二階堂千鶴とゆかいなコロッケたち
二階堂千鶴とゆかいなコロッケたち
著・千鶴さん誕生日おめでとうまいPだった水
二階堂千鶴はあくびを噛み殺した。
事務所行きのリムジンに乗っている千鶴は、つり革に掴まって涙を拭く。
昨晩は中々眠れずに朝からこんな調子。それは近々仕事が増えてきているからだ。
仕事が増えるのはいいが、その分考えることが増える。さらに不安も同じだけ増えた。
夜中に家に帰ってから仕事の確認をしている内に外が明るくなるのが最近の日課になってしまっていた。
(ふぁあ……あ。いくら間に合わないからって、朝食くらい食べてくるんでしたわ)
今日はそれが一段とひどく、ついには徹夜。あくびが止まらなかった。
脳みそに薄い膜が張っているようで、うまく考えられない。
(……冷蔵庫に……コロッケがあった……のに……)
立ったままウトウトと、ウトウトと…………………………。
左右に揺さぶられて飛び起きると、反射的にリムジンから降りた。
安堵の息をつく。それから、あっ、とあたりを見回した。
リムジンが止まったからといって目的の駅についたとは限らない。
「あーー……やってしまいましたわ」
嫌な予感は的中していた。いつもの駅とは違う、見たこともない駅のホームに立っていた。
「というか、ここ、ホントに駅……?」
千鶴はやけに冷静になって駅のホームを見渡した。駅のホームの形なのは間違いない。だが色はきつね色で、さくさくした物質がホームを形作っていた。
「どこのコロッケだ!!」
突然の怒声に振り返ると、目を丸くした。
きつね色の衣をまとったなだらかなタマゴ型。それは紛れもない、肉厚のコロッケだった。
人間大のコロッケからは白い手足が生えていて、目も口も鼻も見当たらない。身の丈ほどもある鋭いフォークを構えていて、まるで子供向けの絵本にでも登場していそうな見栄えだった。だが、そのフォークの鈍い光沢と鋭さは現実のものだ。
「お前、見慣れない衣をきてるな……来い!」
「ああ、なるほど。わかりましたわ」
威嚇されているのに千鶴は意地悪な笑みをこぼした。
「これ、ドッキリでしょう。カメラはどこ? わたくしを騙そうとするならば、もっとゴージャスにしてくださらないと! こんな子供だましなキグルミを使うのではなくて、視聴者の皆様にも喜んでいただけるってアッツイですわぁあーー!!!」
手をさすって飛び退いた。触った衣はアッツアツで揚げたてでジューシーだった。
「えっ、ほんもののコロッケ?!」
「連行しろ!!」
それを合図にきつね色の駅の壁を突き破って、コロッケ3個が雪崩れ込んできた。
連れて来られたのはきつね色の城が中心にそびえるクロケット王国。
城下町を抜けて連行されたのは、豪奢でだだっ広い国王の謁見の間だった。
「イタッ! 女性を乱暴に扱うなんて、男性として恥ずかしくないのですか!」
両腕を捻り上げられて跪かされる千鶴。首にはフォークがクロスして押し付けられていた。
「このようにわけの分からないことを口走るばかりで、素性が全くわかりません」
「あなた方のほうがオカシイですわ! わたくしは、あの! 765プロミリオンシアターの二階堂千鶴ですのよ! この、高貴で、エレガントで、ゴージャスなわたくしを知らないなんて! ……少なくとも商店街のみんなには知れ渡っていますわ」
「そなた、その衣はどこで……?」
驚きの声を上げたのは、目の前には王の椅子に腰掛ける国王クロケット人。もこもこの付いたマントを羽織り、頭らしき所にはピカピカの王冠。白ひげが生えていて、他のコロッケにはない威厳がある。
「え? これはジャスコのバーゲッ、シャネルで購入した一点物のワンピースですわ」
「それにそのつるつるの肌……もしや人間か?」
人間という単語に場がざわつく。すぐに国王が黄金のスプーンを少し掲げると千鶴の拘束が解かれる。
千鶴は困惑しつつ立ち上がると、そこに居るコロッケたちがひざまずいて頭らしきものをたれる。それまでの高圧的な態度から一変、千鶴を称えるような雰囲気になっていた。
「な、なんですか?」
「ご無礼申し訳なかった。まさか伝説のメスムンバンカ様だとは……!」国王までもが跪いる。
「メス? コロッケ語ですか? よ、よくわかりませんが、わたくしのゴージャスさにひれ伏しているのだけはわかりますわ! おーっほっほっほゴホッ! ゴホッゴホッ?」
しん。
こほんと咳払いをすると、パチパチと拍手が起きた。
「すばらしい。今のはなんでしょうか」
「これは、一流の、高貴、人間だけが、許される、やつ、ですわ」
「なるほど。私には真似出来ません」
「そ、そうでしょう? ……オホホ」
千鶴はとても複雑な笑みで顔を赤らめた。
国王は居住まいを正して、千鶴を見上げる。
「メスムンバンカ様、どうか我々に勝利をもたらしてくだされ」
「なんの話ですの」
「我がクロケット王国はこの10年間、ソースクロケットによる反逆が起きております」
(きのこたけのこ戦争のようなものでしょうか)
「ちょうど10年前、我が国のコロッケ達により【ソース】が開発されました。それは一部のクロケット人を虜にして、身体を支配してしまいました。
それからというもの、彼らは私たちをその黒い魔物に引きこまんとかどわかしてくるのです。心奪われたが最後、汚れに支配されて、正常ではなくなってしまうのです……そうその姿はまさに……悪魔」
重たい空気が頭をもたげてくる。
(ソースって、わたくしが知っているおソースのことではなくて別の意味なのかしら……これもコロッケ語なのでしょうか?)
