アイドルマスター_ステラステージ_20180104015650

月光剣ムーンゴールド 2章 後半

 花菖蒲のその奥、平屋建ての白石邸。
 朝の陽気をきりさいて、どこからともなく高笑いがする。閉めきっている茶室にもそれはきこえてきた。

「うるっさいわねえ。こっちはヤキモキしてるのにまったくもう」
 次席社長・秋月律子がいらだたしげに扇子を手のひらにペシペシやって音をたてていた。
「あーもう! 社長はまだ陳述書を書こうとしないの? 紬、報告きてないの?」
「はい、昨夜の11時からぱったりと……。おそらく、寝たのではないのでしょうか」
「むきーーッ! のらりくらりとやりすごしてあの人はもう~~~~ッ!!」

 扇子をかなりブリッジさせたところで、秋月は深呼吸した。メガネを正してから、居住まいも正した。
「ふうーーーー……ごめん、紬。取り乱したわ」
「いえ……」
「やっぱり一筋縄じゃいかないわね。覚悟はしていたけど、これほどまでに掴めない人だとは思っても見なかったわ」

「律子さん……やはり、辞めませんか」
 律子はにっこり笑顔で白石の隣にきた。
「大丈夫よ紬。どんな不測の事態が起きても対応できるように、ちゃんっと計画は練ってあるわ。予想された不安分子は全部こっちに抱き込んである。警察もこっち側だしね。まあ、さっそく何者かに秘書が取られて、社長が全くこれっぽっちも書く気配がしていないけど……。
 でも不手際が起こるってことは、ちゃんと進んでるってことだわ。だから何も心配しないで。終わったら紬にもちゃんと相応の席を用意するからね」
「そういうことではなく、こんな……悪事に手を染めるようなことは」

「これが終われば貴音と平和に暮らしていけるのよ?」
 肩に手をおかれて白石はビクついた。
「あなた達がココまでやって来たのはそのためでしょう? 会社をのっとれば、誰の目も気にしないで、のびのびと暮らしていけるのよ? わかってくれるわよね、紬」
 しだれた髪が表情を隠し、白石はうなずいた。秋月は満足そうに小さくうなずく。
「秘書たちを連れ戻しましょう。そうすれば社長もあきらめて陳述書を書くはずよ」
 しかし、と首をかしげる。
「一体なにものなのかしら。何人いるのかもわからないし、あまり流暢にしていられないわ。ここは先に何か手をうつべきね。うーーん、なにか妙案はないかしら」

 最上家ではお茶の時間になっていた。
「んんん~~~~、これ、おいひい~~~~! プチシューっていうんですか? 甘くて、サクサクーで、ん~~~」
「この紅茶もおいしい」
 矢吹と如月はお茶を楽しんでいる。西洋菓子と紅茶はすべて桜守が用意したものだ。

「おくちにあったようで、うれしいです」
 優しい微笑みの桜守は他のメンバーにも目を移す。
 最上・野々原・周防は神妙な顔でうつむき、紅茶にもお菓子にも手をつけていなかった。
「みんな食べないの?」
「こんなときにお茶なんて……とてもそんな気分にはなれません」

「やはり紅茶はほっとしますわ~~。んー。これはいいティーですね」
 縁側から当てつけのように千十郎の上機嫌な声がした。
「あら、おわかりですか? これは英国の紅茶なんですよ。紅茶お好きなんですか?」
「もちろん! 紅茶はわたしたち一族の嗜みで……、ではなく! たまたま、たまたまですわ。ここに来る前に、お紅茶のお店で、そう! 試飲しましたの!」
「本当ですか? この紅茶は、日本では手に入らないので毎回とりよせていたのですが、日本にもあるんですね! そのお店教えていただけませんか?」
「え、ええとーーーー紅茶がどーーしても飲みたくて駆けこんだお店でしたので、あ、あんまりちゃんと、お店の名前は、覚えていなくてーーーー場所も隣町で遠いしーーー」

「あの……千十郎さん。いつまでこうしているおつもりですか?」
「ナイスタイミング!」
 最上の質問に千十郎が勢い良く立ち上がった。
「ナイス……とは?」
「い、いえ。気のせいですわ」
「何が気のせいなのですか?」

