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申し遅れましたわ。わたくしはこの島の主で、二階堂千鶴と申します。【クルリウタ・孤島サスペンスホラーの二次創作】

 クロケット・ホース・ベルショは精肉業で名を馳せたベルショ一族の跡取り娘だった。
 女の子だというのに男の子に混じって虫を取ったり、木登りしたり、外を遊び回っていたのだが、父親はそれをよく思っていなかった。

 5才の頃、木から落ちた。
 枝で頬を少し切って、落下した衝撃で小さい石が膝に入り込んでいた。友人から引き剥がされてやっと泣きわめいたくらいの怪我ですんだ。

 次の日、窓の外で大の大人が子供のように涙を流し、震えて、固い飛び石に頭を押しつけて詫びているのが見えた。
 次の日、遊び仲間は遠い街に引っこした。

 噂にはきいていた父親のやり方を子供ながらに肌で感じとり、その強大さを嫌というほど味わい、恐怖した。
 それからクロケットはベルショ家の英才教育から抜け出すことがなくなった。

 しかし、年を重ねても子供の頃の趣向はかわることなく、夜な夜な屋敷をぬけだして近くの沢や森へ遊びにいっては、自然を謳歌し、孤独を享受した。
 夜な夜な抜け出すのだから見つかる確率はあがるわけで、ついには木こりにみつかり、懇願止むなく屋敷へ連れ戻され、羽を伸ばす唯一の方法が父親に知られることになった。

 ほぼ幽閉されているのと変わらない生活で、日々の楽しみは窓の外を眺めて、花畑は今年もいろとりどりに咲いたか、川の水はもう冷たいだろうか、野良猫はまだ元気に生きているだろうか、そうやって思いを馳せることと、こっそり差し入れされるメイドのコロッケだった。

 天蓋付きベッドで食べる、大雑把な味付けをされて油で揚げた欲望の塊のようなじゃがいもは、父親が引いたレールから外れているようで、なんてことはない旨味が何倍にも増していた。
 屋敷の中でたった1人の拠り所になったメイド・二階堂千鶴をすぐに好きになった。

 二階堂千鶴はジャパンから出稼ぎにきていた若いメイド。世話焼きだった彼女は、ほぼ世界を知らないクロケットの未来を案じて、とてもよくしてくれていた。

「わたくしは、いつでもお嬢様の味方ですわ」

 それが彼女の口癖で、クロケットの太陽だった。
 勉強が終わればあの笑顔が待っている。
 つねに満身創痍の家庭教師が出題するテストの点数が良ければ一緒に喜んでくれるし、カエルを解剖できないと泣いたときにはかばってくれた。
 クロケットは少しずつ笑うようになっていた。

「ここをでたら、わたくしの故郷にお嬢様をお連れしたいです。なにもないところですが、そこがいいところなんです。離れてはじめてそれがわかりましたわ」

 二階堂千鶴が「遠くへ行って」から、クロケットは感情をだすのをやめた。
 生きた屍。勉強は流れになり、食事は喉ただ通りすぎ、夜は銅像に形式ばかりのお祈りを捧げて寝るだけの時間になった。
 クロケットは悟ってしまった。
 この屋敷にいる限り、自分は何も掴めない人形だと。
 ベルショ家に代々伝わる、仮面をかぶった女神の小さな銅像のように。

 それを憂いたのは父親だった。

 どうしてか娘に覇気がない。ないどころか無機質ささえ感じる危うさがあった。
 映画も音楽も小説も絵画も、上級のふさわしいものを与えてきた。
 近づく危険も排除してきた。
 それなのに何が彼女をそうさせたのか理解できず、彼の商売人のとして培ってきた人生経験と社会的立場の観点からみて、少し家に居すぎてナーバスになっているのではないかという推論がたった。

 海を渡って、海外旅行へいこう。
 外の世界を経験して、見知らぬ街の造形や文化に畏敬の念を抱けば、感情の貯金が貯まるだろう。

 一週間で準備をすませ、客船・太平洋女神号と家族3人、メイド二人、そして船長の6人で行くことに。
 当日、嵐がきていると船長が止めたが、今日いかなければスケジュール通りに進まないと父親が押し切り出港。
 無人島を通りかかった漁船に救出されたのは、それから3ヶ月後だった。