千鶴が尋ねようか迷っていると、国王が先に口を開いた。
「そこでメスムンバンカ様に助けて欲しいのです。ソースコロッケたちに、ソースなど必要ないと思わせて欲しい。ありのままの姿が一番であると、正気に戻して欲しいのです」
「ちょっとまってください」千鶴は思わず遮った。「話が大きすぎませんか? 10年かわらなかったひと、コロッケの心を動かせと?」
「いいえ、貴方にならばできます。それにすべてを解決したら元の世界に戻れてお仕事にも間に合うという言い伝えがあります」
「絶対今考えたでしょう」
「言い伝えによればメスムンバンカ様はここ最近、スーパーの試食品めぐりに精を出しておられるという言い伝えもあります」
「え、なんで知っ――」
「言い伝えによれば試食品をタッパーに詰められるんじゃないかと真剣に考えて実際に手提げにタッパーとジップロックを5つほど」
「まーーーーったくしょうがありませんわね! そーんなにわたくしが必要ならばやってやりますわ! この一流アイドルの二階堂千鶴がね!」
胸を張ってビシィ!と指差し。まるで言葉を遮るように叫んで啖呵を切った。
「おお、やってくださるか! ありがとうございまする」
クロケット人はさくさくした衣を恥ずかしげもなく振り乱して喜びを表した。
パーティー開場のようになった謁見の間。千鶴は自分で引き起こしたどんちゃん騒ぎを、満足そうに咳き込みながら見渡した。
その満面の笑みは高貴な引きつりをみせていた。
(厄介なことになってしまいましたわ)
▽
その満面の笑みは派手な絶望をみせていた。
滑り台の滑る側が空に向かって伸びているようだ。メスムンバンカ様と崇め奉られた二階堂千鶴は、どこまでも続いている坂道を見上げて呆然としていた。
「どうしたの?」
後ろから歩いてきた案内役に追い越された。左だけ長い前髪を髪留め止めている儚げな女の子のクロケットだ。
「いえ、貴方を待っていただけですわ。道案内、よろしくお願いしますわ」
女の子は道を見上げてから、千鶴を見下ろす。
「いけばわかるさ?」
「なんでわたくしにきくんですか……」
ソースクロケット人からソースを使わないで良いと思わせる方法。
国王から頼まれたのは、霊山・貴伊山の頂きに咲くという伝説のコロッケを見つけ出して食べることだった。そうすることでソースを取り上げられる、とだけ教えられたのだった。
色々とつっこみたい所はあったがキリがないと悟った千鶴は、とりあえず登った。
それから数分後。景色が何も変わらない。
「ぜえ、ぜえ。全然頂上が見えませんわ。ホントに進んでいるのかしら」
「あと5時間くらい?」
後ろからついてくる女の子が小さく言う。めまいがした。
「ライブだって精々3時間ですわよ。5時間は無茶、無理、無謀、現実的ではありませんわ。皆様の太ももはパンパンになって、腰が立たなくなってしまい、ライブどころではなくなってしまいますもの」
近くの木の幹にふらふらと腰をつくと、途端に身体が重くなった。
「そういえば朝から何も食べていなかったのでした……食べた、い」
ジューシーな肉の断面から透明な汁が滴り落ちていく。きつね色の衣から穏やかに白い湯気がゆらめいていた。
突然出現したコロッケの切れ端に千鶴は食いついた。その瞬間、瞳が☆に輝いた。
「ほぉいひぃ~~~~~~~~~~~~~~!!」
細胞の一つ一つまでコロッケの旨味が染み渡っていく。一口で食べ終わってしまう量だったが、それでも十分な美味しさと満足感を与えてくる。
ニコニコの笑顔でもぐもぐもぐもぐ。ごっくんと飲み込むと、信じられないほど身体が軽くなって表情に覇気が戻った。テッカテカだ。
「う、うっひょ~~~~ですわ~~~~! か、身体のそこから力が溢れ出してきますわぁ~~~~! 元気100倍、いえ、元気10000倍! 勝てる! これなら5時間のライブに勝てますわ! おーっほっほっほ! おーーーーっほっほっほっほっほ! ンノお~~~~~お?」
ふと我にかえった。
(そういえば出てきたコロッケの先に、白い手があったような……)
そっと目を移す。佇んでいるコロッケの顔の部分に風穴が開いていた。
「いやぁああ!! だだだだだ大丈夫?! 誰がこんな事をってわたくしか~~~~! わたくしでしたわ~~!」
ジューシーな肉汁がこんこんと湧き出し、足元の土が油を含んで黒ずんでいた。千鶴が食べたのは、完全に女の子クロケットの欠片だった。
「肉汁がこんなに溢れだしてこのままじゃこの子死っ――ぬの?」
「おいしかった?」
抱えていた頭を下ろした。それは女の子の声だった。彼女を通して向こう側の景色が見えるが様子に変わりはない。空洞から溢れ出ている肉汁も止まっていた。
「すごく美味でしたけれども……もしかして、わたくしのために?」
コクリと頷く。
「これが私の仕事だから。メスムンバンカ様を安全に頂上まで送り届けるのが私の使命」
何かを諦めているような、達観した口ぶりだった。それは千鶴にも伝わっていた。
「そう。それならば」
千鶴はおもむろにワンピースの裾を掴むと、思い切りひっぱって破いた。唖然としている女の子の風穴に布を巻きつけて塞いだ。
「そ、その服、お高いんじゃ……シャネルってやつだから」
「いいのです。こんなのまたバーゲじゃなくてセレブなお店へ行けばたんまり買えるのですから。代わりはあります。でも、」
驚き慌てる女の子に、千鶴は優しく笑いかけた。
「この『仕事』を達成するには、貴方の力が欠かせないのですわ」
ゴージャスな髪を翻して、千鶴は坂を見上げた。今から五時間……気が遠くなりそうな気持ちを胸を三回叩いて奮い立たせた。
「うだうだ考えていてもしょーがありませんわ! いきますわよ! わたくしについてきなさい、ってちょっと!? 無視してどこへ行くんですか!」
「……ついてきて」
あさっての方向に歩き出した女の子は呼び止めても無駄だった。首をかしげて後を追うと、林を抜けて、開けた場所にでる。広場の真ん中には、軽自動車くらいの大きさのある鉄のコロッケが佇んでいた。
女の子はそのコロッケの表面に手のひらをつけると、重々しく扉が開く。中は二人掛けのシートが向かい合わせになっている空間が。
「のって」
片方に腰掛けて女の子が呼ぶ。千鶴はこれが何なのか答えがでないまま、恐る恐る対面のシートへ腰掛けた。
ガタンと世界がゆれた。
窓から見える風景が下へ潜り込んでいく。優雅なひとときだ。窓枠に肘をついて、緩やかな揺れに身を委ねる。ころもの紅葉が鮮やかで、美しい。
千鶴は気づいた。
「ロープウェイ、あったんですね」
「観光地?」
「おみやげ買って帰ろうかしら」
「ホントは……ダメ」
「ん? ロープウェイがですか? もしかして、歩かないと伝説のコロッケが現れないとかそういう過程が?」
無言が降りる。触れてはいけないことだったようだ。
「二人きりになりたかったの」ポツリと口を開く女の子。
「ずっと二人だったでしょう」
「……会いたい人がいるの。でもソースさんたちと仲良くならないと、ダメなの」
話が見えない。と、
「お願い! メスムンバンカ様」
何かを決心したように、女の子が身を乗り出した。
「伝説のコロッケは食べないで。あれを食べちゃうと、私たちは――」
突然、ゴンドラが激しい衝撃を食らって激しく揺れる。まるで話を遮るように。
無防備な千鶴の身体が揺さぶられてドアに衝突してしまう。あっけないほどに簡単に開いた。
「え? まって、まって!」
空を泳ごうと必死に肢体を動かす。平泳ぎ、クロール、バタフライ。そして足を組んでセレブなポーズ。
「ダメですわ」
落下した。
メスムンバンカ様!!