 見上げている桜守から逃げるように千十郎はコホンと咳払いした。
「待つのも戦いのうちですわ。紅茶をのんで、お菓子を食べ、優雅に構えていましょう。どうせコチラには手がかりがないのです。ジレて動くのを待ちましょう」
「でももう、じっとしてらんないよ~~! こうしてる間にも、シャッチョーちゃんが、あんなことや、こんなことをーーッ!」
「待ちましょう」千早が言う。「相手も社長が陳述書を書くまで手出しができないはずです」
「急がばまわれともいいますわ。もしかしてこちらではそうは言わないのですか? あ、お紅茶のおかわりいただきますわ」

 桜守にティーカップを渡したその時、千十郎の顔だけが白石邸に釘付けになった。
「あれは……」
 最上は千十郎の背中ごしに顔をだした。銀色の髪をゆらし、背の高い侍が入っていくところだった。
「あっ、廃屋にきてた」
 他のメンバーも最上の隣へ。白石邸にその背中がすいこまれていった。

「四条貴音。あの方は、次席社長に雇われている用心棒ですわ。ご丁寧にわたくしに名乗っていきましたの」
「ねえそれって、副社長もぐるってことじゃない?」
「まさか紬が……。信じられないわ」
 心底驚いているようで千早が目を見開いている。
「それじゃあ、いますぐ副社長の家にいってききだそうよ!」
「いいえ、それは無理ですわ。あの用心棒がいる限り、わたくしたちにはどうにもできません。しかも、こちらの戦力は学生の青二才ばかり。とても勝てるとは思えませんわ」
 なにか言いたげに口を動かし、周防はツンと唇を尖らせた。

 秋月の背後にあるくぐり戸が叩かれる。開くと片膝立ちの四条が静かに頭をたれていた。

「きたわね。貴音に限ってないだろうけど、つけられてないわよね?」
「問題ないかと思います。が、念を押します」

 四条が顔をあげる。
「車を三台だしていただけませんか。できるだけ厳重に、どれにも警備をつけてください」
「読めたわ。つまり私たちは別のところに移って、もうここには誰もいないと思わせる。さらに、どこにいるかわからないように撹乱するわけね。ここにいるのに!」
 四条がうなずく。
「紬、至急手配してもらえるかしら。ちゃんと領収書もらうように言いなさいよ、今回は一番良いところ呼んでくれていいわよ。全部、経費で落としますから。フッフッフ。抜かりはない、抜かりはないわ」
 うなずく白石。その顔はあまりすぐれなく、四条は心配そうに目を細めていた。

 黒塗り車たちが白石邸に入っていく。縁側いる4人がざわめきたった。

「なになに、あの高い車! 三台も入ってく。器用だな~~、門、結構小さいのにスイスイ入ってくよ」
「警備の人たちもたくさんいるわね。よほど重要なことなのかしら」
「もしかして、ここから出て行くんじゃ」

 最上の言葉に、ケーキを食べていた周防がえっ!?と声をあげた。
「いましかないよ! 一台くらいなら桃子たちだけで、なんとかできるって!」
「ふた手に別れましょう。私と桃子、茜さんと歌織さん」
「お待ちなさい、明らかにこれは罠ですわ」
「もういないよ?」
 積み上げた座布団を椅子にして、紅茶に舌鼓をうつ千十郎。矢吹の声に目をあけると、4人の姿はもうなくなっていた。
「まったく……青二才ですわね」

「番南無に一台はいっていったよ!」
「三代に一台だ!」
「斎公に一台いったわ」
「三代からでていったわね」
「番南無にはいっていっちゃったよ?」
「三代に斎公から一台いったわ」
「違うよ、斎公から番南無にいったんだよ」
「あれあれ? ツ馬佐に三台いかなかった??」
「え? 二台が三代で斎公と番南無に一台ずつよ?」
「番南無に二台斎公に二台三代に二台ツ馬佐に一台だよ!」

「いい加減になさ~~~~い!!」
 部屋で円になっている4人に千十郎が叫んだ。4人が家から出たり入ったりを繰り返し、襖を開けたり閉めたりガラガラドタドタする音でイライラが募り、ついに爆発しのだ。

