想イ躁鬱メモ ♯1
※皮脱げ注意なのだ。
私は鬱の時にできる事が本当に限られており、躁の時出来るとおもっていたことが何にもできなくなるのである。
しいていうなら、今就労移行の在宅訓練に通い、時々小遣い稼ぎをすることしかできないのである。躁の時は予定を入れまくり、あれもこれも出来るぞと尊大な思考回路を起こすが、鬱の時は省エネモードには入ってしまい、家事も何もできない無能なゴミパンダになってしうのである。
私は鬱よりも躁の尻拭いをしている現在の状況が怖い。躁にならないよう、やや鬱くらいの思考回路で生きていたい。
今パソコンに向かってるのは、鬱の時に出来る事の記録だ。
鬱の時、私はパソコンでアウトプットならできる、たとえば何かしら作品や記事を読んで感想を言うとかのインプットは出来ない。しかし、過去に読んだり見たりした作品の感想を書いたり、記憶にとどまってる出来事は書ける。
私は地味にこころの検定の勉強をしてるのだが、確か記憶を蘇らせる事を反芻と呼ぶ、引き出しから記憶を呼び起こす事だ。
元気な時ほどインプットを出来るので、インプットは普段からしていてもいいかもしれない、鬱の時にこうして反芻すればいい。
そして少し無理をする、余りに重い鬱の時に無理をしすぎると良くないが自己肯定感は少しだけ復活するからだ。
出来る事として
アウトプットは無理なく続ける。
少し無理する。
の二つが私には有効そうだ、もう少しこれからも鬱の時の様子を掘り下げて行きたい
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