悲痛な叫びを後にして地表に向かって落ちていく。
それなのに千鶴は余裕だった。
「うん、きっとこれは夢ですわ。おかしいと思っていました。あまりにも普通に存在しているから勘違いしてしまいしたが、コロッケがしゃべるわけありませんものね。そうですわ、目をつむればいつもの見慣れた天井が」
まぶたを閉じて。まぶたを開けた。
空は白くお皿のようで、水平線は薄い緑のキャベツのようだ。
「おーーーーっほっほっほっほ!!」
高笑いがキマった。それで千鶴は悟ってしまった。
咳き込まないで笑えてしまうと、良くないことが起きる前触れなのだと。
「きゃぁあ~~~~~~~~~!! いやいやいやいやぁああ! まだ21なのにィ!! まだ全然セレブじゃな、セレブを満喫したかったのに! シャネルとかグッチとかマックミランとか三ツ星レストランでバイキングしてシャンペンスーパーノバ~~~~してみたかったのに~~~~!!」
思い出したように泣き叫んで死を拒む。だからといって空中に投げ出されいる人を助けるのは不可能だ。高度な飛行技術を持ったヘリか、翼を持った動物がいれば話は別だが、このまま重力に引かれて行くしか無い。
美味しそうな人参でしょうこれが英国貴族のスポーツポロ高級カツオ節をたっぷりとかけたネコマンマを死してなお漂うこのセレブな霊気今までの練習の成果どどーんとお披露目晴れ舞台に天も祝福して下さってプロデューサーもタオルをどうぞってどうして笑いがおきますのこれは別にミスキャンパスになりたくて必死この歌は誰よりも私を応援してくれるみんなへコロッケのお返しがどうとかわたくしにはぜーんぜんこ、こんな商店街でライブとは、プロデューサーも変なこと高価な楽器ですもの絶対に落としま貴方にだけちょっと特別なチョコド派手で甘~いゴーーーーージャスなチョコをプレゼントさあ今ならお安くしておきますシュプールだって持っていますわよ!お菓子がこんなにたくさんっ!お~っほっほ!さすが会場のお客さんがこちらへ集まりすぎないか心配貴方…夢の一夜を共に早く行きますわよ!ほらダダもれですわ!ダダもれ!し、幸せにしてくださいね…真珠よりも美しい人魚がこの世界の海に生まれていかがかしら?まぶしすぎて見えないかしらちゃんとやりますけど…きゃぁ!こ、こっちにこないでわたくしから離れることは許しません買おうと思えば、いくらでも買えますけど、今日はあえて貴方も、未来のトップアイドルに相応しいプロデューサーになるべくわたくしは二階堂千鶴!トップアイドルは、美しく高貴なわたくしに課せられた使命ですわ!
「走馬灯やめて! まだ、まだわたくしは……セレブを極めていない……トップアイドルになれてない! 絶対に、このままじゃ終・わ・り・ま・せんわぁ~~~~!!!!」
空をかくが落下は止まるはずはない。でも千鶴は諦めない。
「くそーーーですわ! セレブパワ開放してーーーーー今よぉおお~~~~!!」
そのときだった。
ギュッとつぶっていた目を恐る恐るあける。真っ先に見えたのは、はためく白く丸っこい翼。煽られていた強風が感じられないし、風景も止まっている。落下していない。
「お、お~~っほっほっほっほごほっセレブにかかれげほっ、空だって飛べると証明ケホケホッされましたゴハッ!」
と、千鶴は視界の端に何か見つけて頭をあげた。
サーフィンをするように両手でバランスを取っているコロッケが空中に立っていた。襟足が跳ねている髪型にアホ毛が一本とびでている。
後頭部をぶつけて、何かに仰向けに寝そべっているのに気がつく。みると、それは紛れもなく硬いコロッケだった。羽をつけたコロッケが空を飛んでいた。
「いけ、ギャオーン!」
17才くらいの男の子声だ。その呼びかけにコロッケが翼を揺らして旋回すると、スピードが乗ってその場から遠ざかっていく。
ハッとして千鶴は男の子のアホ毛に組み付いた。
「あの子がまだのこってるでしょう!! 早く戻りなさい!」
「ちょやめッ、あ、うわぁ、まってまってまって!!」
まっすぐ進んでいたのにたちまちグラグラと揺れ始めた。
「これ以上遠ざかるなら、お上品リバーブローをお見舞いします……って」
近づいてみてわかる。王国のクロケット人と違う。男の子の衣の表面には黒い部分があった。
「あなた、ソースの――」
答えを聞く前に森の中へと墜落していった。
森の木に見えたのはブロッコリーだった。
ブロッコリーの弾力で事なきを得た千鶴と男の子は、緑に隠れながらカリフラワー森の外れを目指す。
マンホールを開けてロープで出来たはしごを降りると、地下帝国が広がっていた。
ドーム型の空間に町できていた。奥の奥の方にそびえ立つ巨大な塔は、つるつるのプラスチックのような表面で黒く、頂上の方に白いキャップのようなものが付いていた。そこがソースクロケットの本部。
エスカレーターでフロアをジグザグに登って最上階に着く。
見晴らしの良い展望室のような部屋には、白い髪とひげのクロケット人が曲がった腰で杖をついていた。
「あなたがメスムンバンカ様ですか。よくぞおいでくださった」
「よく『くださった』なんて言えますわね。脅して連れてきたくせに」
「なんと!? ……まさかウヨリ!」
ようやく背中に突きつけられていた硬い感触が消える。その手にもっていたのはハンドマイクだった。おそらく通信用に使っていたのを利用していたのだろう。
「こうでもしないと、ついてきてくれないじゃないか」
「まったくお前はいつもいつも! これ待てウヨリ!」
ウヨリと呼ばれた男の子は耳をかさずに部屋からでていった。
「ご無礼申し訳なかった。丁重にお出迎えしろと申し上げたのですが、あいつときたら」
「その台詞じゃどのみち脅されていたような」
ごほんと咳をして、老人は話を仕切りなおした。
「メスムンバンカ様は、わしらが何者なのかお分かりになられておりますでしょうか」
