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手の届かない憧れなら、却って害悪かも知れない

ちゃんちゃらおかしいと笑われるかも知れないが、僕はスーパーマンになりたかった。
ブラックジャックみたいな凄い外科医に憧れたし、ヘリに乗っていた頃はコードブルーのような現場活動に不謹慎ながらアドレナリンも出た。
ただ、そう言う超人的な能力もさることながら、僕が真に求めたのは、本当に必要な時に現場を守れるタイミングの良さ、だったように思える。
自分が凡庸であることを知れば知るほど、このタイミングの良さへの憧れをは強まっていった。

自分がトップナイフになる道を早々に諦めた時から、僕はスーパーマンは特殊な存在だなと思うようになっていた。
アメコミの設定からしてそうだ、そもそも地球人じゃない、根本的に異なる存在。
それは過去に学業の世界で感じた才能の違いと同じ、スタートラインも伸び代も違うチートのような存在。
タネも仕掛けもなく空を飛べないし、誰かから受け継げるだけの器量も資格もない。
スペックは脇役、その中で辛うじて主役になれる物語があるとすれば、それはただの努力でも成立する世界だ。

だから、僕はブルース・ウェインになりたかった。
スーパーリッチで頭脳明晰ではあるが、彼はただの人間だ。
神話の生き物やら宇宙人やらサイボーグが闊歩する世界観で、努力と財力のみで戦う。
そして、ウチに秘めた闇、僕は、バッドマンになりたかった。

いや、違う。
なりたかったんじゃない、なりたいのだ。
ヒーローは時折負ける。
人間故の限界もある。
それを許容した上で、現場が求める時、誰かが必要とする時に、そこにいられる存在でありたいと願った。
そういられるように理想と現実の差分を埋める作業を繰り返している。

人に言わせれば、それは時に病的らしい。
そりゃそうだ。
埋めても埋めてもゼロにならない差分を粘着質に潰しているのだから、それが真っ当な状態のわけがない。
バットマンだって空想上の存在。
いくら人間だからって到達できる領域のわけがない。


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