芸術、愛と想像、自由と幸福

この日を待ちわびていたのかもしれない。
去る3月9日、レミオロメンの大名曲のタイトルの日、私の心を震わせたバンドが集まってくれて、その場にいた人の心をまた同じように震わせてくれたのだ。

私たちは他人であるが故に同じ魂を持つ人と出会う確率なんて、海の中でガラス玉を探すようなものだと思っているし、同じ感覚を味わうことはできないと分かっている。たとえ何か良いと思ったとしても、実は人によって良いと思ったポイントは違うのだと最近はひしひしと感じていた。そういうものなのだと、他人なのだからと諦めている。

それでもあの日、キャバレーに蛍雪が灯ったのだ。心が震えたのだ。全てのライブが終わった後、話した人の目がそう言っていた。心からあの夜を祝福したい。


最近ではすっかり自転車で京都の街を巡るのにも慣れた。巡ると行っても、予定していた時刻を大幅に遅れて尾道を発ったお陰で京都に着いたのは15時ごろ。それ程時間はなかったので、宿を取った二条城の辺りから市役所の方にある銭湯 桜湯に向かって、足を伸ばしきって湯に使った。あ、おばちゃんのいらっしゃいの挨拶がおいでやすだった。京都だ。

浴室にはなんとも奇怪なことに鯉が泳いでいて、その背ビレや尾ビレがなびくのを眺めながら、湯で体をふやかす事ができた。まだ陽も落ちない開店直後の浴室は、人でごった返すことはなく、ぽつぽつと等間隔に、鴨川沿いのカップルのように十分に間を空けて、何人かの隣でシャワーを浴びて銭湯を後にした。

その後、火照った体も冷まさず少し暗くなり始めた街で再び自転車を走らせた。西院に東京スーパースターズが来ていたのだ。それも東京スーパースターズの曲名がバンド名の由来であるcimaneの新しい音源のリリースのお祝いのライブに出演するためにだ。このアナウンスがされた時、迷わず行くことを決めた。夢がありすぎると思ったし、胸が高鳴りが治らなかった。

東京から来ていたもう1バンド、merimeriyeahから始まって、穏やかながらも沸々と湧き出る焦燥感がとても良かった。音源が出たら買ってしっかり聴きたいと思った。

次に企画者のknitと続いて、前に観た時とベースとドラムが変わっていて、正直今回の方が自分はかなり好みだった。ベースはめちゃくちゃ伸びやかだし(どうやらmy ex.の方だったらしい)ドラムは音の鳴らし方がとても良くて、グッと心を掴まれる場面が多々あった。ギターのフレーズやコードはどれも少し物哀しくてすごく良い。そしてボーカルには飾りっ気のない熱がある。

そしてロングセットの東京スーパースターズ。東京に住んでいた頃はよく観ていたが、それっきりだったので実に4年ぶりだった。穏やかなグッドメロディな始まりで沸々と高まっていって、サーチライトで感情が決壊した。新曲も穏やかなグッドメロディと爆発する轟音の展開が共存していてとても良かった。
最後はやっぱりドアーで、毎度のことながらアウトロで完全にやられた。knitの市川くんがギターの西田さんに腕を掴まれてステージに上げられて、全部ぐちゃぐちゃになって終わった。とてもきれいだった。

cimaneはクボくんがもう1つやっているby the end of summerから知ったバンドだけれど、今となってはもうすっかり別物だ。当然なんだけど。
元々日本語詞で歌うバンドの方が好きなのもあって、バイサマは英詞、cimaneは日本語詞のクボくんのバンド、というように聴き分けていたけれど、cimaneはベースの和音の使い方が何より好きになっているかもしれない。2本のギターのアンサンブルの積み重ね方もすごく好きだし、クボくんの歌もとても好きだ。新譜のなんでと土踏まずは本当に名曲だと思う。また何度でも観たい。


次の週、つまり昨日から有給を取って連休を繋げてまた京都の街を自転車で駆けていた。
春はやっぱりどうにも目がうまく覚めず、尾道を出るのはやはり遅くなってしまった。16時過ぎに京都駅に着いてゲストハウスにチェックイン、自転車を借りて出町柳へ向かった。

名曲喫茶に立ち寄って、鑑賞室から漏れる音を隣の談話室で聴きながらコーヒーを啜った。京都の喫茶店のコーヒーはかなり濃いから、本当に啜るように、舐めるようにちびちびと。

そして出町座で21世紀の女の子を観た。愛おしくて愛おしくて愛おしくてたまらなかった。
短編のオムニバス形式で内容は違えど性を題材にしている。小難しいものでも何かを攻撃するものでもなくて、そのままに描く。確かに伝わるものがあった。ふつうに生きてるだけで生じるなにそれって出来事。頼んでもないのにやって来る事。否定できない事、したくない事。
女の子たちが女性らしさを強要されて、男が権力を持つ世の中に生き辛さを感じているのと同様に、男の中にも男らしさを強要されて生き辛さを感じている人間もいる。少なくとも違和感がある。女々しいってなんだよばーか。

少し高かったけれど、上映後に迷わずパンフレットを買った。すぐ読みたかったのだけれど、20時も過ぎてお腹も空いたので、一旦大量のもやしとニンニク、ワシワシの太麺のラーメンを胃に詰め込んで、三条の柳湯で一息ついてから深夜までやっている喫茶店に飛び込んだ。

暗がりの中で買ったパンフレットを読んだ。それぞれの映画の断片を切り取った写真と紡がれる各監督の映画に込めた願いが書かれていた。

心と体をちゃんと繋げて生きていたいと思う。社会からの見られ方、体裁といったものは随分前に自分と切り離したと思っているのだけれど、今でも付きまとうものは少なからずあって、中々心の通り体を動かせなくなってしまっている。だからこそ、心と体をちゃんと繋げて生きている人には憧れの念を抱くし、自分もそうでありたいと願う。その代わり、なるべく全部責任は自分だけで背負おうね。

先にも書いた通り、同じ魂を持つ人に出会う確率は本当に低くて、そんなことを思わされる度に絶望してしまう。何もかも考えすぎる人間は生きることに向いてないってさ。だから考えることをやめてしまうんだろうか。あなたはいつかそうしてしまうことができる?
誰かといることで見たいものが見えなくなるなんておかしいじゃない。誰かいるから見たいものが見えたり、自分が見たいものをその人も見たいって思っていたり、そんなのがいいと思うんだけど、現実はそうじゃないのかな。
それでも一緒にいた方がいいんじゃないかって思うんだけど、あなたはこの情景をどう思いますか。


今日の夜はアメリカのMineralを観る。ほぼ間違いなく感情が決壊すると思う。それはきっと明日のライブに繋がってしまうと思う。開くんがベースを弾く最後の日だ。いいライブをしたい。

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