「ソースコロッケでしょ。あなた方のことは聴いてはいましたが、まさかゴンドラを攻撃するなんて、随分と威勢のいい連中なのですね」
「やはり、誤解しておりますな」
「誤解も二階も堂もありませんわ! 一体何の恨みがあってこんなことを! あれじゃあの子は……もしかして私が『メスムンバンカ』だから、強引に誘拐して」
「違います、違います」首をふるとソースが跳ねる。「あれはわしらがやったのではありません。元々ゴンドラについていた遠隔型コロッケを爆発させたのです。王国側のクロケットの手によって」
「そんなこと言われて信じるセレブがどこに」
「悪魔のいうことは信じられませんか」
心の黒く汚い部分を見透かされたようで、千鶴は言葉につまる。
「国王は伝説のコロッケでソースを取り上げようとしているのでしょう。しかし、それは違います。食べた人間がどのようなコロッケが好きなのかを暴きだし、そして、それがわれわれクロケットの総意としてしまう。なんとも恐ろしい……個性がなくなってしまうのです。貴方に伝説のコロッケを食べさせるわけにはいきまぬ」
目頭らしきところを抑えるとサクッと衣がなる。老人でもさくさくに揚がっていた。
「コロッケを食べさせられたでしょう」
千鶴は思わず唾を飲んだ。あのジューシーでさくさくの温かいコロッケの味を思い出していた。
「今伝説のコロッケを食せば間違い無く、クロケット人すべてがソースを忘れてしまう。メスムンバンカ様、わざわざお越しいただいてわるいのじゃが、今すぐに、貴方の世界へと帰っていただきます」
「帰れるんですか?!」
思ってもみない言葉に、千鶴は嬉しそうに声を荒げた。
「はい。少々お時間をいただけますか。そして仕事へ向かってくだされ。どうぞ、露店でシャネルの激安ブレスレットを衝動買いしてしまった分まで稼いでくだされ」
「あなた方の言い伝えはどうしてそう近々のことなのですか! と、といっても? まあ、シャネルですからねぇ! 自らを美しく輝かせるためには、金に糸目はつけませんわ!」
「お部屋へお通ししろ」
「スルー!」
最上階からエスカレーターで下り、地下1階の豪奢な部屋に通された。
「「「「「ここでお待ちください」」」」」」」
鎧をまとった屈強なコロッケが大声をだして部屋をでていく。それほどに長く広い室内だが、壁が狭く息苦しい。その奥にちょこんと置かれたソファーに千鶴は腰掛けていた。
「なんだかタッパーに入れられてる気分ですわね……」
明かりは壁に埋め込まれているキャンドルだけで薄暗く、時計もない。
「お~っほっほっほ!」
お~っほっほっほ……反響して返ってくる。
それが面白くて数分くらい遊んでいたがすぐに飽きる。
部屋を一周、二周、三周して、飽きる。
歌の練習をしながらテンションが上がってふかふかのソファーで、跳ねる。
「飽きた……コホン。飽きましたわ」
ソファーに横になって天を仰いだ。この部屋には何もなかった。
(あの子は無事なのかしら)
何気なく入り口に目を移すと、ソファーの前に置かれているテーブルが視界を阻む。上に置かれている山盛りのソースコロッケが目に付いた。
「……食べても……いいのかしら」
座り直してソースコロッケを1つとる。さくさくで香ばしい香りを漂わせてきて、千鶴の高貴な食欲が刺激された。
「ソースって……わたくしが知っているソース、ですよね」
ソースの黒が高級感を醸し出していて美味しそうだった。千鶴は逡巡したが、食べてみたいという好奇心には勝てなかった。
「ウチのコロッケより美味しくなかったら承知しませんわよ」
……サクッ! サクサクゥ!
衣の芳ばしさと肉汁が絡み合い口内を駆け巡って染みこんでいく。それだけでも十分おいしいのに、そこでソースの酸味が追いついてくる。
「うん。ソースですわ」
ソースの濃くピリリとした刺激がコロッケの旨味を一層と濃く浮き立たせてきた。
うまい。うますぎる。
すぐに食べ終わると、もう一つ手にとってもぐもぐと少しずつかじっていく。
「普通のコロッケもいいけど、これもまた」
一口は小さいが、あれよあれよという間にコロッケの山が低くなっていく。
口の周りに衣をつけてもお構いなし。幸せそうなホクホク顔でソースコロッケをモグモグした。
だいぶ減った所でもう一つ手に取ると、色が違うコロッケが紛れ込んでいるのを発見した。
「こ、これは……?」
震える手で恐る恐るそれに持ち替える。
それは茶色の衣でも黒茶の衣でもない、黄金に輝くコロッケだった。
「……なんてセレブなの」
その輝きに千鶴は魅入られた。
ソースコロッケ以上に得体のしれないコロッケだ。黄金のようで黄金ではなく、傾けると虹色に輝く。作りこまれたガラス細工の民芸品のように、美しく完成された光を放っていた。
これを自分の中に取り込みたい。という欲求が溢れて止まらなかった。
千鶴は口を開いて黄金のコロッケを
「食べないでーー!!」
突然の叫び声に正気を取り戻す。目線を上げると、長い部屋をコロッケが羽を羽ばたかせて飛んできて、あっと言う間にテーブルの上のソースコロッケを押しのけて着地した。
仁王立ちするのは、千鶴を誘拐してここに連れてきたクロケットだった。
「それ、食べてないよね?!」
「ええ。ま、まあ……」
言われて視線を黄金のコロッケに戻すと、吸い込まれるように口に持っていく。
「ニセ!」
「誰がニセレブですか!!」
その隙につけこんでウヨリは黄金のコロッケを奪い取った。
「ちょっと!」
立ち上がって抗議する千鶴を無視して、乗ってきたコロッケをソファーの下へ滑りこませる。まるで重さを感じさせない気軽さでソファーが持ち上がると、床にある排水口の鉄格子が現れた。そしてなんの躊躇もなく軽々と開けて入っていく。
「ついてきて! ここにいちゃ帰れないよ!」
千鶴が肩を怒らせて追うと、後ろで鉄格子が閉まった。コロッケがソファーを下ろして入り口を塞いだのだろう。