 座礁した船は無人島に流れつき、生き残ったのは家族3人とメイド1人だけだった。
 大変なニュースになり、港の従業員の証言から父親の責任が追求された。

 無人島で生き残るのに、どうやって食料を確保していたのか。
 不潔になっていたものの、重度の飢餓状態にならなかったのはどうしてなのか。
 生き残ったメイドが数日たたずに蒸発したのはなぜか。
 様々な論争を巻き起こし、憶測が飛び交ったが、1ヶ月もすれば沈静化した。
 その頃だった。クロケットに異変が起きたのは。

 何を食しても味気ない。
 病院の食事が質素だからだと思っていたのに、退院して、お抱え料理人の美食に久々に口をつけても、美味しくない。
 それはクロケットにとって由々しき事態であった。
 食べて一時的に心の隙間を埋めるどころか、虚しさが溜まっていく。
 おいしいけど何か足りない。
 ふと、あのコロッケが食べたくなった。
 二階堂千鶴の暖かさと愛がつまったコロッケが。

 図書館でこっそり調理法を勉強し、コロッケをリクエストして手元を盗み見、誰も巻き込まずに調理を重ねた。
 少しずつ改良を繰り返し、彼女との思い出をひっぱりだす。
 試行錯誤すること1年。やっと近い味を再現できた。
「これだ……チズルのコロッケの味」
 確かに似ている。
 このジューシーで衣の優しさ。でもどうしても足りない。作る前からわかりきっていた。

 愛。
 愛が足りない。
 二階堂千鶴がくれる愛が。

 むせび泣いた。ただただそれを確認してしまった。なにも変わらない。木と瓦と父親の欲望でできたしたたかな箱の中で、空虚を食いながら、ヤツがいなくなるまで人生を……。
 痛み。意識が晴れる。まな板の包丁に手を置いていた。
 人差し指の先に赤い点がぷっくり顔をだしている。
 血を見たのはいつぶりだろうか。混乱したクロケットは口に指を入れて吸い、目を見開いた。


 バツとして一年間、別荘に押しこめられた。
 その館は辺境の地、バカンス用に買った孤島。
 本家よりもさらに厳しく指導が行われ、メイドが調理する空虚なエネルギー源を胃に収め続ける。
 こめられているのは恐怖。
 恐怖が原動力の大人たちの教育を受け続ける。
 だが、やっと掴んだ「満足感」をこのまま手放すわけにはいかない。
 草木も寝静まった頃のクロケットしかいない調理場。
 人差し指の赤い点。
 血の味。
 その気づきに彼女は戸惑っていた。
 そうであってほしくない気づきに。

 あれは漂流した時。

 食料は2週間で底をつき、餓死を待つだけだった。
 父親は従者に決闘をさせた。
 モノはナイフ。一対一で戦わせて、生き残ったものには無事に生還した暁に一生遊んで暮らせる金を渡すと約束した。
 護身用に携帯していた拳銃をちらつかせて決着させた。
 生き残ったメイドに、負けた二人を解体させ、調理させた。
 誰もが躊躇したのは一瞬。もしかしたら死ぬかもしれないなにかの草ではなく久々の「肉」へ食いついた。
 それはクロケットも同じだった。
 どちらかのステーキは、焼いているのに生臭く、血抜きをしてるのに血が滴り、脈打つように痙攣していた。
 味付けされていないそれを食した瞬間、クロケットが感じたのは満足感だった。
 味覚の話ではない。
 かんでかんでかんでいくたびに、満足感がじゅわっと口の中に広がって、飲み込めば恍惚として脳を溶かしていく。
 満たしてくれるものは明確だった。

 ほのかな満足感を血液で思い出してしまった。
 だがそんなもの手に入れられるはずないし、手に入れてはならない。
 あの時は非常時だった。
「……しかたなかった」
 食べたいなんて思っちゃいけない。
 それをしてしまえば、きっと人間ではなくなってしまう。
 朝、目覚めて手の皮膚が噛み切られて唇が血で濡れていたとしても。
 使用人の無防備な後頭部を観察してしまうのも。
 心が砕けても人の形を保っていたかった。
 怪我の功名とでもいうのか、この別荘が欲望を抑え込むのにちょうど良かった。
 何より自然がある。辺り一面の緑。耳を澄ませずとも木々のざわめきや潮騒が聞こえきた。
 ベッドで目を閉じれば、自然に抱かれているようだった。
 溶かしていこう。
 私に与えられた天命を果たしていこう。
 精神が壊れても、異常にだけはなりたくない。