「あなた方お馬鹿ですの?! 二台二台二台一台って、7台に増えているじゃあありませんか! 追ってたのは三台でしょう?!」
「ハッ! そうだった! ってことは分裂したってこと?」
「そんなわけないでしょう! 完全に撹乱されたんですのよ!」

 4人は息が整って冷静になったのか苦い顔になる。
「今は待つ時ですわ。これ以上走り回ってもスタミナがなくなるか顔がバレるだけです。助けたかったら大人しくしていなさい」

 4人はしゅんとしておとなしく座った。千十郎は鼻で笑って、
「聞き分けのいい子ですわ。人の話を訊くのに関しては一人前ですわね」

 紅茶を口に運んだ。周防のほおがぷくーっとふくらむ。
「桃子ちゃんどこにいくの?!」
「裏庭で稽古してくるだけだよ!」
「わかった仕方ない! 茜ちゃんも付き合うよ! 茜ちゃんも稽古してないと、ウズウズってなっちゃいそうだよ!」

 周防が肩を怒らせて出ていってしまった。最上はたまりかねて千十郎の前に仁王立ちした。
「もっと口を謹んでください。あなたの頭と腕がいいのはわかります。ですが、もう少し相手の気持ちを汲み取って発言してください」
「わたくしは仲良しごっこがしたいわけではありませんの。これは戦です。どちらかヘマをしたほうが負ける。不安要素はつぶしておくべきですわ」
「つぶすって……それはあんまりではありませんか!」
「もう~~! みんな仲良くしてよ~~~~!」
 矢吹の叫びに最上は身をひいた。千十郎を見下ろす。まぶたを閉じ、優雅に紅茶に舌づつみをうっていた。
 最上はわざと足音がするように歩いて縁側にドカッと腰かけ、じっと白石邸をにらみつけた。

 日はかたむき、庭の草花も夕日に照らされてオレンジ色になっている。縁側の最上は、夕暮れの陽気の心地よさにうつらうつらと船をこいでいた。

「みんなみんなみんな~~~~っ!!」
 飛び起きて直立する最上。周防と野々原が駆けこんできた。
「そんなに慌ててどうしたの2人とも」
 夕飯を作っていた桜守と如月と矢吹が台所からでてくる。
「街に制札がでてたの!」
 最上が目をむく。「2人も外に出ていたの? 危ないじゃない!」
「怒るのはあとにして、これみてよ早く!」
 野々原が見せる写メをみんながのぞき込む。
 人垣の前に立っている制札にはこう書いてあった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 この街に密輸の手引をした者が多数潜伏している。
 一、外交の一切。
 一、夜間の外出。
 一、新たに発行する通行手形なしで街をでる。
 これらを今日から一ヶ月間禁じる。
 これを破ったものは一味に関与しているとみなし、禁固刑に処す。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 4人は絶句した。
「いちみだなんて、自分たちがやってるくせに!」
「こうなると下手な動きができなくなってしまうわね」
「とてもいい兆候ですわ」
 部屋の奥にいる千十郎は読んでいた新聞をたたみ、読み終わった束に積み上げた。
「まるで何もしてこないわたくし達にジレてきているのでしょう。この調子でさらにジレてジレてジレさせて、やつらの心に火がつくのを待ちましょう。新聞が読みたかったのでちょうどいいですわ。ありがとうございます」

 矢吹にお礼をいって10センチほどある束から新たに新聞を広げる。
「いつまで待てばいいの」
「いつまでも、どこまでもですわ」
 周防はワナワナと肩を震わせた。
 最上がその肩に手を置く。
「『者たち』『多数』『一味』……、次席社長は私たちが相当数いると思っているのかもしれない。だとしたら、向こうも流暢にしている暇はないのかも」
「動かない方がうまくいくってこと、だよね! そうだよね!」
「野々原さん、なんだか適当になっていませんか?」
「だってお腹すいちゃったんだもーーん! 稽古して街に繰りだして、さすがの茜ちゃんもお腹ペコペコだよ~~! ゆうごはん食べよっ! ねっ! 桃子ちゃんもへってるっしょ? 帰ってくるときホットケーキ屋さんみてたしさ!」
「あ、あれは、ただちょっと気になっただけで、べつにおなかがすいたわけじゃ……」