「おまちなさいこそ泥コロッケ! そのセレブリティーゴージャスコロッケはわたくしのですわよ! 返しなさい!」
「長老はメスムンバンカ様を返す方法なんて知らないんだ」
千鶴の怒りなどどうでもいいと、さっさと低く狭い通路を屈んで先を行くウヨリ。こすれて剥がれた衣が千鶴に降り注いでいく。
「ちょ、わっぷぷ、かかってる! かかってるから!」
「コレはこないだ僕がたまたま見つけたから回収してたんだ。こんなことに使わないで、部屋に飾っとく約束だったのに……ソースコロッケの中に忍ばせておいて、バクバクバクバク食べてたらいつの間にか食べちゃって、そのままソースコロッケ一色に変えるつもりだったんだ」
「バクバクってそんな食い意地はって……貴音さんよりは……じゃなくて! ちょっと待ってくださる? 話が良く見えませんわ。え? 帰れないのですか?」
「ミンナイッショにソースなんてダメだ。僕は、ソースじゃないあの子が――」
正気を取り戻しつつある千鶴に突然、警報が鳴り響き通路か赤く染まる。ウヨリがハッと首をあげると、コロッケ頭が天井に当たってひしゃげた。
「見つかった!?」
「違う、これは……」
ゴリゴリ衣を削りながらスピードを上げるウヨリ。程なくして通路の奥にたどり着き鉄格子を蹴破る。
そこは町外れの丘。上を見れば降りてきたはしごが。すぐにでも脱出できる安全地帯だった。
「メスムンバンカさ……貴様王国のクロケットか!」
敵意を向けられた衣まみれの人間が顔を拭う。ゴージャスな髪からバーゲンなつま先まで揚げたての衣にまみれていた。
「まだ人間ですわ」
ジト目になる千鶴にパラパラとなにかが頭に降ってきた。
「塩ふったのは誰よ!」
天井を睨むと粉が顔にかかった。その発生元を目を細めて見上げた。ドーム型の天井に、肉眼でもわかるほどの亀裂が、ピキ、ピキピキ。ピキピキピキピキ。
「見つかったんだ……」
轟音がドームの平和に終わりを告げた。
天井を形作っていた白米のデンプンによる強力な結合が軽々と崩れ去り、大粒の米瓦礫が町へ降り注いだ。ソースクロケット人が作り上げた建造物が倒壊していき、サクサクの衣へと帰っていく。
開いた穴からは空が顔を見せて、そこから王国のクロケット人が何十本ものロープやコロッケで飛行し降下してくる。
逃げ惑うソースクロケットの流れに逆らってフォークを持った衛兵たちが陣を組んだ。カリカリに揚げられた戦車もある。王国クロケットを迎え撃とうと、ソースクロケットが戦闘態勢を整えていく。
「早く行ってください! じきにに追っ手がくる」
背中を押されてはしごに手をかけさせられた。千鶴は丘の上から見えた光景に圧倒されて意識が上の空になっていた。
「でも貴方は」
「これを持って」
ウヨリが取り出して見せたのは黄金のコロッケ。目の色が変わる千鶴に気が付き、ウヨリは小型のコロッケ入れに輝きを閉じ込めて握らせた。
「ここを出たら南へ向かって。王国をこえるとキーエ遺跡がある。そこで待ってて」
高いところから見るとよく分かる。フォークとフォークが叩き合わされる音がそこかしこで鳴っている。
誰かが刺された。サクッ! 血の代わりに舞う透明な返り肉汁が刺した相手の衣にかかってテカテカに光った。
様々な感情が渦を巻いて千鶴に襲い掛かってくる。肉汁で肉汁を洗う戦い。千鶴の目の前で、クロケット人同士による戦争が始まっていた。
「早く! 今はどちらもメスムンバンカ様の敵だ!」
切迫した声に押されて、千鶴の手足は無意識に上を目指した。
▽
走った。
千鶴の筋肉は熱く燃え、血管にはバッテリー液が流れた。それでも走った。
ブロッコリーの緑がその姿を隠し、王国の巨大さが千鶴を庶民に仕立て上げる。
戦争の混乱が千鶴の背中を後押しするように道を開けてくれた。
王国の外れの外れに、キーエ遺跡はあった。それは千鶴が王国クロケット人に拉致された、衣でできた駅のホームだった。
「これで帰れるんですよね……」
息を整えながらホームのベンチに座った。吹き抜けの壁から心地良い風が入り込み、頬を撫ぜ、長い睫毛をゆらす。
ワンピースのスカートは破け、白く綺麗な足には細かいキズが目立ち、顔や髪のそこいらに茶色の衣がまとわりついていた。エレガントだった身なりはボロボロ。それに見合った疲れた瞳で、千鶴は虚空を見上げていた。
「夢の様な一日でしたわ……。朝ごはん抜いたせいかしら」
カン。小さく硬い音。音がした方に目をやると、手からこぼれ落ちたコロッケケースが足元で鈍く銀色に光っていた。
おっくうに身体を折り曲げて拾い取る。近くでみるとケースの隙間から淡く輝きが漏れだしていた。なんとも魅力的な金色は、千鶴の瞳に映り込みさらにゴージャスに輝きを増していた。
「……ゴクリ」
▽
戦争の混乱に乗じて行動を起こす者は千鶴の他にもいた。
ソースクロケット本部の塔。その地下の牢屋は戦争の熱気さえも届かない静けさだった。
そこに軽快な足音が走りこんでくる。
「エリ!」
奥の牢屋に走って行き、捕まっている女の子にウヨリが呼びかけた。
それは千鶴についてきていた王国側の女の子のクロケットだった。
「ウヨリ? ウヨリなの?!」
「ずっと会いたかったんだ! 待ってて」
「ウヨリダメ! ダメなのよ!」
エリと呼ばれた女の子が鉄格子に駆け寄り、何やら必死に呼びかけるが、ウヨリは壁にかけてあった鍵をとって戻ってきた。
「ここから逃げよう。メスムンバンカ様の世界にいっしょに行くんだ。そーすればこんなバカみたいな争いごとから開放される。僕らは自由になるんだ!」
「後ろよォオオォオオオォォォオオォ~~~~~~~~ッ!!」
エリが肉汁を飛び散らせて絶叫した。ウヨリはエリの視線を追って振り返ると、屈強なソースクロケットが大きなナイフを振りかぶっていた。
反応して動くには手遅れ。顔をそむけることもできずに――――――――――――――――――ッサックウウゥ!
