誕生日おめでとう小説 りーなとレスポール
りーなとレスポール。
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多田 李衣菜は、ミルクの紅茶で喉を潤した。
下校していた友達と別れ雑多な街の通りを一人、セーラー服の李衣菜が歩く。
ふと楽器店のショーケースが目に入った。その中の赤いギターと李衣菜の澄んだ目が逢う。
「Fがなぁ」
立ち止まりもせずに素通り。いじくる左手の指先はぷにぷにでキレイだった。
(弦ってなんであんな堅いんだろ。もっとこれくらいだったらいいのに)
ペットボトルを右手でモミモミしながら歩みを進めると短い横断歩道が現れた。
(白いとこから落ちたらロックじゃない)
ペットボトルをカバンにしまい、大股で歩いて白線を踏んでいく。
1本、2本、3本、4本目で車がウインカーを出して路地に侵入してきた。
李衣菜は澄まし顔で普通に歩いて渡りきった。
(まあ、道から外れることもロックだよね)
キザに鼻を鳴らし、まっすぐに帰路を辿り、角を曲がって、李衣菜はそれに目を奪われた。
「ん?」
辺りには誰もいない住宅街の間の道、その道端に赤いギターが横たわっていた。
近寄って見下ろす。ボディの塗装は剥がれ、傷だらけで欠けている所もあるボロボロのエレキギターだった。
「なにこれ、まだ使えそうじゃん。こんなトコロに置いてくなんて、ギターが可哀想じゃんか」
李衣菜はムカムカしながらネックを握った。
「少女よ」
「え」
周りを見回す。確かに男の声がしたはずだったが誰もいない。
「や、やめてよねぇ、もう」
「ここだ……少女の、目の前に、だ」
首を下げていくと、そこにはギターがある。
「弾いてくれ」
「ひゃっ!?」
李衣菜は飛び退く。その抑揚のない機械的な男の声は、ボロボロのエレキギターから出ていた。
「でっ、ででっ、で!!」
「頼む……待ってくれ、少女よ」
全速力で逃げようとした李衣菜は足を止めた。それはギターからする声があまりにも苦しそうで、驚かすつもりなど毛頭もない、助けを求めるような声音だったからだ。
「ありがとう……少女よ……ワタシは、地球でいうところの、ギターではない。ギターは、本来、喋らないと、聞いている」
「え? あ、はあ、そうです、ね」
自分のコトを自分で否定したギターに、李衣菜は呆気にとられて立ちすくんだ。
「すまない。説明している暇がない。今直ぐワタシを、激しくかき鳴らして弾いてくれ」
「ちょ、ちょと、何が、なんだか、え? 私が?! どうして?!」
「お願いだ、そうしないと、ワタシは、も、う……」
それっきりしゃべらなくなってしまった。
「え、ちょ、ちょっと?」
ペシペシとボディを叩いても反応がない。
(白昼夢ってやつ? ネコに化かされた?)
立ち去ってもよかった。でも、あの苦しそうな助けを求める声。例えコレがドッキリや質の悪いイタズラだとしても、このまま放置して帰るのはなんとなく気分が悪かった。
李衣菜は恐る恐るギターを持ち上げると、人生で何度目かのギターを弾く構えになった。
「ピックが、あ」
足元に10円玉が落ちている。縁にギザギザの付いているギザ十だ。それを拾い上げると李衣菜はピックを持つようにした。
肩にかかる重み、そしてギターのカッコイイフォルムを身に着けているこの状態。
李衣菜はうれしさを滲みこませるように笑顔になった。
「やっぱりいいねぇ、ギターはッ!」
右手を風車の羽のように大きく回して、かき鳴らした。
ジャグワアアアン!
「イエーイ! ロックンロォーールッ!」
まるでシールドをアンプに繋いでいるかのようなヒズミの効いたエレキな音がしたが、李衣菜は特に気にせず右手を力強く突き上げた。
するとボディから淡い光がにじみだし、エレキギターを瞬く間に包み込んだ。
「お、おおおお!?」
それは一瞬で、李衣菜の驚きと共に光のもやが晴れていく。汚れや傷がなくなって、エレキギターは新品のようにツヤツヤと光を反射した。
「やはりワタシの目に狂いはなかった。ありがとう少女よ。あと少しでワタシは息絶えていた」
「は、はあ。なんだかわかんないけど、よ、よかったね」
李衣菜は服を直し髪を撫で付け、全然ビビってないしと平静を装った。
エレキギターは心なしかハリが出た声で、クールになった李衣菜に己の正体を明かした。
「ワタシはロック星人。新しいロックを求めて銀河を旅するロック生命体だ」
「え、ええ?! そ、それって、宇宙人ってこと?!」
飛び出た信じられない言葉に、李衣菜のクールは脆くも崩れ去った。
「地球人からしたらそうだろう。丁度月を横切ろうとしていたところ運悪くデブリに衝突してしまい不時着してしまったのだ。我々ロック星人はロックをエネルギーにして活動をする。運良く通りかかった少女がワタシのコトを弾いてくれたおかげでどうした少女よ」
キョロキョロと周りを見回す李衣菜に、ロック星人と名乗ったエレキギターが尋ねた。
「いやぁ……やっぱりテレビのドッキリなんじゃないかって……幸子ちゃんが良くヤラれてるし」
「無理もない。それでは少女よ。ワタシをもう一度かき鳴らしてくれ」
「え? ま、まあ、いいけど」
李衣菜は疑問を抱えながらも、普通にギターを弾いた。
ペンっ。アンプに繋いでいないエレキギター相応の弦の音がした。
「もっとロックにだ。全身を使ってさっきみたいにかきならせ」
「な、なんでそんな上から何だよ、もう、わかったよ。やればいいんでしょ、やれば!」
李衣菜はムスッとしていたが、自分の身体にピッタリと張り付くギターを見ると、自ずと笑みが滲んできた。
ギターが地面と水平になるように沈み込ませて、高らかに右手をあげる。
右手をギターとクロスさせるように起こし、6本の弦を一気に力強くかき鳴らした。
ジャグワアアアアアアン!!
