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煩悩のカタマリ

ステージⅣのがん宣告を受けてから あと3カ月弱で3年になろうとしている。
しかし終活とかには全然考えが及ぶべくもなく、まだまだ煩悩のカタマリである。まあ、そもそも人間は忘れる能力があるから生きていられると私は考えている。一応何か少しでも生きた証を残したい、という気分もあったりはするのだが、怠けグセはなかなか払拭できず、若い頃の体力は失っているのは確かなので何も残せずにいる。
これまでの人生を振り返ってみると中学の頃が絶頂でまあクソのような人生だなと思わないではない。
大好きだった中島らものエッセイ集『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』に次のような一節がある。
「何十年に一回くらいしかないかもしれないが『生きていてよかった』と思う夜がある。一度でもそういうことがあれば、その思いだけがあれば、あとはゴミクズみたいな日々であっても生きていける。」
考えてみれば、中島らも氏は2004年に52歳で亡くなった。気がついてみれば、もうその年齢をかなり超えてしまっている。

元に戻って、まだまだ煩悩のカタマリである自分としては、終活とかデジタルデトックスとかをやろうという気は全然起きず、ネット記事とかつぶやきとか結構集めたりしているが、残しただけで終わってしまい、整理もできずにいる。
それでネット情報の整理に悩んでいたりするわけだが、最近、次のようなことを思いついた。

残しておこうと思う情報を見出しを付けて自分宛てにメールで送る。
自分宛てのメールだけで結構な量になるので、自分宛てのメール見出しをスクリーンショットで保存する。こんな感じである。


まあ、こんな感じで、いつ頃どんな情報が気になって保存したのかは簡単に見直せるので、とりあえずしばらくはこれでいってみようと思っている。

興味の対象が非常に雑多で、これだけではなかなかまとまりがつかないのだが、一応は災害が専門であったこともあり、新型コロナと専門家の問題などはそのうちまとめてみたいと思う。

そう言えば、今年の豪雨災害や現在進行中のモロッコの地震災害なども気にはなっているのだが、ここに何かしら書くかどうかは今のところ定かではない。

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