小気味よいコロッケのさくさく音が響く。ウヨリはその揚げたての音についで、横殴りに倒れる屈強なクロケットの音も聞くことが出来た。
大きなコロッケがいなくなると、おもたげにフォークの先を床に下ろした二階堂千鶴がみえた。
「ふうぅ。セレブ舐めたらいかんですわよ」
千鶴は激しく肩で息をしていた。額の汗を拭うと、乱れた御髪についている小さいブロッコリーがぽろぽろ落ちた。
ウヨリは牢屋を開けることも忘れて絶句していた。苦労して送り出したはずの救世主が戻ってきているのだから無理もない。
「遺跡にいったんじゃ」
「ヤボ用で、きた道を戻ってみたら、貴方がみえた、から」
ガッシリと腕を掴んで、汗だくの顔を上げた。
だだっ広い展望室には老人の小さい背中しかない。
「観光にでも行っていらしたのですか」
「ええ。そのまま帰ってティーにしようと思いましたが。気が変わりました」
長老が振り返ると、千鶴は地面を踏ん張って身の丈程もあるフォークを重々しく斜めに構えた。
「そんなものを構えても、ここには老いぼれしかおりませんぞ」
「貴方の思惑は、全てまるっとどこまでもゴージャスにお見通しですわ!」
手をつないだウヨリとリエが入ってくると、老人は何か言いたげに眉間を動かした。その顔に向かって二人が黄金のコロッケをみせつける。
「なるほど。それで、メスムンバンカ様はどうなさるのですか」
「決まっていますわ」
フォーク先がおもたげに持ち上がると、何の迷いもなく振り下ろされた。
一瞬。思い切り振り回したフォークがクロケットのカップルの首らしきところを刈り取ったのだ。
ウヨリとリエの頭らしきものがボトリと床に落ちる。頭らしきところを失った残りの胴体が崩れ落ちると、老人は腰を抜かした。
「き、気でも触れたのですか?! な、なんということじゃ。切ってしまうなんて、なんと酷いことを」
「酷い? 外では大勢切られてるのですから、一人や二人切った所で変わりないのではありませんか?」
千鶴はこぼれ落ちた黄金のコロッケを拾い上げて座った目で老人を見やった。
「ど、どうか切らんでください。どうか」
フォークを突きつけているわけではないのに、長老は土下座して命乞いをする。それほどまでに千鶴の醸しだす威圧感が恐ろしいものになっていた。
倒れこんで動かないウヨリとリエを交互にみると、それじゃあと口をあけた。
「わたくしにふさわしいステージを用意してください」
平で丸い塔の頂上から見える景色は茶色と黒のツートンカラーの海。
うごめくコロッケが水のうねりで、飛び散る肉汁が水のしぶきだ。そして潮騒の音は聞いたものを魂の奥底から震え上がらせる怒声と悲鳴。
王国クロケット人とソースクロケット人の戦争はどちらかが押されているわけでも、押しているわけでもない、均衡状態だった。
町の中心あたりで同じ形のフォークを叩き合わせて、劣勢も優勢もなく、ただひたすらに戦っていた。
見下ろす千鶴の目はやけに落ち着き払っている。腹をくくっているような、堂々とした仁王立ちだった。
長老から渡されたハンドマイクを構えると、そこにある空気全てを吸い込む勢いで鼻の形を変えた。
《《おーーっほっほっほっほっほ!!》》
高笑いが何倍にも増幅されて、天井が抜かれたドームに響き渡った。しかし、誰もその手を止めなかった。
《《ちょっと貴方達! メスムンバンカ! メスムンバンカ様ですよ!? 今すぐ手を止めてわたくしの言葉を傾聴なさい!!》》
切実な訴えが通じたのかうねりが止まる。
万を超えるクロケットたちが見上げてくる。
喉がゴクリと鳴って、細かく震える手を振り払うように声を張り上げた。
《《あなた方、みんな同じコロッケでしょう。どちらかが勝って何が残るというのですか》》
ざわめき。困惑のざわめきだ。何を言っているんだという理解できないざわめき。
その反応に、千鶴はおもむろに黄金のコロッケを取り出して魅せつけた。オオオ? と揃った声があがる。
《《これをわたくしが食べれば、すべてが終わるのですね》》
どちらかが支配する世界になって。
千鶴は口を大きく開けて、小さくゴメンと、綺羅びやかなコロッケをステージに食べさせた。
えええええ~~~!!
メスムンバンカの思いもよらぬ行動に、地鳴りのような悲鳴の合唱がおきた。グリグリと踏みつけられて、観るも無残にぺちゃんこの、黄金の残飯に成り果てた。
王国もソースも関係なく混乱に支配された。それもそのはずだ。自分たちの闘う目的の1つである黄金のコロッケがとても食べられるような形ではなくなってしまったのだから。しかも目的のもう1つであるメスムンバンカの足によって。
これでは全てのクロケットが王国クロケット人と同じ嗜好になる願いも、ソースクロケット人と同じ嗜好になる願いも、どちらの願いも叶えられなくなってしまう。
決着がつかなくなってしまった。
《《こんなものなくたって、手っ取り早く支配する方法がありますわ》》
その一声で千鶴の背後から二人のクロケットが姿をみせた。
それは半かけになったウヨリとリエだ。手をつなぎ、空いている手には千鶴にセレブ斬りされたお互いの欠けた部分が握られている。
自然と無数の注目がカップルに移る。
二人は頷きあった。
《《御覧なさい。これが答えです》》
そのメスムンバンカの声が聴こえないほどに、クロケットたちが絶句の声を上げた。
ぶった切られた恋人の欠片を、お互いが食べあっていた。少しだけ躊躇したものの、胸のあたりで食べ始めている。途端に海が荒れた。
阿鼻叫喚だ。敵対している側のコロッケを食べるなんて死罪にも匹敵する愚行。ヤジが飛び、石と米と青いキャンディが投げられ、今にも塔を駆け上がって二人を吊るし上げようとする荒れっぷりだった。
《《まだ二人が食べてるでしょうが!》》
千鶴の喝にも反応しない。
マズイですわ。このままじゃ、また始まっちゃう。
チクチクと肌が痺れる。186メートルもある塔を怒りが登ってきて千鶴の肌を刺激する。
まさに一触即発だった。いや、もう小さい爆発が起きている。誘爆を繰り返して大爆発するのには、720分も時間はいらないだろう。
じわじわと恐怖がこみ上げてきて、千鶴は瞼を閉じてしまいたくなった。
一人の顔が浮かぶ。
助けて、見守って、分かち合って。選んで、育てて、頼られて。
一緒に歩んでくれる人の顔が。
\うまい!/
場違いにも程がある明るくパッとした声。同時に怒りの熱が一気に引く程の衝撃的な言葉だった。
ウヨリとリエはコロッケを食べながら嬉しそうに笑い合っている。
王国のコロッケを食べたソースクロケット人も、ソースのコロッケを食べた王国クロケット人も、同じ喜びの言葉を発していた。
コロッケはうまかったのだ。
幸せそうなカップルとは対照的に、クロケットたちは言葉を失っていた。よほどショッキングな出来事だったのか。それとも、嵐の前の静けさなのか。
それは反応を煽ってみなければわからない。
――――恐い。もう立っていられない。
ここから逃げてしまえばどれだけラクなのでしょう。ここまでやったのだから、私にしてはよくやったわ。
全くこういう時に限って、貴方はいないのだから…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………でも、私はセレブ。ゴールデンで派手でゴージャスでスパンコールでアバンギャルドで、憧れの目でみられる高貴なお嬢様。
《《オーッホッホッホッホッホ!!》》
セレブなのですから、なんでもできますわ。
《《貴方達もしかして、恐いんですの?》》
セレブは、怖がりでも臆病でも弱虫でもありませんわ。
《《声を失っている理由、わかっていますわよ》》
震える手を隠して、抑えきれない涙の始まりを腕で拭った。
私……わたくしは二階堂千鶴。
《《そんなにおいしいのならば――》》
一流アイドルにしてセレブの、二階堂千鶴ですわ!