歪みに歪んだエレキな音がギターから飛び出す。
向かい側の家の石垣がドガンと爆発した。
「ひやぁあああ!?!?!」
李衣菜は爆風で吹っ飛んで背中を強打した。石垣が「E」の形にえぐれている。
「え、ええ!? もしかして、まさか、コレ!?」
「少女が抑えた音を物体に焼き付けた。今のはギリギリ「E」だった」
「焼き付けたってレベルじゃないよ! ど、どどどどうしよう」
李衣菜は涙目で尻餅を付いて狼狽える。この爆音だ。聴きつけた人が集まってきて騒ぎになるには、それほど時間はかからないだろう。
そうなると取る手段は一つしかなかった。
「ごッ、ごめんなさぁ〜〜〜〜いッ!」
その場から背を向けて李衣菜は全速力で一目散に逃げ出した。
「大丈夫だ。次は聴いたものの神経を麻痺させて二度と動けなくするようにしよう。もう一度お願いする」
「そんな怖い事できるわけないでしょぉお〜〜〜〜!!!」
ロック星人を抱えていることも忘れて、李衣菜は泣きべそをかきながら恐ろしいスピードをだした。
部屋はキチンと整頓されていて、前川みくの性格が滲みでているようだった。家主が動物番組の海外ロケに出張中のため、今は李衣菜が寝泊まりして管理している。
ベッドにロック星人を立てかけると、李衣菜はカーペットに尻餅をついた。
「で、そのロック星人さんが何なんですか」
「信じてくれたか少女よ」
「信じる、信じるからもう絶対あんなことしないでよね! あぁあ〜〜明日のニュース見たくないよぉお」
李衣菜は頭を抱えて己の運命を呪った。
「それでロック星人さんだっけ? もう元気になったんなら、今直ぐ帰ってくんない? 色々あってもう私クタクタだよ」
「先程から救難信号を送っているのだがどうやら届かない距離に仲間がいるようだ」
「な、なんか嫌な予感がするんだけど……」
機械的に言うロック星人に李衣菜は青ざめた。しかしそれは杞憂だった。
「最期のお願いだ。ワタシをハードオフに売っぱらってくれ。この星のロックCDを購入するくらいにはなるだろう」
「ハードオフとか知ってるんだ……じ、じゃなくて、え、どうしてそんなこと」
「これ以上君を巻き込みたくない。買われた者に頼むとする」
李衣菜は返事をしなかった。
考えるような間の後、神妙に頷く。
「……わかった」
「短い時間ではあったが感謝する。できれば少女の名前を教えてほしい。君のロックな魂にワタシは助けられた。それを忘れたくないんだ」
「私は多田。多田 李衣菜。ロックなアイドルを目指してる、346プロ所属の新人アイドルだよ」
「多田 李衣菜。いい名前だ。そしてありがとう多田 李衣菜。ワタシが星に帰ったら君の銅像をこしらえさせて名前刻んで讃えよう。申し訳ないがハードオフで力尽きなければの話だ」
「そんなのいらないよ」
「そうか。それ以外となるとワタシの星のロックを君に聴かせるくらいしか考えつかない。我々のロックは地球よりも四半世紀以上進んでいると思われる。君にも聴かせたい」
「あのねぇ」
我慢できないと李衣菜はおもむろに立ち上がった。
「ロックってのはさぁ、見返りを求めないんだよ。ロック星人ともあろうお方が、そんなことも知らないわけぇ?」
「多田 李衣菜が言っていることを理解できない」
「ロックってのは音楽じゃない。生き様ってことだよ」
「生き様」
ロック星人が吟味するように繰り返した。
「そう。だからさ。熱いソウルを持っている私が、困ってる人を見過ごす訳ないんだよね」
「すまない多田 李衣菜。ワタシは地球の言語がよくわかっていないようだ。君の言っている言葉の意味が一つもわからない。熱いソウルとはなんだ」
「え? そ、それを訊いちゃうかぁ、え、ええと……」
シワを寄せた眉間に人差し指を当てて、李衣菜は瞼を閉じている。
パッと目を見開いた。
「そう! 言葉を言葉でしか感じ取れない時点でロックじゃなんだよなぁ。わかんないかなぁ〜〜、この抑えきれないビートがさぁ」
「なるほど。教えてくれ」
「こ、こういうのは教えられるもんじゃないの。自分で掴み取るもんなんだよ、わかる?」
「感じ取れということだな」
「なーんだ、わかってるじゃんか。そういう、ことぉ! ふぅー……」
こっそりと安堵の溜息をつく李衣菜。胸を張ってロック星人に向き直った。
「というわけでロック星人さん、私があなたを助ける! よろしくね!」
「なに。いいのか多田 李衣菜」
思っても見なかったことだったのか、ロック星人の平坦な声に驚いているようなニュアンスが混じった。
「おうよっ! で、でも、あんなこともう二度としないでよね。命がいくつあっても足りないからさ……それだけは約束してよ」
「ありがとう多田 李衣菜。ワタシはとても嬉しい」
「りーな、って呼んで」
晴れ晴れとした笑顔で、李衣菜はロック星人に手を差し伸べる。
「わかった約束しようりーな。それならばワタシのことはレスポールと呼んでくれ」
「へえ、レスポールって言うんだぁ……なんか、ロックっぽい響きじゃん!」
李衣菜はロック星人、レスポールのネックに握手した。
▼△
「違う。もっと指を立てろりーな」
「簡単に言うけどコレ、結構イタイんだからね」
「Fが出来れば大抵のコードはできる。ガンバレりーな」
「んなこと言ったってぇ」
カツ、カツ、シンデレラプロジェクト専用の部屋でコードにならない音がする。
李衣菜はソファーに腰掛け、教えてもらいながらギターの練習をしていた。
講師はまさに今、李衣菜が弾いているギター。ロック星人のレスポールだ。
「思うんだけどさぁ、別に弾けなくてもいいんじゃないかな?」
両手を頭の上で組んで伸びをする李衣菜。
「ロック星人に連絡するためには、ロックをかき鳴らして人の心を震わせればいいんでしょう? だったらうまくなる必要ないじゃん。私のロックな歌声で地球全体を揺らして宇宙中に響かせれば、一人どころか、星中で迎えに来て送迎してくれんじゃないかなぁ。ギターはなんか、流してもらえばいいじゃん」
「確かにロックは技術ではない。しかし交信するためにはワタシも演奏に参加していなくてはならない。最低限ギターが弾けなくてはそれは成立しない。りーなは最低限ができていないからこうして練習しているんだ」
「ギクッ、返す言葉もない……」
ロック星人の平坦な指摘は、李衣菜のソウルを深くえぐった。
「でもさー、弾けるようになったとしてもバンドメンバーいないし、お客さんもいないし、そもそも曲は何弾くの?」
「つまり弾けないと話にならないな、りーな」
「大人しく練習します」
李衣菜はひたすらに練習した。
