ベニヤの閉店

5月末日、商店街の端に佇んでいた結納専門店のベニヤが閉店した。弐拾デシベルの藤井くんに3年前位前に教えてもらって以来、友人の結婚の際はここで手作りのご祝儀袋を買って、店主のばあちゃんに筆と墨で名前を書いてもらっていた。他でご祝儀袋を買ったことはない。なので、少ないながらも思い入れがあり、店の前を通りかかった時にふと「5月末で閉店します」という張り紙が目に入ったときには驚きと寂しさがわーっと押し寄せてきた。

ばあちゃんに名前を書いてもらっているとき、昔の話を色々と聞いた。印象に残っている話として、お店を始める前に住み込みで働いていた京都かどこかの料亭の料理の華やかさや煌びやかさに刺激を受けて、そのイメージを膨らませて祝儀袋を作ったという話がある。何事も勉強だと言っていた。このご祝儀袋を持って結婚式に出ることもそう、主賓の方の挨拶をよく書き留めて来て、自分が頼まれたときの参考にするんだと、3万円分勉強させて貰って来るんだよと毎度言われていた。

閉店には自身のご年齢のことの他、新型コロナウィルスの影響で関係する業者若い子たちが、お金を払えないと嘆いているのを聞いたことも関係していると話していてしんどくて辛くなった。理由は何にせよ、あったはずのものがいつの間にかなくなってしまう現実がすぐそこにあることをまたしても突きつけられた出来事だった。そういえば、生地が柔らかくて気に入ってよく着ていたYUKIの10周年ライブで買ったTシャツはどこにいったんだろうか。


自粛が始まったとき、色んなものが判断を迫られてチキンレースみたいな状況になっていたけど、緊急事態宣言が解除された今は、いつスタートをかけるかという逆チキンレースが起きているように思う。多分、自分はかなり後の方なのだろう。今週末に3ヶ月ぶりに練習をして、日曜日には1曲だけレコーディングして、その後ももう1曲録る予定を立てているけど、それくらいだ。その音源が別々の形で世に出てから、きっともうしばらくしてからやっと動き始めるんじゃないかなと思う。

曲が1曲でき上がって、さらに3つ曲の土台がある。出来上がった曲は映画の終わり、映写機が淡々とエンドロールを流しているような感じの曲で、最近買ったエフェクターも映写機から着想を得たものらしく、なんとも不思議な重なりだなと思った。3つ土台のうち2つは、ゆきのぶさんがベースのフレーズをくれた。シンプルで哀愁があるメロディ、だけど要所で意表を付いて来てすごく良い。ゆきのぶさんは、音楽的な思考がメンバーの中で一番近いと思っていて、今回のフレーズを聴いて改めてこの人を誘ったのは間違いなかったなと再認識した。それに、人のフレーズから曲を作るのは初めてのことで楽しくなってる。

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映写機の曲を作り終えてからはジャガーのブリッジポストの隙間を埋めて共振を抑えてみたり、テスキャスの擦り切れていたサドルのコマをサラダ油漬けにしながら四苦八苦して、先の尖ったコマに取り替えたりした。何となくそれぞれ効果があった(音に張りが出た)気がする。

それから、大学生の頃ぶりに裁縫をしたりしている。大学生の頃にしたように部分的な解体・再結合で服を組み立てるのではなく、設計図を描いて生地を切ったり縫ったりして0から作った。楽しくて時間を忘れてしまって1時まで夜なべしたことで、ただでさえ辛い月曜日がさらに辛いものになったけれど、良い感じの鞄を仕立てることが出来上がった。これで得意げになって次はシャツを作りたいなと思って、妄想を膨らませてる。数は少ないかもしれないけれど、楽しいと思えることを今できる方法でしかとやっていくぞ。実現の可能性がある妄想が一番おもしろいなあ。


近所の3匹の猫のために、100円ショップでブラシを買った。帰りに1匹灰トラの子がいたので、早速使ってみると随分気持ちが良かったらしく、膝の上で丸くなって寝ていた。ひたすらかわいくて悦に浸れるくらい良い散歩だった。

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