今そこにあるジェノサイド

お久しぶりのnoteですね。

ヤンサンのフリーレン回を見てポツポツと思う事があるので書いてみたいと思います。

最近ずーっと考えていた事に寄せてしまっているので思考が飛躍してる可能性はありますが、まぁいいじゃん。ちょっと聞いてほしい…

他者の気持ちが理解できない人(魔族)

ヤンサンでは作品全体の本質とか現代社会を反映している部分とかが解説されてるけど、私が言いたい部分は概ねこの(魔族)との向き合い方にあると思う。

というのも少し前にゲームの「moon」と「UNDERTALE」について考える機会があり、この二つの作品内での(魔族)との向き合い方がそれぞれ違っていて面白かったからだった。

Gルートも世界の一部である世界観

UNDERTALEではGルート、所謂ジェノサイドルートというモノが存在して実際にプレイが出来るようになっている。ジェノサイドルートを選択する主人公…それは他者を理解しない魔族のような存在の主人公だ。私達の心の中にも魔族は少しづつ存在している。

UNDERTALEではその魔族的部分から出現したジェノサイドを世界から排除しない。今そこにあるジェノサイドを見てみぬフリをしないのだ。

何だったら友達がジェノサイドルートに行ってしまったら?知人がジェノサイドルートの人の被害にあってしまったら?あなたならどうする?

ぐらいまで思考が持っていかれるし、だからこそジェノサイドルートでのキャラクターの行動に一々心を動かされてしまう。特にsansの最後までこちらに語りかけてくれる行動が非常に印象的だった。

ではmoonはどうか?
moonは何処までいっても優しい世界で救われる世界だったように思う。

moonはエンディングで冒頭にプレイしている従来のRPGゲームの販売中止が語られている。モンスターをジェノサイドして成長していく、勇者その物の否定だ。

この演出は現実と向き合えていないのか?と言うとそうゆう訳でも無く、ジェノサイドの否定は大人として真っ当な姿勢であり何ならある種、ゲームを制作している自分達の否定も意味していて、凄く誠実だと思う。

ここまで考えて「そうか…」と思う…

思想と現実の違い

そう、moonは非常に思想として正しく、「大人」の視点なのに対してUNDERTALEは現実的で具体的な行動を語っている「ストリートに居る子供」の視点なのだ…

これはどちらが正しいとかそんな話では無く、どちらもあって良い物だと思っている。

ただ、現実として私達はもぅ思想だけではサバイブしていけない。今そこ、すぐ真横にあるジェノサイドとどぅやって共存していくのか?を迫られている。

その現実の中でsans(UNDERTALE)は理解できない友達(魔族)との共存方法を提示してくれている。無駄に思えるコミュケーションを沢山取ってくれたりする所なんかもその一つだろう…そんな方法が優しくユーモラスに描かれていると思う。

でもそれも通用しない不条理な現実も描かれる…本当に、嫌になりますよね…

フリーレンは?

この「(魔族)とどう向き合っているか」の視点で色々な作品をみると面白いんだろうな〜っと思ったりしたのでした…。

フリーレンはどうなんだろう?
ちょっと読んで無い(読んでないんかい)ので何とも言えないのですが、ここまで人を惹きつけるって事は何かあるんだろうし読んで見たいな〜と思っています。

ここまで読んで下さり、ありがとうございました!
ではまた!

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