レスポールの教え方はわかり易く、李衣菜は練習すればするほどメキメキと上達していく。
そして一週間後、音楽スタジオでその成果を披露した。
押さえたコードがスタジオのアンプから歪んで吐き出される。その音を体全体で感じると、李衣菜は嬉しさで身震いした。
「うっひょ〜〜! これだよこれ! サイッコーサイッコー、チョーサイッコー!」
「弾けるようにはなったな」
「なんでそんなこというのさ、こんなに上手くなったんだよ!」
ボロボロジャンジャンカツンボロカッカッジャボンべーーーーン………ベベン。
「上手くはなったな」
「でしょお? いや〜〜一週間でコレほどまでに上手くなっちゃうなんて、やっぱりロックのために生まれて来ただけあるんだよなぁ〜〜。このままじゃアイドルよりも、先にロックシンガーとして世界に羽ばたいちゃうんじゃないかなぁ?」
「嬉しそうで何よりだ」
「まあ、それはいいとして……あの、さあ」
「トイレならば出て右だ」
レスポールがアンプとシールドに繋がれたまま言う。李衣菜は頬をかいてもじもじ。
「そうじゃなくて! その、ありがとう……って言いたくてさ」
「何故だ」
「こんなにギター弾けるようになったの、レスポールのおかげだからさ、言っておきたくて……えへへ。で、でも、元々のポテンシャルが高かったコソの上達だからね! それを引き出してくれたのが、レスポールのおかげっていうか……」
「ワタシもりーなが喜んでくれて嬉しい気持ちだ。しかし本来言うべきなのはワタシであるしまだりーなには協力してもらわねばならない。その言葉はいささか早すぎるとワタシは思う」
「いいんだよ、伝えたい時に伝えるのがロックなんだからさ!」
李衣菜は親指を立ててウインクした。
レスポールは沈黙する。まるで感心しているような間だった。
「りーなには教えられることが多い」
「そ、そうかな。なんか、そう真面目に言われると照れるなぁ……」
その時、ガチャッとスタジオの分厚い扉が開く。受付のにーちゃんが顔をだした。
「あのー、バンドメンバー募集のチラシ見たって人が来たんですが、お通ししますか?」
「え! 本当ですか! ああいうチラシって本当に人くるんだ、くぅ〜〜すっごいロックしてるじゃん私……!」
「よかったなりーな」
「うん! あ、お願いします!」
にーちゃんが引っ込む。レスポールと会話している姿を怪訝そうに見られていたが、李衣菜は喜ぶので精一杯でそんなの全く気づいていなかった。
男が三人入ってきた。
チビとノッポとデブ。どういうわけか3人とも半袖でオレンジ色のTシャツにジーパンの出で立ちだった。
「こんにちは! えーと、三人ともお友達ですか?」
「待てりーな。様子がおかしい」
3人に歩み寄ろうとした李衣菜は足を止めた。
「君たちが好きなロックバンドを教えてほしい」
レスポールが質問するとチビが答えた。
「オアシス」
「あーハイハイ。オアシスね」李衣菜が頷く。「い、いいですよねー、こないだ新曲だしたばっかりだっけぇ? いいよねー、癒されるっていうか、ロックバンドにしてはちょっと落ちついてるっていうか……オアシスにはコレからもまだまだ頑張ってほしいですよね!」
「THE YELLOW MONKEY」ノッポが言う。
「え? サル? いやいやいやいや、知ってる知ってる! あのーあれね、あれ。……ゆ、UKロックにしては攻めてるよねぇ。ビジュアル系バンドって海外にもあるんだって感心しちゃったなー」
「ハイサイフューチャースター」デブが言う。
「最高! 沖縄の音楽を取り入れてるのが画期的で新しい音楽を提示している感じがあって好感が持てるっていうか! 解散したのは悲しいけど、あの子たちが残した功績は大きい!」
「おかしいぞりーな」
「ななななにが」
李衣菜の耳が狼狽えるようにピクついた。
「ワタシの声は一般人には聴こえないはずだ。周波数はりーなにしか飛ばしていない。しかし今ワタシの問いに答えた」
「え? ど、どういうこと」
「拾える耳があるということだ。それを持っているのは地球人じゃありえない。つまり、」
レスポールが言い終わる前にそれは起きた。
ギターバッグのチャックを開けるような気軽さでパックリと3人の頭が開いた。李衣菜が叫ぶ暇もなく、粘着質な液をまとわせた物体が中から伸び出してきた。
それはトランペットとバイオリンとピアノによく似ている。人の首から生えているそれの先端が、舞台照明のように光りだした。
「Dをおさえろ」
李衣菜は視線を落とした。口をパクパクさせて目が見開いている。
「練習しただろう。Dを鳴らせ。早くしたほうがいい」
ピキュン! 甲高いSEと共にビームが三本李衣菜に伸びる。
命中して爆発。後ろの壁が崩落して受付のにーちゃんが悲鳴を上げて逃げた。
煙が晴れてくる。
李衣菜は変わらない姿でレスポールを構えていた。Dの英字を中心にして発生している透明な壁が、目の前に出現している。
「なにビーム、なにD、なに宇宙人?!」
「いいぞりーな、次はEだ」
「いいぞじゃなくて!」
「彼らはクールダウン中だ。今しかない」
「あぁあもう! こうなりゃEだ! ヤケ!」
混乱しながらも李衣菜はEを掻きむしる。
するとDの壁が光になって溶けアンプから発生したイナビカリが三人に直撃。骨を見せてシビレルと、湯気を立てて崩れ落ちた。
「こ、これってもしかして、石垣を爆発させたのと同じ……」
「本来のEは電流による攻撃だ。石垣に刻みつけたのはデモンストレーションでワタシが意図的に効果を操作したものだ」
黒焦げになっている宇宙人。抜けたスタジオの壁と壊れた機材たち。
見回して李衣菜は青ざめた。
(私の音でこんな……)
「逃げるぞりーな。これくらいじゃヤツラの心肺機能を破壊できない」
抜けた壁から受付を通って外にでる李衣菜。
「すぐに追ってくるはずだ。このまま人通りの多い繁華街まで走れ」
ギターを抱えて必死に走る女子高生を街の人々が怪訝そうに見送っている。
「ロックアンチ星人たちだ。何処からかワタシが不時着したのを嗅ぎつけたのだろう。巻き込んでしまって申し訳ないがワタシを逃してくれ」
李衣菜は口をギュッと結んだまま足を進める。
「怖がらせてしまったのならば申し訳ない。しかしワタシがロック星人である限り彼らは避けられない敵なのだ」
繁華街の入り口が見えてきた。
しかし李衣菜は左に方向転換した。
「待て。どこへ行くんだ」
レスポールの呼びかけにも返事をせず、たどり着いた場所は取り壊し前のビル。
エントランスホールの中程で立ち止まると、足音が一つ多く止まる。
「ロックはいいよ!」