 ぐう~~。お腹がなったのは、桜守だった。
「見つかっちゃったわね」
 かわいく舌をだしランチョンマットを畳に敷いた。最上が微笑んでいう。
「いっぱい食べて、ココぞという場面でいつでも動けるようにしておきましょう。それも私たちの仕事よ」
「そこまで言われちゃしかたないよね~~~~、茜ちゃん余裕で惑星3つ飛び越えられるんだけど、そこまで言われちゃな~~~~しょーーーーがないっ! ここはおおまけに負けて、茜ちゃん夕ごはん食べちゃうよっ!」

 野々原は腕組みしてピョンと飛び、あぐらで着地すると、笑いが起きた。
「運ぶのを手伝ってくださーい」
 ぞろぞろ台所に入っていき夕飯を運ぶ。
 夕飯は温かいチャーシューメンだ。みんなで円になって団欒を囲んだ。

「千十郎さんも食べましょう!」
 暗がりで新聞を読んでいる千十郎に、みんながいる明るい部屋から最上が声をかけた。
「わたくしはお腹がすかないので結構ですわ」
「そんなわけないじゃーん! お侍さんはお腹が空くようにできてるんだよ? 恥ずかしがらないで一緒に食べようよ~~」
「わたくしには月見で十分ですわ」

 千十郎は開いている襖から外をみた。最上もつられてみると、夕暮れの空に半月が浮かんでいた。
 視界の端に何かが光るのを感じ、ハッと顔を戻す最上。
 そこには千十郎のかたわらに置いてある剣があるだけだった。
 最上は首をかしげ、箸を手に取った。

 日が暮れて夜。
 白石は茶室の襖をあける。まるでずっとそうしていたかのように、正座の秋月がメガネをくいっとした。

「社長が陳述書を書いたようです」
「……『早く寝ないとお肌に悪いから、9時には寝る』って、これのどこが陳述書なのよーーッ!」
 紙をぐしゃぐしゃに丸めて破り捨てた。
「絶対に書かせてやるんだから。しかもコピーなしで3枚。ふふふふ、辛いわよ~~。少しでも間違えたら最初から書き直しさせて……、まあいいわ。次の作戦にうつりましょう」

 秋月は白石に紙を渡した。
「社長を護送するってウソを街中に流すの。そこにニセの車を送ってヤツラをおびき出す。名案でしょ。貴音にももう言ってあるわ。紬、手配よろしくね。私はこれから社長と話してくるわ。オールナイトでね」
 フフフフフフ……恐ろしい笑い声を巻きつけながら茶室を出ていった。

 白石は足音が遠ざかるのを確認してからため息をついた。
「……どうしたらいいん」
「心配することは何もありません」
 華やかで芳しい香りとぬくもりが白石の背中を覆う。
「お姉さま……、ごめんなさい」
「謝ることはありません。全て私が引き受けます。紬は胸をはっていてください」
「でも、お姉さま」
「紬が優しさを忘れない限り、私は私でいられるのです。紬にはそのままでいてほしい……、私のように『慣れて』しまってほしくないのです。いつまでも、この綺麗な髪のように……」
 頭をなでられて、慈しむ心が伝わってくる。白石は、少しくすぐったそうに笑みをこぼした。

「私だって……私だってお姉さまがいるから、生きていけるんです」
「ありがとう紬。全て終わったら、三十郎のらぁめんを食しに行きましょう」
「ふふふ、お姉さまは、本当にらーめんが好きですね」
「らぁめんは、人が創りだした史上最高の料理ですから」
「……どうかご無事で」
「月の光がわたくし2人を守ってくれます」
「お姉さま!」
 白石は振り返ったが、寒々しい空間があるだけだった。
 小窓の夜空には、半月が浮かんでいる。白石は願いをかけて月を眺めた。

 それは午前の遅い時間だった。

 スーパーから帰ってきた桜守と如月が、慌ただしくみんなに話した。
「次席社長が今日の正午に、白石邸から別邸に移動するらしいわ!」
「それは本当ですか?」最上は目を丸くした。「誰からそんなこと」
「お恥ずかしいのですが、5人組のやけに騒々しい学生さんの会話を盗み聞きしてしまいました。あまりに大きな声で話すので、つい」

