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レビューRadio現場 vol.42 『ヤングケアラーの気持ち』feat.宮崎成悟さん(10分弱で読めます)

Radio現場 vol.42
2022/09/10 21時〜のだいたい1時間番組!

私的にセブンスイーツ「白玉と栗のクリームぜんざい」をスタンバイさせて拝聴する中秋の名月の「Radio現場」!

永ちゃんについて熱く語る吉田さん。
『ちゃんと手を抜かずに生きているかー!』という永ちゃんのメッセージを吉田さん越しに頂戴しました。
永ちゃんが唯一泣いたライブに参加して以来2回目のライブ参戦だったと吉田さん。
(ここまでの前振りでおよそ5分)

今回のゲストは、ヤングケアラー協会の宮崎成悟さん(以下、宮崎さん)。
吉田さんとの出会いのきっかけは、リディラバの安部敏樹さんに呼ばれて登壇した時にご一緒だったご縁から。

2022年現在で33歳の宮崎さんは、昨年まで 17年くらいヤングケアラーとして生活されてきた(お母様が亡くなったため、過去形)。
多系統萎縮症に罹っていらしたお母さん。
宮崎さんは、15歳の頃には買い物のサポートや通院の付き添いなどをされていた。
高校生になって徐々にお母さんの体調が悪くなり家事がままならなくなっていったという。
宮崎さんが洗濯や食器洗いなど、自分のことを自分でするようになったのは、高校1年生の頃。
高2の時には、料理も宮崎さんが担うことに。
宮崎さんは、お父さんとお姉さんと弟さんとでケアと家事を分担していったとのこと。
高校3年生の頃からヘルパーが徐々に入ってきたのですが、その時には宮崎さんの負担が随分と重くなっていたのだとか。
一度床につくと一人では起きられないほど病状が悪化されていたお母さんの介護をされていたそうです。たとえば2階の寝室から1階のトイレまでお母さんをおぶって連れていくなどされており、寝不足で学校で眠ってりゃいいや!的な感じであったという。
高3の冬にはお母さんが気管切開となり、ほぼ寝たきり。大学進学を一旦諦めてお母さんの傍にいる決意をされた当時の宮崎さん。
なぜ、進学を諦めようと思ったのか?の問いに対し、宮崎さんは「当時、ケアの中心が僕であったので、それを家族の誰かに丸投げすることができなかった」という。「家族の中で一番融通がきくのが僕だった」そんな思いから。
2階の部屋で宮崎さんが受験勉強をしていると、お母さんがナースコールをすぐ押されるのだそうで、駆けつけると「ここが痛い」「向きをかえて」「死にたい」などの訴えが。
また、発話が難しくて言葉の解釈がままならないことも多々あったそうです。
高3の次の年に、調理師になることを志した宮崎さん。家庭で料理を作っていたことを活かそうと考えられたとか。調理師のことを親戚の人に相談したところ「本当にそれでいいの?」と心配をされ、実は進学したかった胸の内を吐露する運びとなり、結果としてその親戚の方が、お父さんとお姉さんに「ちゃんと分担しよう」と意見してくれたという。
以降、宮崎さんは午前中に介護、午後から予備校というライフサイクルに改まったとのこと。

そしてこの頃、医療介護の現場の人々から“してもらって嬉しかったこと”が2つあったそうです。
【訪問入浴と訪問歯科の方にお褒めの言葉をいただいた、と話すイケメン宮崎さん】
一つは、「勉強どう?」「なんか困ったら、ここに電話してきなさい」と声かけをしてくれた訪問診療のドクターがいたこと。
「僕を一人格としてみてくれている」と感じたという。
利用者が主流、家族は傍流、の介護職。“家族支援”という言葉はあるけれど、なかなかそこまで手を差し伸べるケアの者はいない。私だって全然できていない。
もう一つは、ヘルパーさん宮崎さん自身の洗濯物も洗ってくれたこと。その洗濯が、すごく助かったと宮崎さんは語る。少しだけ職域を超えた優しさがヤングケアラーの心に響く、その事実に私の心も動かされました。

大学に通えるようになった宮崎さんであったが、お母さんの食事に時間がかかったり、なかなかベッドに行こうとしてくれないなどして睡眠時間を削られ、大学に行けない。そんな2年間を過ごすようになっていった。
一番キツかったのは、大学の友人に「何で来ないの?」と言われてしまうことだったという。
「介護しているから」と言っても、理解されないだろうし、暗い話になってしまう、また、本当のことを言ったらもう誘われなくなるんじゃないか?との思いから、自分が親の介護をしているということをカミングアウトできなかったのだそうです。
それで「バイトしてる」とずっと嘘をついていた宮崎さん。だんだん、大学に行くのが苦痛になっていった。
なりたくてなったわけではないのに、独りぼっちになっていく辛さ。

そんな宮崎さんに転機が訪れる。そのきっかけは、クラブに行くようになったこと。部活動でなくて夜の街がよく似合う方のクラブね。書き言葉ではアクセントが表現できないのがつらいところ。
元々ファッションが好きな宮崎さんには、高校時代からDJをしている友達がいて、イベントとかに誘われていた。
お母さんの介護に一区切りをつけて22時頃に出かけ、4時までクラブで過ごすという夜の生活スタイルが、ぴったり合っていた宮崎さん。
そしてクラブでは、音楽とお酒があることもあって、周りから根掘り葉掘りあれこれ聞かれることがない。クラブの雰囲気では「介護してる」と打ち明けても「ふーん、そうなんだ」で流される。
それが心理的安全性になっていったのか!
傾聴的姿勢でなく、距離感をあえて置くことによる信頼感
そんなに深い話ができないクラブで社会性を取り戻していったとのこと。