《《食べてみたいと思っているのでしょう!》》
指をビシッとさして、高らかに言い放った。
しかし、しんとしていて、何の反応も返ってこない。
《《そこの貴方も、そこの貴方も、そこの赤いバンダナの貴方も! 近くにいるコロッケに掛けあって食べさせてもらいなさい。きっとおいしいですわよ。わたくし? わたくしはもう食べさせて頂きましたわ。あー美味しかった。まだ口の中に残っていますわぁ。この味わい。このサクサク感。まさにわたくしに相応しい高貴な味でしたわぁ~~。はぁ~~、この味をしならいなんて、絶対に、絶対に、ぜぇええ~~~~ったいに! ソンですわ!》》
藁をも掴む思いで畳み掛ける。ダメ押しでほっぺたが落ちそうなポーズをとってもみた。
間が恐い。でも全力を尽くしてもう手が見つからなかった。千鶴は恐る恐る薄目を開けて、クロケットたちの顔を盗み見た。
王国クロケットの一個がキョロキョロしていた。
するとソースクロケットの一個と目と目が逢った。瞬間二人は歩み寄って、自分の頭らしきところを千切って差し出した。
途端にクロケットたちが回りを取り囲んだ。フォークを構えて、その二人の成り行きを厳しい顔で見守る。流石に二人は二の足を踏んだ。
《《い、いいから食べちゃいなさいよォ!! おバカ~~~~!!》》
千鶴のつんざく大声(やけになっている)に背中を押され、その拍子で口に放り込んだ。
回りを囲むクロケットたちはモグモグしている様子に釘付けだった。フォークを構えている手が下がってきている。もしも下手な反応をしたら血祭りに上げてしまおうという魂胆だったのだろうが、意識がそれている。
固唾を飲んでいる回りを尻目に、彼らは顔を見あわせて言った。
―――――― !
肩を叩かれて、千鶴は硬く瞼を閉じていたことに気がついた。
ウヨリとリエが興奮気味に何度も下を指さしている。困惑しつつ下を覗きこむと、そこには唸りを上げるクロケットの海があった。
手に手をとって、自分の欠片を交換し合い、歓喜の唸りを上げる。
王国もソースも関係ない。
食べて、褒め合い、笑いあった。
そして二種類に分かれているはずの何万ものクロケットからこぼれ落ちる言葉は1つだけ。
うまい。
千鶴はその光景を瞳に写し取ると、へなへなと尻餅をついた。
「や、やった。やったやったやったーー! うまくいきましたわ~~!! わたくしはやりましたわのよさ~~~~!!」
「メスムンバンカ様……」
老人の声に千鶴は咳をして、子供のように喜んでいた居住まいを正した。
長老が千鶴の側に立った。自ずと緊張が沸き上がってくる。
「なるほど。これが貴方様のおっしゃられていたことですか。ウヨリたちを切ったときは、気でも触れたのかと思いました。切られても死にはしませんが、肉汁がとんでそこら中がギトギトになってしまいます。だから良しとされていないのですが……メスムンバンカ様が知るわけありませんか」
ごめんなさい、という言葉が出る前に長老が再び口を開く。
「何か1つ、貴方に言ってやろうと思っていたのですが……」
その時飛行してくる物体Cが1つ。マントをはためかせながらコロッケに乗って、国王がとんできた。
千鶴のためにこしらえられたステージに降り立つと、早足で長老に歩み寄る。
クロケット国王の国王とソースクロケットの長。長年争い合ってきた2つの派閥を牛耳るものが同じ場所にいる。それなのに誰も気がついていなかった。クロケットたちのどんちゃん騒ぎは、歴史の節目などどうでもいいようだった。
国王はその光景をじっくりと見渡した。
「こんな簡単なことだったのだな」
満足そうに頷くと長老に向かいなおる。そして、自分の頭を掴むと悲鳴をあげてちぎり取った。
「また一緒に暮らそう。父さん」
長老はあふれだす涙を拭いもせずに、自分の頭を掴むと悲鳴をあげてちぎり取った。
お互いのコロッケを交換しあって、食べた。
笑顔がこぼれ落ちる。
千鶴は緊張を解くように、止めていた息を思い切り吐き出した。
「一件落着のようですわね……」
腰をあげようとしたが立ち上がれない。腰が抜けていた。恥ずかしがろうとしたが、誰も千鶴を見ていない。
……とりあえず笑っておきましょう。
「オーッホッホッホッホ!! オーーーーッホッホッホッホッ! ンノーーーーーーゴホッ、ゴホッゴホッゴホッ! ケホッ♪」
色々あったけれどみなさん喜んでいるようですし、よしとしましょう。
なんだか身体が軽いですわ。これが人助けする、ということなのでしょうか。
心なしか目線が高くなっている気がしますし。
その高みへ登っているわたくしに、皆さんが注目している! ああ、天にも昇る気持ちですわ!
「見ろ! メスムンバンカ様が!」
戦争の集結の瞬間にも目を向けなかったクロケットたちが口々にそれを指をさしていた。
千鶴は憧れの目で見られている気分だったので、高笑いするのに躍起になっていた。だから、雲の狭間からピンスポのように降り注ぐ黄金の光に包まれて、天に吸い込まれていくのに気がついていなかったのだった。
「黄金のコロッケを踏みつぶして咳き込む……それがゲードを開く合言葉だったんだ。知っていたんだね」
「メスムンバンカ様ありがとう!」
ウヨリとリエは手を硬く結んで、登っていく千鶴を見上げた。
オーーッホッホッホッホッホ……オーーッホッホッホッホッホ……。
クロケットの茶色と黒のコントラストがうねりを上げて100万のありがとうになり、二階堂千鶴を押し上げていく。
神々しい光が翼を授けて、その姿はゴージャスフィーバーしていて、これ以上無いくらいに黄金に輝いていた。
しかし千鶴はその沢山のありがとうに気がついていない。気分がいいから。
ありがとうォ! ありがとぉおお!