 如月がそういうと、周防が立ち上がった。
「ここしかないよ! それを襲って社長がどこにいるか吐かせよう! みんなで行けばぜったいできるよ!」
「さんせさんせーーーっ! これが、待ち力……。茜ちゃん、忍びたるもの忍ぶのは忍びの恥だって師匠から教えられてきたから、いままでぜんっぜんわかんなかったよ! 戦うだけが茜ちゃんじゃなーーーーいっ!」
「みなさん、どうか気をつけて」
「うーーん、可奈も行きたいーーっ! でも、待つのも秘書の仕事だーーい!」
「その気持ち頂戴しました。みんな、行きましょう!」

「本当にそんなうまく行きますか?」
 冷えきった千十郎の声に4人は足を止めた。
「井戸端会議の話をどうして信じられるのでしょうか」
「千十郎さん、彼女たちだけじゃないのです」如月がいう。「街中の噂になってるんです。帰りの道すがら、そこかしこからきこえてきましたよ」
「噂ですか……。どうも信用できるだけの理由があるとは思えませんわ。もしかしたら、ただの噂。もしも、相手が流した偽の情報だという可能性も捨て切れません」
「やっぱりこの人、さくとか言って実はなんにも考えてない、臆病なだけだよ!」
 周防が千十郎を指さした。
「それっぽいこといってカッコつけてるだけ。気にすることないよ。みんな行こう!」
 最上と桜守が礼をし、でていった野々原と周防を追った。

 千十郎はため息をついた。「まったく……。自ら戦いにいく必要もないというのに」
 新聞を広げて隅々まで見ていると、如月が前に座った。
「彼女たちは大丈夫なのでしょうか。捕まってしまうようなことは、ありませんよね?」
「それはわかりませんわ。噂が本当なら勝ち、ウソなら負け、それだけの話しです。もっとも、あの4人で軍勢に勝てるのかという話でもありますが」
 如月の顔つきが厳しくなった。着物をはらって両膝をつき、深く頭を下げ、額が畳についた。
「あの子たちを守ってやってください」
 如月の土下座に千十郎は目を丸くした。
「あまり子煩悩すぎるのもよくないですわよ」
「よく言われます。でも、大切なウチの仲間なんです」
「……少し散歩してきますわ。新聞は読み終えたし、文献でも借りてこようかしら」
「ありがとうございます」
 立ち上がった千十郎はふんっと鼻をならし、優雅な洋服の裾をひるがえした。

 砂利の一本道、生えそろっている雑草をつたって別邸の前につくと、周防と野々原は顔をだして様子をうかがう。
 馬が2頭並んでも余裕で入れそうな大きく立派な門構え。その前には見張りが2人だけしかいなかった。
「なんか警備薄くないかにゃ……? ホントにここ、別邸であってるよね?」
「そのはずだけど。でもいまがチャンスのはず」
「もう来たの?」
 最上と桜守が頭を低くして合流した。
「それが、茜ちゃんたちが来てからまだ来てないんだよ」
「そうだ、みんなであの家のっとっちゃって待ちぶせしちゃおうよ! みんなそろえば百人力だよ!」
「匂う、匂いますわ。コロッケを焦がしてしまったような嫌な匂いが」

 4人が振り返る。千十郎が隠れもせずに歩いてきた。
「ちょ、ちょっと隠れてよ! 見つかったらおばさんのせいだからね!」
「わたくしは行かないほうがいいと思いますが」
「うるさいな! もうみんなでいくんだから!」
「あなたの負けん気に仲間たちを巻きこむなと言っているんです」
 千十郎はゆらりと4人の前に立って、別邸を背にした。
「ふんっ、なんとでもいいなよ」
 千十郎の隣をすり抜けようとした周防のおでこに指をさして止めた。
「きっと後悔しますわ。取り返しがつかなかくなってからでは全てが遅いのですよ」

