良くも悪くも気づいてしまう

昔から人の所作や視線、雰囲気からいろいろなことに気づいてしまう質だ。
良くも悪くも。

自分が感じたことを人に言っても伝わらない、変なふうに思われる、そんな思いを抱え込んでしまってずっとつらかった。

noteに書くことで吐き出したい。


とりあえず、今日気づいて嫌だったこと。

レジで前に並んでいたお爺さんが、マスクを外して指を舐め、お札を出していた。

ぎゃー!まだいるんだこんな人…コロナ関係なく衛生的にやめてほしい…店員さんも嫌だろうな…と言うか、店員さんを通して私にもそのお爺さんの唾液が間接的に来るのでは?
ぎゃー!いやだー!違うレジに行きたい…けど開いてない…ワンレジだ…
アイス買ったから早くしてくれないと溶ける…とにかく早くしてくれ…

と、ここまでまず5秒ぐらい。

脳は次の思考に移る。

でも、自分が歳をとって指先がカサカサでお札を取り出せなくなったらどうする?と考えた。
あのお爺さんのように。

店員さんにお願いして自分の財布からお札を出してもらう?
違う方法で指を濡らす?
どっちにせよ時間かかるな…後ろに並んでる人に迷惑かけてしまう…

正解に辿り着かないまま私の番が来た。

お爺さんがモタモタしていたからか、私のレジは殺人的な速さで処理され、小銭を出す時間さえなくお会計された。小銭出したかったのに。


歳をとったらできないことが増えてくる。
それは当たり前だ。
でも、若い時は想像できない。
街を歩くだけで、レジに並ぶだけで、遅いなー早くしてほしいなーどいてほしいなー迷惑だなーと思われる。
それは今、自分が実際そう思っているからだ。


実際、自転車でフラフラ道路を横断したり、まったくこっちを見ずに曲がって来るお年寄りのなんと多いことか。

若者の歩きスマホも本当に多いけど。
まったく周りを見ずに歩いていて、怖くないのか?
何もしてなくても、突然後ろから刺される時代なのに。
意識を失ったドライバーの運転する車が突っ込んでくるかもしれないのに。

私ならできない。怖くてできない。
自動車教習所で習った「だろう運転ではなく、かもしれない運転」が必要以上に身に染みてしまっていて生きづらい。

とにかく歩きスマホは邪魔すぎて、え?こっちが避けてあげる前提?なにそれ?とイラっとする。
ちょっとぶつかってやろうか?とたまに本気で思う。

電車の中でも眠ることができない。
変な人に刺されるかもしれないからだ。
そして、周りが助けてくれないかもしれないから。

死ぬことが怖いくせに、日々苦しまずに死にたいなとも思う。


とにもかくにも、そんなことを何も気にしない人が堂々と時間を使ってレジができるのだ。
歩きスマホをしながら無事に目的地に着けるのだ。

私の場合、ああなりたくない!と強く思いすぎて、何も言えない老人になりそうだ。

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