激しく咳き込むと、空の彼方へ吸い込まれていった。
▽
急な揺れにビクリとして手すりにおデコをぶつけた。空気を吐き出して開いたドアに人の流れができている。何も考えずにそれにのった。
リムジンの外へでると同時にドアが閉まる。間一髪だった。でも焦った。
「ここは!?」
小汚いコンクリートばりの駅のホームだった。駅名プレートには《いつもの駅》。降りるべき駅だった。
エスカレーターに吸い込まれていく人並みの中で、千鶴は呆然と立ち尽くした。
服を触ってみても破れているわけでも油で汚れているわけでもないし、あのサクッとジューシーな揚げたてな香りもしない。ホーム備え付けの時計をみると、目的の時刻についていた。
(疲れてはおりましたが、まさかここまでとは。それにお腹も……)
朝ごはんを食べていない空腹に意識を集中させて、首を傾げた。お腹がカラカラで締め付けられる感じがない。
あれ? もう一度確認する前に、先を急ぐ仕事人と肩がぶつかった。出勤ラッシュのホームで突っ立っている人間はじゃまでしか無い。
(そうだわたくしも急がなきゃ!)と一歩踏み出したがカクンと膝が折れた。
細かく震えている。そうして跪いていると、そうさせる感情の正体がムクムクと胸の中で膨れ上がってきた。
感情に支配されるより先に、千鶴はキッと瞳を鋭く尖らせた。
荒々しく立ち上がり、肩を怒らせて早歩きすると、数分もしない内に事務所のドアノブを回していた。
二階堂千鶴のプロデューサーが振り返った。
「お。おはようチズッ、!?」
朝の挨拶が途中で止まった。それは千鶴が早足で一直線にプロデューサーに詰め寄ると、ポカンとパンチをお見舞いしたからだ。
「な、なんだなんだ!?」
腰の入っていないぽかぽかパンチが胸板を叩く。目に見えてプロデューサーは混乱していた。
「落ち着け千鶴! 落ち着けって!」
「どうしてプロデューサーは、必要なときに、いないのですか!」
「え? あ呼んだのか? 千鶴公衆電話だから番号がさ……」
「わたくしが一体、どんな……どんな思いをしてたか!」
鬱憤を晴らすように何度もポコポコする。といっても強くないからそのまま受け止められていた。
怒りともつかないその拳をプロデューサーが捕まえた。
思わず目が会う。真剣な顔。
「ちゃんと話してくれ。次、なんて言葉使いたくないが、次は絶対に何があっても駆けつける」
「……それならば、夢の中に来てくださいませんか」
「えどうして夢なんだ?」
首をかしげるプロデューサー。その問に千鶴は真っ直ぐな瞳で見つめるばかりだ。
少し考えるような仕草をした。
「夢のなかはハードルが高いな」
千鶴はため息をついて、自嘲的な笑みを浮かべた。
なぜ駄々こねているのでしょうか。そんなの無理に決まっていますわ。
「よし、一緒に住もう」
「ええ!?」
突飛な言葉に千鶴が目を丸くするが、プロデューサーは当然のことのように続ける。
「夢ってのは記憶を整理するときにみるものだって聞いたことがある。オレが今以上に千鶴につきっきりになれば、一日中オレが千鶴の記憶の何処かに入り込めるということだ。そうなればオレが夢に出てくる確率が爆発的にあがる。すごい! 我ながらイイ提案だ! YES!YES!YES!」
「レッツシャイン! ッじゃなくて!」千鶴は掴まれている腕を振り払った。「一緒に住むなんて、そんな、ど、同棲みたいなこと……!」
熱くなるのを感じながら全力で抗議した。
(もしかして……わたくしの家に!? それはなんとしてでも阻止しなければ! 家だけは絶対知られるわけには……)
「あ、それはものの例えだけどな」
「……そんなこと言われなくてもわかっていましひゃわ」
「でも半分本気だ」
顔をあげる。一切の淀みもなく言い切った。
「それで千鶴が安心してくれるなら、オレはなんだってするよ。千鶴が嫌だと言ってもだ。二階堂千鶴は、オレたちの大事なアイドルだからな」
そう言うとわざとらしくオーバーな動きでビシッと指をさす。千鶴のマネだ。ふざけているようにしか見えない。
千鶴はプロデューサーを避けるように顔を伏せてしまった。
「……ふふふ」
ぐんと胸をはって、強気な笑みをうかべた。
「殊勝な心がけですわね。でも、一流のアイドルであるわたくしのプロデューサーとしてはまだまだ、高貴さが足りていませんわ!」
ビシッと指を突きつけた。
「なんですかその服装は! 髪は寝癖だらけだし、ネクタイも、ほら!」
プロデューサーの胸元の曲がったネクタイを正し襟を手際よく直した。
「す、すまん。泊まりだったから……」頭をかくプロデューサー。
「わたくしのために動いてくれるのは嬉しいですが、体調管理もプロデュースのうちですのよ?」
「返す言葉も無いな。ははは……」
「高貴さというのは体のそこから溢れ出してくるものです。規則正しい生活で己の徳を高めるのです。その結果がこのわたくしですわ! どうです? これ以上無い程の説得力でしょう! おーっほっほっほげほっごほごほ……って、どこへ行くんですか!」
自信満々な高笑いを止めて、洗面所へ向かっているプロデューサーを呼び止めた。プロデューサーはその結果、あたりでもう千鶴に背を向けていた。
「そろそろ出る時間だ。オレは身支度するから外で待っててくれ。すぐに行く」
洗面所のドアを開けながら言う。出発する時間の5分前といったところだった。
(……今日も始まるのですね。わたくしのアイドルとしての活動。二階堂千鶴の活動が)
プロデューサー(この人)に支えられながら。
「プロデューサー」
ドアノブに手をかけたプロデューサーに、ずいっと千鶴が歩み寄る。なんだ、とプロデューサーが聞く前に、その腕を掴むとカプッと噛み付いた。
突飛な千鶴の行動に、プロデューサーは目を白黒させた。
「ん何を、いやっているんだ?」
「こうしたらプロデューサーのことをもっと良く知れると思ったのですが」
千鶴は二、三回あまがみした後口を離した。
「そんなことできるわけないですよね。コロッケじゃあないんですから」
「……ん千鶴、本当に大丈夫か? 最近忙しくなってきたから、いやっぱり、今日は大事を取って」
「それじゃあプロデューサー、早く来てくださいね。わたくしの魅力を知らない不幸なファンの皆様のところへ馳せ参じなければなりません。それがわたくしに課せられた使命ですから!」
聞く耳持たずに千鶴は出入り口のドアノブに手をかけた。
はてなを浮かべているプロデューサーに振り返る。
元気と自信に満ち溢れている、いつまでもどこまでも先へ進むことのできそうな気高く高貴な表情。
「それにプロデューサーには、まだまだわたくしを知ってもらわねばなりませんから。……も……ですけど」
そして笑顔になる。好奇心旺盛で、無邪気な笑顔。
「これからも、私をよろしくお願いしますね。プロデューサー!」
二階堂千鶴のアイドル活動は続く、プロデューサーと共に。
二階堂千鶴さん 10月21日 誕生日おめでとうございました。
(2014年11月21日完成)
チケット代として使わせていただきます