「みんな、来たよ!」
 4人と千十郎は身を低くした。道を馬に牽引されて、豪華で屋根付きのトロッコがゆっくり移動している。馬は5体。武装した侍たちがしっかりと警備していた。
「いまだよ!!」
 周防のかけ声で飛び出そうとしたその瞬間、けたたましい蹄の音が4人を遮った。

 道を颯爽と駆けぬけた白馬がトロッコへ。
 途端にあふれ出るように次席社長の手勢が槍や刀を構えて別邸から飛び出てきて、白馬のまわりをあっというまに囲んだ。
 トロッコの屋根が開いて出てきたのは、この手勢を統率しているとみられる男だった。

「貴様、一味の一員だな。神妙におなわにつけ」
「ほ? 何のことです? 姫はただ、次席社長秋月殿をお助けするために参上した徳川まつりなのです」
 上物の着物を着こみ、大きなリボンがよく目立つ少女。その名をきくと誰もがおののいた。
「と、徳川? まさか、あなた様は徳川の暴れん坊――」
「姫は姫なのですよ?」
 ひいい、手勢が後ずさりした。
「なんだかわからないですが、トラップを回避できてラッキーですわね」
「ぐぬぬぬぬ……っ!」
 周防にわざと視線を送って千十郎は引き返していった。

 最上が最上家の戸を開くと、中から大声がした。
「矢吹ちゃんの悲鳴だわ!」
「ももももしかて家を開けてる最中に押し入るっていう作戦だったとか?!」
 最上は血相を変え、刀を抜いて部屋に駆けこんだ。

 矢吹が仰向けで倒れている。
「あーーーーっ! また負けたよーーーー、強すぎるよ~~~~、よよよよよ~~~~っ!」
「もうやめない? レベルが違いすぎるよ。それにあんず、いまイベント中だから走りたいんだけど」
「走りたいの? じゃあ外で遊ぼうよ!」
「その人、捕まえた捕虜、ですよね」
「あ! みんなお帰りーー!」
 矢吹は仰向けのままで元気に笑顔をみせた。

「じっとして待ってるのもよくないって千早さんに言われたから、あんずちゃんとゲームしてたんだ。もう強くてーーぜんっぜん勝てないんだよ~~~~っ!」
「いや可奈がよわすぎるんだよ。こっちが立ってるだけで、わーっ!って落ちてくし」
「茜ちゃんが見込んだとおり、やはり只者ではなかったッ、この見張り!!」
「しばりつけて押入れに閉じこめてたよね? 可奈さんがほどいちゃったの?」
「あー、すぐにあのおっぱい小さい人がほどいたよ」
 ……くっ! 庭から微かに鳴き声がした。

「どうして逃げなかったの? 私たちのことを秋月次席社長に言いに行くこともできたのじゃないかしら?」
「だってさー、どうせチクったとしても給料増えるわけないじゃん。増えても一生遊んで暮らせるわけじゃないしさぁ。ここにいれば何もしなくてもごはん食べられるし、ゲームしてても怒られないし、さいこうの楽園だよ~~。あんず、ここでずっと捕虜になることにするよ」
「逃げる気がないどころか住む勢いだわ」
 あんずはどこから持ってきたのか、一回り以上あるウサギのクッションに小さい身体を沈めていた。

「しかし敵さん思っている以上に慎重ですわね」
 最上の側を通りぬけて部屋に入った千十郎。何か考えているようであごに手をやっている。
「ボロを出すのに期待するのは、これ以上無理かもしれませんわね」
「あの子はなにも知らなさそうだし、どうしましょうかね」
 あんずは振り返りもしないで知らないとヒラヒラ手を振っている。
「心あたりが一つありますわ」

 誰もが千十郎に注目した。
「わたくし、ちょっと行ってきますわ」
「行く? 行くってどこへ?」
 玄関に向かった千十郎に最上が訊くと、肩ごしに振り返った。
「四条貴音のところですわ。彼女に部下にならないかとお誘いを受けていましたの」
「まさかセレブン、寝返る気?!」
「ああ、確かに。それもいいかもしれませんわね」
「待ってってば、おばさん!!」
 桃子の呼びかけに反応も返さず、髪と洋服を優雅にはためかせ、千十郎はでていった。
 取り残された4人は、呆然と立ちつくすばかりだった。

次章

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チケット代として使わせていただきます