固定観念や常識に"囚われずに"、物事に新しい視点を見出そうとすること

以下の動画は、2008年に急逝したアメリカの作家David Foster Wallaceが2005年にKenyon大学でした卒業スピーチです。

大体こういうスピーチで語られる、ありきたりな話の最たるものが、「リベラルアーツ教育の目的は、知識をためこむことではなく、『自分の頭で考えられるようになる』ことである」というやつです。(中略)でもここで一つ提唱したいのは、この話は実は侮蔑的ではなくて、大学で得るべき真の教育というのは、「自分の頭で考えられるようになること」ではなく「考えるべき対象を選べるようになること」だからです。

唯一無二の真実とは、「どう物事を見るかは自分で選択できる」ということです。これこそが君たちが受けた教育が生み出す自由の意味です。「適応力がある」という表現の意味です。何に意味があって何に意味がないのか自分で意識的に決められること。何を信じるか自分で決められること。

これは水です

物事をより抽象的(メタ)な視点から捉えられること自体が、すべてのアウトプットに優越する価値ある”在り方”ではないか

このスピーチに提唱されているように、物事を見たときに、自動的に喚起されてくる思考にとらわれるのではなく

「この視点は唯一無二ではない」
「もっと面白い見え方があるのではないか」

と思える”思考プロセス”そのものが、その問題をどのように捉えるのかというあらゆる解釈・アウトプットに優越する のではないでしょうか。

知的探求者とは、一切の色眼鏡を外して物事を無垢に捉えられる人

ビジネスにおいても人は常に、過去の成功パターンや他人の意見の援用、自分の思考・心理的コストがかからない易き方向に流れがちです。

もちろん大多数の問題が、過去の成功法則を当てはめることで対応出来てしまうことも事実ですが、そういった無思考・ロボット的なやり方を積み上げていっても、そこにランダム性、外れ値を含んだ試行が営まれる余地はありません。

局所最適の積み上げが全体最適につながらないように、失敗することも含めて新しい視点、異質な挑戦を内包する”あそび”をもった状態こそが、マクロかつ長期の成功の芽を育んでいくと思います。

なんのためにそれをやっているのか を忘れない

会社で営まれるすべての問題解決、試行錯誤のプロセスは、上司に与えられた問題解決手法を”無思考”に行うだけでは面白くありません(し、それを僕たちは求めていません)

アルゴリズムが掲げる知的探求者たる”在り方”の追求、
それはこの動画に掲げられたように

「どう物事を見るかは自分で選択できる」

ということを、日々の営みの中で常に自覚し、再発見し、証明しつ続けることなのだと思います。

目の前に与えられた課題とそれに対する解決策、過去の成功パターンなんかをそのまま受け入れるに留めず、

「これは本当にそうなのか?」「よりよい解決策があるんじゃないか?」「この物事をどう見るかの自由が自分には与えられているんだ」

こういったことを忘れずに日々の問題解決に挑めるのであれば、その営みこそが、物事を表層的・画一的・形式的にとらえてしまうような思考ゾンビを抜け出し、物事の深奥を探り続けるという何物にも代えがたい価値ある「在り方」を、血肉としてあなたに提供してくれるのではないでしょうか。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?