バッと振り返ると、首からトランペットが生えている人体が入り口に立っていた。
普通じゃないシルエットに、李衣菜はたじろぎ汗を垂らす。しかし悲鳴を上げたり逃げるでもなく、明るく話しかけた。
「ロックってやつはさ、こう、胸のココに響いてくるんだよ。聴いたことないなら聴いてみて! 絶対に気に入ると思うからさ!」
拳で胸を叩き、口角を上げて無邪気な笑顔を見せた。
まるで首をかしげるように身体を傾けるトランペット。そして広いエントランスに自身の音をトランペットが反響させた。
「りーな」
「伝わったの?」
レスポールに李衣菜が訊くと、短く答えが返ってきた。
「『ロックは不良が聴くものだ』」
キィイン、あのビームの準備音が李衣菜の耳を刺激してくる。
「待って、やり合うつもりはないよ! 話しあおうよ!」
「りーなダメだ。彼らは聞く耳を持っていない」
「でも音楽で傷つけあうなんてそんなのダメだよ!」
「わかっている。しかしやらなければやられるんだ」
李衣菜の後ろに長い影が伸びる。飛び出すのが待ちきれないとトランペットの丸い穴で光が膨張していた。
「Aだりーな」
「くっ、くっそぉお!」
トランペットと着地点が光の線で繋がれ、爆発。
李衣菜は煙から飛び出すと、一直線にトランペットに迫る。両手でネックを掴み、ボディで床をえぐっている。重たいハンマーを振りかぶるようにしてレスポールを頭上に振り上げた。
チャージが完了していた二発目のビームをすぐさまトランペットが打った。
「どりゃぁああ!!」
避けるような素振りもせずにクラッシュすべく振り下ろすと、その赤いボディがビームをぶっ叩いた。
ビーム! ビームが殴られた時出す音がすると、ガラスが砕けるようにボロボロとビームがこぼれて無くなった。その衝撃は伝染してビリビリとトランペットの身体を痺れさせた。
今しかないと李衣菜は、レスポールを砲丸投げよろしくぶん投げた。
「わからずやぁああ!!」
回転しながら飛んでいき、トランペットの穴にスポンッとネックが刺さった。
爆散した。
床に刻み込まれたAの文字でくすぶる小さい炎。それだけのこしてトランペットは跡形もなく消え去った。
「ど、どええ……」
▼△
寮に戻ると風呂で汗を流してからレスポールと李衣菜は部屋に戻った。
「ギターって水に浸していいの……?」
「ワタシは宇宙人だ。ギターではない」
「そうだけどさ……」
湿りまくってビッショビショのレスポールをタオルで拭く李衣菜。絵面的に合点がいかないようだった。
「それと安心しろりーな。やつは腐っても宇宙人だ。宇宙人は爆散したくらいじゃ死なない。もう地球にはこれなくなるだけだ」
「宇宙人ってそういうもんなんだ」
「宇宙人だからな。ありがとう李衣菜」
水滴を拭き終わると李衣菜はタオルをネックにかけた。
「ロックってのはさ。こう、考え方とか、社会とか、そういうもんをぶっ壊すんであってさ。その……上手く言えないけど、人を傷つけるものじゃ絶対ないんだよ」
「それは我々も重々承知している。しかし」
「しかしもカレーも煮付けもない! もうあんなことは絶対にしないからね。私のロックと魂が違うんだ」
「わかった」
「ホントかなぁ……」
冷蔵庫から紅茶を取り出しコップにそそいだ。
「ワタシにもくれ」
「え? これ?」
「いつも飲んでいるから気になっていた」
「いいけど」
コップに紅茶を注ぎ、ベッドに立てかかっているレスポールの前に置く。
「どうやって飲むの?」
「6弦をゆるめてくれ」
言われるがままにペグを緩める。
すると弦が柔らかい紐のようにするりと動き出し、コップの中に先端が入った。一瞬にして紅茶が吸われた。
「美味だ」
「そ、そう。よかった」
李衣菜は内心ビビりながらも、触手が持ち上げたコップを受け取った。
「やはりワタシのヘッドに狂いはなかった」
「どうしたの急に」
「りーなは誰もが取得できるが時の流れとともに諦めてしまうものに真正面から向き合っている。それはどんな地球人にも宇宙人にも難しいことだ」
「なにそれ、トンチ?」
「紅茶のアルカロイドで意識が少しだけトリップしたようだ。忘れてくれ」
「ふーん。アルカロイドだもんなぁ。じゃ、今日もそろそろやりますか」
洗い終わったコップを戻すと、レスポールからタオルを取って構えた。
「座ったほうが楽だ」
「立ってないと本番でできないじゃん。それに」
姿見鏡の前に立つと、李衣菜は満面の笑みになった。
「かっこいいぃ〜〜! えへへっ!」
色々なポーズを取る李衣菜。ギターを構えた自分に見惚れていた。
「構えているだけじゃギターは弾けるようにはならない」
「イメージトレーニングだよ。ステージに立つ身としては、見栄えも気にしないとじゃん?」
「りーなが楽しそうでなによりだ」
ギターを持った自分を沢山満喫した李衣菜。アンプにヘッドフォンのジャックを挿入させる。
「では練習を始めよう」
「はい、よろしくお願いします、コーチ」
レスポールの指導の元、曲の練習を始める。
しかし、コードはまあまあすぐに押さえられるようになったのだが、曲となるとそう簡単に行かなかった。
「あー、中々うまくいかないなぁ」
1時間くらい経った頃、李衣菜はベッドに腰掛けた。
「この曲は中々早い。今からでも変えないかりーな」
「うーん。最初に弾けるようになりたいんだよな。思い入れのある曲だし」
「なるほど。そうだったな。思い入れがあるのはとてもいい。ワタシのパワーにもなる」
「わがまま言ってごめんね。でもこれだけは曲げたくないんだ」
「分かった。では少しずつやっていこう。ワタシも帰るのにそれほど急いでいるわけでもない」
「あの、そのことなんだけどさ」
もじもじと髪を弄る李衣菜に、次の言葉を待つようにレスポールが黙る。
「……もう地球に住んじゃえば?」
「それは。移住ということか」
「そう!」
途端に白い歯を見せた李衣菜。
「レスポールを弾いてるとさ、こう、レスポールとなら、ロックなアイドルになるのも夢じゃなくなりそうだって思えてさ。輝くステージに立ってレスポールをかき鳴らすロックでソウルフルなアイドル多田 李衣菜。Mステとかトップオブザポップスとかでちゃったりして、アイドルだけの枠に捕らわれないパーソナルな活動で超UKなロックの頂点を掴めそうな予感がするんだよ!!」
「難しい日本語だ」
「それに、まだ会ったばっかりなのに、すぐに居なくなっちゃうのも寂しいじゃん? せっかく、友達になったのに……」
「友達か」
「ああーー。あーあーあー! 練習しよ練習! 私にとっては一日一日が早く進んじゃうからね。あーあ、ロックンロールスターになるには一秒一秒が惜しいなぁ」
