うっすらと重い

8月はこれら3つを観られたらいいなと思います。

田凱 「生きてそこにいて」

遠い夏の日、家の近くで、石で遊ぶ僕がいる。将棋をやってるように見えるが、それは独自のコマの動かし方だった。
突然、横から、同級生が突っ込んできて、僕のコマを拾い、近所の窓に投げる。
ガシャーンと音がして、逃げ出すふたり。
公衆浴場の表の人だかりに身を隠すと、ある女性がこの中で変死したとの井戸端会議が、耳に入る。容疑者はすでに逃走したが、被害者は〇〇家の娘だ、と噂に聞く。
窓を割られた家のご主人は、のちに中学校で会ったら、英語の講師だった。英語を猛勉強する。
数年後、上海で再会した幼馴染は自分はホモセクシュアリティだと告げた。僕は彼が繊細な心の持ち主だと気付いていた。彼は、幼い頃に母親が働いていた病院が印象深いと回想したが、その病院は地方企業に早々に買収されたが、患者数減少でとうとうつぶれてしまった。当時の公衆浴場事件で、逃げた容疑者は病院関係者だった。今頃どうなってるのかは不明らしい。
小さな場所だったが、不思議にもなんでもあった。
人の繋がりが強いコミュニティで、居心地が良いと言う人もいれば、悪いと言う人もいる。
廃校になった学校のキャンパスを撮影しに向かった。親の知り合いが現れ、廃校を買い取って運動場で養兎をしたという。兎の群れが教室に詰めかける夢を見た。人がどんどん去って行く、いずれこの町は自然に戻る。



川島小鳥 「まだなまえがないものがすき」

とってもちいさいもの
どうってことないささやかなもの
だれのめにもとまらないもの
おせじにもきれいとはいえないもの
       谷川俊太郎「どうでもいいもの」より抜粋

「数えきれない世界のカケラ」を写し撮った写真。最近撮った写真もあれば、20年前に撮った写真もあります。心が動いて思わず撮ってしまったような、理由のない写真たち。
詩で綴られることばは写真を補完するためではなく、またその逆でもなく。写真と詩と見に来た人の心の中がつながるような、そんな展覧会になると良いなと思っています。



「Tribe Called Discord:Documentary of GEZAN」

人はどうして旅にでるのか?
出会いは時に、心地よかった生活を揺さぶる。
輪郭を手にした悲しみや怒りはイデオロギーという枠組みを超えて直接、肉体を打つ。
それでも今日も扉を開け、裸足で飛び出していく。
さよならの数に追いつかれないように、今日もはじめましてとまた会えたねを積み上げる。
一つ一つ丁寧に生きることしかできないんだ。
そうやって旅を続けていく。
問いかけと答えでカバンにいっぱいにしながら。 

―マヒトゥ・ザ・ピーポー


今夜は18曲聴きながら数日振りに湯船に浸かった
とんでもなく素晴らしいなあ



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