新聞に目をやりながら一息つく時間は至福だった。普段行く銭湯より、ずっと人が多い環境だったけど、それも関係なく心地よい時間だった。
尾道の廃業/休業してしまった銭湯もなにかこういう場にできないだろうかと思うも、なんの行動も起こさない日々がずっと続いている。寿湯は本当に良い銭湯だった。長い休業が開けることを願い、理想と現実を見つめてできることをしたい。
その後、昼食にどうせ混んでるだろうけど、第一旭に行きたいとの申し出があり、徒歩で向かうと、11時頃にも関わらず既に長蛇の列を成していたので諦め。付近に清華園という良さそうな中華 (また中華!) を見つけてイン。
とても良いお店でラーメンと炒飯が染み渡り、少し軽くなった体で帰路に着いた。
それと、食事が運ばれてくるまでの間、外のバス停の椅子に座ったおじさまが終始鳩と話していてよかった。
3月19日(日) 倉敷美観地区
尾道以外のこの周辺の景勝地と言えば、隣町の福山の鞆の浦と倉敷の美観地区がある。尾道に住んで7年が経つものの、鞆の浦には一昨年ようやく初めて行き、美観地区には未だ行ったことがなかった。その週末、思い立ったように出かけ、倉敷美観地区を訪れた。
倉敷川沿いに白壁の蔵や屋敷が立ち並んでいて、江戸時代からの繁栄が色濃く残った厳かで、でもゆったりした空気感のある良い町並みでたくさんのお店が立ち並んでいた。
中でも、少し奥にあるアーケードの端にあるガラス屋さんと、植物に独自の加工を施して作ったアクセサリーの扱う工房が特によかった。
ガラス屋さんでは、花を浮かべると良さそうな平たい透明な器を買った。去年豊島美術館で買った水面に浮かべる一輪刺しを浮かべようと思う。
植物のアクセサリーはなんの植物が良いか決められず、今回は買わなかった。次来るときには何が良いか考えてから来て、その時にその植物のものがあれば買おう。次は時間をかけてゆっくり来たい。
美観地区の建物の9割以上が戦前の建物だそうで、そういう風に残すことのできた町は良いなあとしみじみと思う。これからさらに減っていくのだろうし、観光の武器という形で行政が大々的に残そうとする働きかけがなければ、町として残すことは難しいのだろうなと思う。
尾道も平地では更地になったり、ぴかぴかの建物に建て替えられたところがずいぶん増えた。不便に働く建築基準法の接道要件がある限り、山手の建物だけは残り続けるのだろうけど。
帰りがけに、ギャルがこの壺うちにある〜!と言いながら通り過ぎていって良かった。家行ってみたい。
3月19日(日) 瀬戸大橋の麓の夢みたいな場所
美観地区を回った後、そのまま足を延ばして瀬戸大橋の麓まで行った。昨年末ごろよく来ていた造船所の目と鼻の先だった。
地図アプリでガイドをしてもらうも、目的地付近が案内が終了し、近くまでは来ているものの目的地は見つけられない。ホームページの情報を頼りにこの道じゃあないかと進んでみると写真で見たのと同じ景色にたどり着いた。
目的地まで残るは細い登り坂一本、車一台がぎりぎり通れる細い坂だった。よし行くぞと、非力なジーノちゃんのアクセルを深めに押し込み、坂を登り始めたところで、対向車が出てきて登坂は失敗となった。
結局、坂の下に車を停めて歩いて坂を登った。坂の上には小ぶりな白い2階建ての建物だけがぽつんと建っていた。建物の外観とは少し似つかわない黒塗りの木製ガラス戸を開けると、中は薄暗く、ひっそりとクラシックが聞こえた。その時は満席で、待っている人も少なそうだったので、空席ができるまで瀬戸大橋の全貌が見えるというさらに上の高台へ登ることにした。
高台からゆっくり瀬戸大橋を渡っていく小粒のような車や、千光寺から見下ろすのと変わらない夕日に照らされるきれいな瀬戸内海を眺めていると、空席の知らせを受けて、すこし小走りで登ってきた道を引き返した。
再び店内に入り、席に通してもらう。見渡す限りアンティークな装いで、かわいらしい什器で埋め尽くされている。渋谷のライオンのように、その場自体が長い年月をかけて積み上げたような荘厳な空気とはまた違う、その調度品の一つ一つを愛を持って探し出して、集めたもので丁寧に作り上げられたような空気感があった。メニューに書いている言葉からも滲み出る店主の方のあたたかい気遣いが空間にも行き渡っているんだろうなと、珈琲を飲みながら考えていた。
そう、思うのですが、名曲喫茶はインスタレーションに違いない。
丸く天井が切り取られて陽の光が差し、足元には水滴が流れる場所にいるときのような、先の見えない暗室で点滅し続ける電球を見つめているときのような、その空間に存在することでのみ感じ得る、物体があるいは空間が語りかけてくる瞬間がある。
そんな空間を尾道に作りたい。尾道に来る人たちが求めるものとの親和性はかなり高いんじゃないかと思う。最近見えてきた自分がここで本当にやりたい事、銭湯、名曲喫茶、継業の仲介、音楽、好きなものを置いて売ることだな。
3月31日(金) 夜に桜を見に
その日の夕方、唐突に花見したいよねという話になり、仕事帰りにスーパーでお惣菜パックを少し買って帰って、右手にパック、左手に缶ビールの状態で坂を登り始めた。
自宅の裏から千光寺山を登るルートは、明かりが少なく足元もガタついているけど、あまり使っている人がおらず裏道感があって良い。それに登り始めてすぐから桜が見られる。上に着く前にすぐ見られちゃったね、なんて少しばかりの明かりに照らされた桜を愛でながら、上がる息を抑えて登った。
上の広場に着くと、花見客でいい感じに賑わっていた。幸運にも一つだけ開いているベンチを見つけ、腰かけてお惣菜をつまみながら桜を見上げた。
いろんな地場の企業が協賛で提灯を出していて、知っている企業を探しながら展望台の方まで歩いた。就業先の名前の入った提灯が埋め尽くしているやばい一帯もあった。 高値という情報だけ掴んでいたイカ焼きの屋台を警戒しつつも、堪えられず予想を少し超えた金額を払ってイカ焼きを食べた。フライドポテトも食べたけど、サクサクしててしなしな党としては残念だった。
3月終わり。花を愛でる気持ちと夜の散歩を楽しむ気持ちはこれからもずっと持ち続けたい。時計の針が止まって見えることはなく、時間は絶えず進み続けるけど、留めることも大事なことだ。
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