「りーなは時々ワタシと同じカラーになる」
「う、うるさい!」
「恥ずかしがることはない。『伝えたい時に伝えるのがロック』だ、りーな」
「ぐぬぬぬぬぬ〜〜〜〜!!」
「リーナ、マイフレンド」
「い、いいぇええい! フゥウー! ロックンロール!!」
李衣菜はレスポールの言葉が聴こえないくらい滅茶苦茶に弦をかき乱して部屋を飛び回った。
ギター片手にドッタンバッタン荒ぶるりーな。心配で見に来た星輝子がドアの影で震えていた。
弦の触手が李衣菜を持ち上げる。
ベッドに李衣菜を移動させて布団をかけるレスポール。電気を消して、ギター立てに身体を収めた。
幸せそうな寝顔を眺めてレスポールは考えた。
この少女は不思議だ。
ロックの知識はにわかもいい所で全く知らないと言っても良いくらい。それなのにこの娘から溢れだす底知れぬ『ロック』のエネルギー。
李衣菜に演奏されるとワタシは今までにない昂ぶりを感じる。
パンク、グランジ、ハード、プログレッシブ、メタル。どんなジャンルのロックを演奏してもこの高なりを覚えることはできなかった。
地球に永住か。
りーなとロックを追求すれば、もしかしたら我が星以上の新時代のロックンロールを奏でられるかもしれない。
まあいい。それもりーなが演奏できるようになってから考えればいいことだ。
レスポールはマドロミに身を委ねて、意識の瞼をおろした。
ドアが開く。
暗闇にピアノの鍵盤が浮き出た。
▼△▼
必死の形相の李衣菜が寝間着のまま寮の廊下を走っていた。
朝起きるとレスポールの影も形もなくなっていた。朝ごはんを食べることも忘れて寮中を探し、寮に住む全員に訊いて回っていた。
「私のレスポール、じゃなくてギターしらない!?」
星 輝子の肩を揺さぶると首をブンブンと激しく横に振られる。李衣菜は最後の寮生の前で肩を落とした。
「どこ行ったんだよ、急にいなくなるなんて……」
心配して声をかけようか迷っている星 輝子に背を向けた。
「あれ、っていうか自分で動けたっけ……?」
『はーーい! ネコちゃんたちー? みくがいなくてもいい子にしてたー?』
食堂のテレビに振り向いた。画面に映し出されているのは朝の新宿アルタ前。特設ライブステージが設けられておりライブ開始間近のようだった。平日の朝にもかかわらず大勢の観客が駆けつけている。
しかしステージ端から忘れもしない、忌々しい異形の存在が現れて進行が妨害された。バイオリンとピアノの頭を持つ宇宙人だ。
「あいつら! それにあれ……レスポール!」
李衣菜は画面にかじりついた。バイオリンの手には、どこにも居なかったレスポールが握られていた。
『ちょちょっと、なんなのにゃ! こちとらやっと世界ロケから返ってきて、*(アスタリスク)の宣伝ができる権利が貰えたのにってうわっ、グロぉい……』
宇宙人たちに近寄った前川 みくは、楽器と人体の接合部の気持ち悪さに引いた。
宇宙人たちがみくに詰め寄って見下ろす。
『な、なに? あっ……』
素早く後ろに回られたピアノに、首の後ろに手套されてみくが気絶した。
するとピアノの身体がグジュグジュと溶けだす。支えの無くなったピアノが、突っ伏しているみくの頭にドッキングした。
みくがゆっくりと身体を起こして立ち上がった。
『……フフ。フフフ。アーッハッハッハッハッハ! すごい、すごいにゃ……力が溢れてくるにゃぁあ!!』
猫耳と一緒にピアノを頭の上に乗っけているみくは、眼の下に大きなクマがつき悪い顔になっていた。
やっとおかしな事態に気づいた警備員がステージに押し寄せてくるとバイオリンが動き、おもむろにレスポールをかき鳴らす。
禍々しい音割れを起こしている耳障りな音の波動が広がり、屈強な警備員たちが紙のように吹っ飛んでいった。
誰かの悲鳴をきっかけに、観客がステージに背を向けて走りだした。
『おやおや〜〜? このダーク前川 みくの歌を聴かずにどこへ行こうというのにゃああー!』
スピーカーを通しみくの声が波動になって何倍にも拡張された。
観客の足がピタリと止まり身体の向きが変わると、熱に浮かされたようにステージへと殺到する。
『おねだり Shall We〜? にゃああああ!!』
カワイイ曲のイントロが流れだし、それに答えるように観客は激しくヘドバンし、モッシュし、ダイブし、にゃあにゃあした。曲のノリと観客、歌っている本人のノリが合っていない。丸っきりロックのノリだ。
『アーッハッハッハッハ! みんな最高にゃ! これまでにない最高のニャンニャンでニャアニャアなステージだにゃあ! このまま燃え尽きるまで、みくの歌に身を委ねていくといいにゃあ!』
うぉおおおお! 野太い歓声が朝の新宿アルタ前を制圧した。
『それじゃあ次の曲いっちゃうにゃ! 前川 みくでぇ、おねだりシャル――』
シャウトが突然切られると、双葉 杏がベッドでゴロゴロしている様子が映し出される。寝具のCMだ。働きたくなくなる寝心地、ナレーションが流れた頃には、李衣菜の姿は消えていた。
新宿アルタ前は騒然としていた。
交通機関が麻痺し至るところで煙と火柱が上がっている。窓が割られ、看板が壊され、破裂した水道管から水が吹き出し、アルタビジョンには落とし穴に吸い込まれていく輿水 幸子、阿鼻叫喚。
逃げ遅れた人々がネコに化かされたようにステージへと吸い寄せられていく。自分の意思で李衣菜はその流れに乗った。
「みく! レスポール!」
狂喜乱舞する観客に混じって李衣菜が叫ぶ。ステージ上では前川 みくが何十回目かの「おねだり Shall We〜?」を歌って踊っていた。テレビ画面で見たように全体のノリがおかしい。ステージ端の鉄パイプで作った柱にみくがピアノを頭に乗せたまま登ってにゃあにゃあ咆哮している。
その隣でバイオリンがレスポールを弾いていた。曲のオケに雑音が混じっているのはこれのせいだろう。
(レスポールでみんなを操っているんだ)
ステージに駆け寄ろうにも観客の壁が厚くて弾き飛ばされてしまう李衣菜。と、観客の上を転がっていくダイバーに目が止まった。
「あれだ!」
目の前にいた人の肩に手をかけようとする。でも届かない。するとそのムキムキマッチョマンで刺青だらけのヒゲと頭ボーボーの大柄のアメリカ人らしき男が振り向き、ニヤッと笑った。
「あ、あはは、ご、ごめんなさ―― !?」
気がつくと李衣菜は空を飛んでいた。観客の海に着地、無数の手によって流されて行く。
「う、うわわぁ!?」
ステージに向かってどんどん李衣菜が運ばれ、瞬く間にステージ前まで来た。意を決して観客の手を踏み台にステージのダーク前川 みくにダイブした。
