いのちの絵

その男は自分で描いた微笑む女の人の顔の絵の上でシコッて、絵を精液でぐちゃぐちゃにする趣味があった。私はそういう類の奴の絵が好きだった。絵でも音楽でもなんでもそうだが芸術をなんらかの手段にしているやつの絵は特別な感じがする。命が宿っている気がするのだ。女の視線や、表情に宿る存在の濃さというか、リアルさというか、生々しさは一種のグロテスクだと思う。それに妙に惹かれるのだ。
これはたぶん、私がおかしい人だからではない。男の描いた女の絵は誰だって目を引く作品だろう。魅力に納得できるかどうかは、この感情の行き場を知っているかどうかなんだと思う。
どうにか自分を描いて貰えないだろうか。男に作られて、それかま滅茶苦茶になってしまったら、どんな気分になるのか。自分や彼にどのくらいの価値を感じさせる事ができるのか。というか現実の人をモデルに描いているのか?こんなに綺麗に笑う女なんているのか?悲しくなってきた。
私は男に接近を測っていたが、男は私を描こうとはしなかった。タイプじゃないから無理か?チクショウ。
神様ではない人間の対応は疲れる。彼は全く、すごくはないのだ。すごいことにしてはいけないのだ。そして実際すごくない。ただ絵に命を宿せる事が出来るだけなのだ。何が言いたいのかというと、彼の絵の価値というものは、彼しか知らないという事だ。私はそれを知ることができない。そして評価することもできない。どうにかしないようにするためにはとても体力が必要だ。人というものは1つの人との関わりで、いくつもを学んでしまうのだ。できるだけ彼に精神的な干渉はしたくなかった。

ある日その男は「山の絵を描きたい」と言った。私は山に着いて行った。山を登っている最中、私は途方もないくらいどうでもいい話を延々と続けた。彼氏の話、昨日風呂でコケた話、田んぼでイモリが死んでいた話。おばあちゃんが死んだという話を友達から聞いた時に、なんと言えばいいのか分からなくなって笑ってしまった話。この話はなぜかウケた。こういう話で笑うような台無しな人間で勝手に少し救われた。
「山はさあ」
目的地(らしい)に着いた時、男は''私に向けて''呟いた
「うん」
「細かいからいいね。あんなにデカいのによくみるとすごく細かいから」
「はあ」
「いいんだ。すごく。細かいから色んなところが深いんだ。」
うるせえ。黙れ。
お前の山はクソだ。
嘘つきの絵を描くな。嘘つきの絵を描ける人間は、ちゃんと生きていけるんだよ。お前がかけるのは、お前がかけるのは、お前がお気に召したどうしようも無いもの達だけなんだ。灰色の燻った魔羅め。灰色の絵め。灰色の命め。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?