吉田さんもライブハウスで心のセルフケアを行なっていたという。
クラブの連中は、いい感じで無関心。車いすであることについて、頓着しない人たちばかり。
みんな音楽とお酒という‘前’を向いているので、横に居る人のことに程よく興味がない。それが、すごく“楽”。

宮崎さんが大学にあまり行けなかった言い訳も、“家族介護”から“クラブにハマっているから”に変えることができ、結果人とコミュニケーションを取るのが好きになっていったという。
装うことで(本当の姿を見せないことで)自分を取り戻すことができるということ。そこがとても興味深い。
サードプレイスがあることでの安全性。居場所が一つ増えるだけで人生変わってくるものだ。
華のある場所って大切
ヤングケアラーのサードプレイスとしては公民館よりも、華やぐ場所の方が良い。
【そうか、他者のオーディエンス感が人を癒すのかもしれない】

発信者としての宮崎さんの経緯。
4歳下の弟さんが大きくなってお母さんのケアを担うようになってきた(弟さんがヤングケアラーになっていった)頃、宮崎さんは京都の医療機器メーカーに就職。だいぶそこで はっちゃけたという。
しかし、3年後にお母さんの体調が更に悪くなって、東京に戻らざるをえず、会社に辞表を提出。
東京に戻ってきてから、難病支援のボランティアに参加したときに「宮崎さんもヤングケアラーだったんだね」と言われ、このとき初めてヤングケアラーという言葉と出会ったのだとか。それが6年前(2016年)で27歳の頃。そのとき自分が何者かが分かった感覚になったそうです。
当時17万人のヤングケアラー。その当時この概念はそれほど広がってはいなかった。
宮崎さんはヤングケアラーが17万人いるという事実に、「独りではない」という安心感と「自分と同じ境遇の人がそんなにもいる」という危機感を同時に抱いたのだとか。

ヤングケアラーの定義について、法制化されているものはないのだけれど、一般社団法人日本ケアラー連盟によると、18歳未満(義務教育から高校まで)とされているのだとか。
大学生は含まれていないけれども、入れた方がいいよね、とは吉田さんの弁。
2022年現在のヤングケアラーは、クラスに1人か2人はいるという【ざっくりめで計算しても20万人以上であろう】。

障害を得てからも当事者団体には「誘われるけど会わず嫌い」していた吉田さん。「だって俺、バンドマンだもん!」と理由をつけていたそうなのですが、行ってみたら、
「24時間テレビなんて好きな人誰もいなくて良いじゃん!」みたいな好印象だったという。

何より感覚が変わったのは、「ファッションショーをやりたい」と当事者たちが取り組んでいたことだったそうで。そのときに作ってもらった革ジャンを、今でも直し直し大切に着こなしている吉田さん。
只のことには何にでも手を挙げろ、と教育されてきた吉田さん。「モデルになってくれる人は挙手を」と言われて即立候補。
裏がニットの革ジャンを文化服装学院の先生たちが作ってくれたという。

自分もヤングケアラー同士で話し合える場を作りたいと考え、会を立ち上げた宮崎さんは、“ヤングケアラー協会”の代表としてサンジャポにも出演経験あり。
ヤングケアラー協会の活動内容としては、
①オンラインコミュニティの運営(2022年現在、約300名)。
②就職支援(企業側の認識も変えていきたいとのこと)。
③研修・講演。
④行政と協力して支援の窓口を作る(その一つにLINE相談窓口がある)。

特に企業側の認識を変えたい宮崎さん。
元ヤングケアラーで福祉に就いている人は多いとのこと。

ヤングケアラーの気持ちについて。
同情されるって、人として嫌なこと。
同情されるってどんな気持ち?と吉田さんから問われ、宮崎さんは答えて曰く「すごくしんどい。だけど、されたくもあるし」と。
宮崎さんにとって、声をかけて欲しい時もあるが、可哀想とは思われたくない。「偉いね」との言葉かけも違う。
同情の仕方にもスキルがあると考える吉田さん。爽やかに同情する人って、たまにいるらしい。

吉田さんが住んでいたマンションの理事長さんのお話しがふるっていた。
段差解消のスロープをおざなりにつけた管理組合に対して放った言葉。ここは是非とも聞いてほしい!
同情ではなく、価値を認めるということ。

宮崎さんは、Yahoo!ニュースに記事が掲載された時に、ものすごくコメントが(約2000件)ついた経験があり、そのコメントには、ありがたい同情もあれば、何言ってんだろうな?というコメントもあったりしたという。そこの境目ってよく分からない(言語化するのが難しい)と宮崎さん。正直で良い人だと腑に落ちた個人的ポイントであります。

いつになく熱い吉田さん。共感のあまり言葉にならなくなるってスゴいこと。

やっぱり福祉の者は、当事者の声を聴いた方がいい!に完全同意です!

森近さんの用意されていたオープニングトークは、1時間3分くらいから聴けます!

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