「みくぅう!!」
驚く暇も与えさせずに激突。勢い余って転がりステージの後ろに衝突して止まると、みくが李衣菜の下敷きになった。すかさず李衣菜は、みくの頭にドッキングしているピアノを引き剥がしにかかった。
「このぉ、はぁなぁれぇろぉ〜〜〜〜ッ!」
「いだだだだだ!やめるのにゃぁあ!!」
みくがじたばたして抵抗するのを馬乗りになって押さえつけ、李衣菜はもう一度と思いっきり引っ張った。
スポンと気持ちのいい音をさせて取れるピアノ。接合部から無数の小さい触手がうねうねと蠢いていた。
「ひゃぁ!きもちわるッ!」
ブンッと顔を背けて投げ捨てると、バイオリンに粘着質に命中した。
爆発した。
バイオリンは棒立ちのままモクモクと煙と炎を首から上であげている。
「宇宙人って絶対に爆発するんだ……」
「李衣菜ちゃん!」
みくが李衣菜の首に抱きついた。一瞬驚いたが肌を通して伝わってくる震えに全てを悟る。
「こわかったよ李衣菜ちゃん……」
「もう大丈夫だから、ね?」
泣きじゃくりながら一層強く抱きつくみく。いつもの挑戦的な態度とのギャップに焦りながらも、李衣菜は背中を優しく撫でた。
照れくさくなってみくから視線を外す。ボーカルが居なくなっても観客は曲に合わせてノリを止めていない。そして次に見たのはレスポールの先端だった。燃えているバイオリンがライフルを構えるようにして李衣菜に照準を合わせている。
「みくッ!」
咄嗟にみくを巻き込んで転がると、さっきいた場所が爆発する。
李衣菜はみくをステージから突き落とすと、追ってくる攻撃を避けるが、爆発でアンプに背中から激突した。
「ぐっ、レスポール! 聴こえてるんでしょ?! りーなだよ!」
だがレスポールは答えない。何度も照射されるレスポール光線に、李衣菜はアンプの裏へと逃げこんだ。
「ダメだ。全然声が聴こえないよ。どうすれば……」
爆発の振動を背中で感じながら辺りを見回す李衣菜。ギターが舞台袖に立てかけてあった。
アンプが爆発するのと同時にステージを蹴って舞台袖に飛び込む。
シールドがギターと繋がっているのを確認すると、李衣菜はギターをかき鳴らす。
「あ、あれ?」
それは李衣菜が思っているよりもかなり小さな弦そのままの音だった。
シールドを視線で伝っていくと、黒いケーブルの伸びている先にはアンプがなかった。跡形もなく爆発していた。
李衣菜は、それでも構わずに弾く。それはレスポールと練習したあの曲だった。
レスポール光線が周りで爆発する。爆風が前髪を揺らし、破片が飛んで頬が切れる。
誰にも届かない小さい音。それでもコードを押さえて練習した通りにギターを鳴らした。
歌はのっていない。
李衣菜はギターを弾きながら歌う練習をしていなかった。
「李衣菜ちゃぁあん!!」
その叫び声を聴いても止めなかった。
レスポール光線がチャージされて、特大の光が膨張していく。
発射されたのがわからないほどにゆっくりと李衣菜に迫る。
目を開けていられないほどの突風。李衣菜はめいいっぱい息を吸い込んだ。
「―――――!!」
光が李衣菜を包み込んだ――――恐る恐る固く閉じていた瞼を開ける。バイオリンがレスポールを叩いて焦っていた。
心なしか暖かさを感じて周りを見る李衣菜。迫ってきていた特大のレスポール光線がトンネルになって李衣菜の頭上にかかっていた。
「すごい……」
Cだ。
「え?」
Cをかき鳴らせ。
「この声……」
うん、と李衣菜はCを鳴らした。
ズズズズ……。光の塊がステージを削って移動を始める。
バイオリンがレスポールを構えて弾いたり叩いたりするが何も起きない。ダメだとわかったのか、レスポールをステージに叩きつける。ブヨン、とスーパーボールのように跳ね返り、レスポールが李衣菜の胸に飛び込んでくる。
李衣菜はしっかりと抱きしめた。
「聴こえたぞ。りーな」
「私も!」
弾ける笑顔でレスポールと笑いあった。
二人の頭上の光が漏斗状にうずを巻いていく。
「どうやらまだ終わっていないようだ」
その声に前を見る李衣菜。
バイオリンを奏でる弓に光が吸い込まれていく。
全ての光が吸い込まれると、邪悪に輝く弓の刃がバイオリンの手の中にできあがった。切っ先を李衣菜とレスポールに向けて踏み込んでくる。
「抜け、りーな!」
李衣菜にはその短い言葉だけで、レスポールの考えていることが手に取るようにわかった。
ネックを掴んで『引きぬく』と弦がボディに収納され、輝きを放つ剣がボディからその刀身を表す。しかしその動作中にバイオリンの邪悪な弓が李衣菜に振り下ろされていた。
ガギイィン! 弓が火花を散らす。刃は李衣菜に届かず、レスポールのボディに阻まれていた。剣を吐き出したボディは、超装甲の紅の盾へと変わっていた。
「また戦わせてしまってすまないりーな」
「ロックを守るためならばッ!!」
李衣菜は剣を振るって応戦する。
ステージで踊る李衣菜とバイオリン。断続的に剣が叩き合わさる音が奏でられる。
人生で初めて使うであろう剣と盾を李衣菜は難なく使いこなす。それは剣と盾がレスポールであるからであり、何度も練習して染み付いたコード運びとピッキングを身体が覚えているからだ。
それに李衣菜は一人で戦っているわけじゃない。
その戦力差は如実に現れ、戦況はすぐに変化した。
弾き避けていたバイオリンの刃を李衣菜がボディで弾く。
大きくたたらを踏み隙を晒したバイオリンに、李衣菜は回転斬りを繰り出した。
会心の一撃。バイオリンはスッ飛び鉄パイプの柱を歪ませると、頭の炎が消えて動かなくなった。
「ハイラルを救ったことのある私に剣で挑んだのがまずかったね」
李衣菜は歩み寄って見下ろすと、その切っ先を黒焦げになっているバイオリンに向けた。
「油断するな」
「わかってる、わかってるって」
勝ち誇ったキザな頷きを見せて、剣を逆手に持ち直す。
「星に帰ったら私らのことをボスに伝えな。この星のロックは、ちょー最高で、クールでホットな、ロックだったってねッ!」
それを振り下ろした。はずだった。
「あ、あれ?」
右手をみた。剣がなくなっている。
バイオリンを見ると、タレ目のようになっているバイオリンのくぼみ、f字孔から無数の触手が伸び出していた。
「ひ、ひやああ!」
ビビった瞬間に触手が李衣菜を突き飛ばす。
李衣菜が背中をステージに打ち付けると、触手が肢体と首を押さえつける。
一気に形勢が逆転してしまった。バイオリンは自分の刃を壁から抜き取って、李衣菜を見下ろした。なんの迷いもなく李衣菜に振り下ろす。
やられる……!
あ、でも有名なロックミュージシャンは27までに亡くなるらしいし……。
「だからってヤダーーーーッ!!」
ポコッ。
バイオリンが止まる。
ステージにペットボトルが落ちた。
それを合図にバイオリンに向かって石やらエナドリやらモバコインカードやらが観客から大量に投げ込まれた。
「みんにゃあ!李衣菜ちゃんを応援して! このお魚の仲間っぽいヤドカリのお化けみたいなやつをやっちまうのにゃあ〜〜!」
その煽りに観客の投擲が増える。いつの間にか観客の洗脳は解け、操作されておかしくなっていた熱量はバイオリンを打ち倒すために遺憾なく発揮されている。
李衣菜ちゃーん! 立てー! がんばれ李衣菜! やっちまえー!
「みんな……」
耐えていたバイオリンだったが、ついに観客に向かって威嚇する。
「李衣菜ちゃん! やっちまいにゃあ!」
声に振り向くと、剣が飛んでくる。ステージ下でみくがマイク片手に親指を立てていた。
「いくぞりーな」
李衣菜は頷いて剣を構える。
ステージの前にあるステージアンプを踏み台にして、高くジャンプした。
「多田流――」
バイオリンはその大きすぎるモーションに気がついたようだが、岩が当たって首が曲がった。
「ジャンプ斬りぃいいいいーーーーッ!」
カッコよくステージに着地。
足元に落ちているボディを拾い上げた。ベルトに首を通し、刀身をカチンッと仕舞う。
背後のバイオリンのシルエットが斜めにずれて、爆発した。
爆風と熱がやむ。
レスポールを抱えたまま恐る恐る振り返った。
「やっ……た?」
宇宙人の爆発に負けないくらいの歓声が爆発した。
天井のなくなっているステージで、李衣菜は空を見上げる。
「やったな、りーな」
その熱を全く感じていないような平坦で機械的な声がする。
「もっと喜んだら」
「これでも喜んでいるつもりだ」
「ふーん」
「りーなももっと喜んだら良い」
「え、いやーなんかさ」
色々とありすぎて李衣菜は心ここにあらずになっていた。だが何か思いついたようで、
「クールなアイドルは感情を表に出さないものなのさ」
「なにを言っているんだりーな」
「つ、つっこみがダイレクトだなぁ。ま、とりあえず……」
熱気の中、李衣菜はもう一度空を見上げた。
生ぬるい風が汗で濡れた髪を乾かす。
向こうの空がオレンジ色に染まっていくのが見えた。
「もう夕方か……帰ろっか?」
「すまないりーな」
胴上げされているみくを横目にステージから降りようとしていると、レスポールが呼び止める。
「何か忘れものでもした?」
「今は朝の9時だ」
「え? なにいってんの、だって空が夕焼けに……」
急にそう言われて李衣菜はスマホを取り出した。時刻は9時1分。
「じゃあアレはなんなの……?」
「バイオリンがワタシを弾いた時点で勝敗が決まっていたようだ」
「なに、言ってるの?」
信じられない言葉に李衣菜の笑みが消えていく。
「人を操るコード進行。あれは人々に眠るロックエネルギーを膨張させて、炸裂させる効果があった」
「炸裂って……」
「ここにいる人々はりーなの頑張りによってどうにか一命を取り留めた。テレビ電波を通して膨張したこの進行は世界中に広がっただろう。ならばココにいない世界中の人々は」
「どう、なるの」
「燃え尽きて抜け殻になってしまう。抜け殻になれば何も生産せず何も生まれなくなる。つまり人類は絶滅する」
「ちょっとまって。話が大き過ぎない……?」
「そしてもう遅い」
レスポールが淡々と告げた。
「おそらく新宿アルタ前に居る人間だけしか助かっていない。空を見れば分かる。抜け殻になる瞬間にその生命体からはロックエネルギーが抜け出て分散する。夕焼けに見えたあれは抜け殻になった人間のロックエネルギーの色だ」
「なにそれ、うそでしょ……」
李衣菜は話の壮大さにめまいがした。足がふらつき、へたり込む――。
「しかし方法はある」
その言葉にグッと踏ん張った。
「ど、どうすればいいの!」
「Fだ。ファイナルフォームになればあるいは」
「わ、わかった!」
李衣菜は人差し指を立ててFのコードをぎこちなく作り、爪でかき鳴らそうとして、止めた。
「ファイナルフォームって、今度は何が起きるの?」
「合体する」
「お、おお、おおお! ちょーカッコイイじゃんそれ!!」
「李衣菜の中の思い出エネルギーをロックエネルギーに変換してバーストさせる」
「思い出、エネルギー?」
レスポールは一拍置いて、言った。
「簡単にいえば、李衣菜とワタシの思い出を変換してロックエネルギーにする」
「それって……」
「演奏を終えた頃には、ワタシのことを全て忘れることになる。そしてワタシも」
「そんなの嫌に決まってるよ!」
李衣菜は叫んだ。
「わかってくれりーな。この星のロックを救うにはそれ以外に方法はない」
「そんなのわかってるよ! わかってるけど………………わからないよ」
顔を伏せた李衣菜の表情は、観客やみくには見えないが、見上げているレスポールからはよくみえた。
「ワタシはりーなに助けられた」
「やめて! そんな別れの前置きなんて聴きたく」
「今だから言おう。『やはりワタシの目に狂いはなかった』。あれは嘘だった」
「え、ええ。そ、それ今言うの?」
「知識もない。ギターも弾けない。紅茶も甘い。口ではロックがロックがと仕切りにいうが、その実何もロックなことを何もしていない。ただの女子高生。やってしまったと思った」
「私が言うのも何だけど、こういうときってドラマチックなこと言って説得する場面じゃないの……」
「ワタシの正直な気持ちだ」
「ははは……こいつはハードなロックだね」
李衣菜の涙をレスポールの触手が拭った。
「しかしりーなはこうしてワタシを使いこなしている。『やはりワタシのヘッドに狂いはなかった』」
「……この出会いも、私がロックに身をやつしているおかげなんだよね」
やれやれとポケットを探ってそれを探り当てる。
「だったら、恩返ししないといけないよね。レスポール」
「ああ。ロックは返すものだ」
「お? いいねぇ、それ」
「今思いついたんだ」
爽やかに笑って、李衣菜は銅色で程よい重さの10円玉を右手に持つ。縁にギザギザのついたギザ十。
「変な毎日だったなぁ……」
3フレット4弦・5弦。
2フレット3弦。
そして1フレットは全部だ。
「こんなの忘れられるわけないよ」
あの日ロックをかき鳴らしたように、李衣菜は右手を大きく突き上げた。
▼△▼△
ジャアアン。
どんちゃん騒ぎをしていた観客がステージへ注目を向け、しんとする。
突然、レスポールが光の粒になって爆発した。
それが李衣菜の身体全てを包み込み、衣装へと変化していく。
黒と白のストライプのニーソックス。黄色と黒のコルセットスカート。王冠を模した小物が付いているベルトネックレス。そしてロックの文字が刻まれた黄色いヘッドフォン、それから伸びた手錠が右腕にかっちりロックされている。
ホコリですすけていた鼻っ柱も頬の傷もない。可愛さとロックが融合した衣装の李衣菜が光の中から現れた。
割れんばかりの歓声。そして曲のイントロ。
半壊のスピーカーやアンプ、新宿アルタ前にあるありとあらゆるスピーカーから曲が流れ出る。
李衣菜に音の洪水が押し寄せ、その全てが友達だった。
内から溢れでて止まらない昂ぶりに、李衣菜はスタンドマイクを荒々しく引き寄せた。
「いくぞお前らぁあああ!!」
そのシャウトに負けない猛りが起きる。
道は人でごった返し、ビルの窓は顔で埋まり、上空にはヘリの大群が押し寄せてきた。
夜のように暗くなっていく空の下、ステージを端から端まで走り回って、李衣菜の歌が響き渡る。
日本全土のみならず、世界中の至る所で李衣菜の歌声と姿が鳴っていた。
その歌声と熱いパフォーマンスに心奪われ、人々に熱いソウルが伝染していく。
眩いばかりに輝く街の光と青のサイリューム、空から降りてくるオレンジ色の光が舞台装置になって、李衣菜をさらに高ぶらせて熱くした。
――――ロックが私の中を駆け巡ってる。
「アイラブ、ロォオオオック!」
世界が李衣菜に答えた。
レスポール、聴こえる? これが君がくれた輝きだよ。
聴こえたぞ。りーな。
ステージに両膝をつくとほとばしる汗が弾ける。
りーなももっと喜んだら良い。
もう手元にないレスポールを激しくかき鳴らす。
りーなが楽しそうでなによりだ。
抑えきれない、狂いにもにた感情を弾けさせながら。
美味だ。
一つ、一つ、思い出が抜け出していくのが感じ取れてしまう。
よかったなりーな。
それでも止めたくない。
Fが出来れば大抵のコードはできる。ガンバレりーな。
空に巨大なギターの形をしたシルエットが無限と錯覚する程の量の光を携えて滲んでくる。
ギターの軍団が空を舞い、音に一層厚みがました。
ロック星全てのロック星人が李衣菜の演奏に呼応している。
さよならだ、りーな。
頬を流れ落ちる汗。
大人になってロックを忘れたとしても、その熱いソウルだけは忘れないでくれ。
それを忘れない限り、ワタシはいつでもりーなと逢える。
時間にして約4分25秒。
李衣菜の衣装が淡く輝きだした。
「違うよ、レスポール。ロックはさよならは言わないんだ」
大粒の汗を拭いながら、李衣菜は空へと舞い上がっていく光の線に笑いかけた。
世界中の熱狂の渦を肌で感じながら、小さく口を動かす。
李衣菜は拳でレスポールを小突いた。
地球のロックは素晴らしい。
白んでいく東の空が、カッコよくロックなキメポーズの李衣菜を照らしていた。
愛してるぜ、りーな。
▼△▼△▼
清々しい朝の空気の中、セーラー服の多田 李衣菜が歩いている。
ミルクの紅茶のペットボトルの蓋を閉めてカバンにしまった。
「あー、頭痛い」
直している石垣を横目に、短い横断歩道を普通に渡った。
(なんだよ集団催眠って。みくもいつの間にか帰ってきてるし、もう、わけわかんないよ)
いじくる指先は硬く、爪で跡をつけると中々元に戻らなかった。
(だりーなぁ……多田 李衣菜だけに。……なんか今の楓さんっぽい。ロックだね!)
疲労感と眠気で謎のテンションになっている李衣菜はニヤニヤした。
ふと楽器店のショーケースが目に入った。その中の赤いギターと李衣菜の澄んだ目が逢う。
「Fがなぁ」
李衣菜は立ち止まって覗きこむ。
「へえ、レスポールって言うんだぁ……」
ハッとする。
右手を開くと10円玉を握りしめていた。無意識のうちにスカートのポケットから探し当てていたのだ。
李衣菜は不思議に思いながらもそれをまじまじと見る。
ギザ十だ。表面に傷がついて、縁のギザギザが少しすり減っていた。
覗き込んでいる手のひらの10円玉に水滴が落ちた。空を見上げると、抜けるような青空だった。
10円玉を強く握りしめ、李衣菜はレスポールに向き直った。
「なんか、ロックっぽい響きじゃん!」
多田 李衣菜のロックは止まらない。
この小説をアイドルマスターシンデレラガールズ、多田 李衣菜に捧ぐ。
チケット代として使わせていただきます