 頬に当たる生暖かい感触に目を覚ました。
 その日は一段と欲望が強かった。
 何をやっても身が入らない。
 動く肉。満足感の塊がなにかいってくる。
 息が苦しくて、めまいがする。
 抑え込んでいる欲望が顔をだしてくる。
 闇に包まれてもコウモリのように目が冴え、気がつけば森へと飛び出していた。
 自然がほてりを吸収してちらしていくようだった。
 身体中に冷たく新鮮な空気を吸いこむ。
 開放だ。
 渇望にもにた欲望が風にのって散ってく。
 土に浸透して解けて、虫や動物が運んでいった。
 一際盛り上がっている土に腰掛けて、久々に笑顔ができていた。
 黒ずんだ自然に抱かれて、彼女は正常に戻っていった。

 夜が明ける。
 また自然に頼るしかない。
 次に見つかってしまったらどうなってしまうのだろう。
 私はこの先、どうなるのだろう。
 陰鬱な気分のまま重い腰をあげようとして、手元になにかを掴んでいた。
 掴み上げる。土から出てきたのは、花柄の髪留めだった。
 そのもられた土を、クロケットは手と服が汚れるのも忘れてかき分けた。
 よく知っている手。優しい手。暖かかった手。
 遠くへいった手。

 朝が来る前にクロケットはベッドへ飛び込んでいた。
 愛をそそいでくれた瞳が変わり果ててそこにあった。
 マクラに顔を押し付けて、喉が擦り切れて、息だけになっても叫んだ。
 奪われていく。
 人生も、心の拠り所も。
 脱力して、見た窓の外。
 青々とした森が燃えている。
 焼いている人々に支持を出す父の背中があった。

 パチン。

 人をころしては行けない。
 人でなければ。
 虎を食らったところで、虎になるはずがない。
 あとは振り下ろせばいいだけだった。

「なぜだ、クロケット」
 ベッドから転げ落ちて頭を抑えている。
「何が不満なんだ」
 なんと小さい老人だろう。
 ベルショ家に代々伝わる仮面の女神像で殴ればこうして血が出る。痛がる。
 一体、どうしていままで。

 私は。

「おやめください!」
 振り上げた腕を後ろから掴まれゴトリと像が落ちました。肩越しに振り返ると、暗がりの中でもわかります、もう何十年も前に遠くにいった千鶴でした。
「こ、こんなことしたら、ああ、お嬢様!」
「抑え切れないの」
 勢いあまって千鶴を押し倒しました。
 近くの彼女の顔は千鶴ではないですが私には千鶴だとわかりました。
「もう耐えられないの、必死に抑えてるのに、食べたくてたまらないの。なんとかして千鶴、どうしたらいいの、習ったことないからわからないよ、千鶴、私はどうすればいいの」
「わたくしは、いつでもお嬢様の味方ですわ」
 ずっと私を一人にしてきた千鶴にブワッと感情がわきおこりました。
 白く細い首に手をかけました。
 手が震えています。
 でも千鶴をこうするのは違う。

 突き飛ばされてへたり込んでしまいました。
 人を殺めようとしてしまった。
 私は違う。父親のような人間では無い何かじゃない。
 あのメイドに謝ろう、そうすればまだ間に合うかもしれない。
 立ち上がって、スカアトが重いのに気がつきました。
 湿っていました。
 血です。
 強情にも赤い血です。
 父親ははいずって、ここから離れようとしていました。
「誰か……誰か助けろ……誰か……」
 謝らなければ。誠意を見せて、精一杯謝ればお父様も許してくれて。
 それからまた、元の生活に戻れる。
 元の生活に。
 穏やかに狂っていく生活に――。

「自分で掴んだのですね」
 首を強くしめているのに、千鶴は苦しそうにもしないで私にいいました。
 電話をしているメイドの後頭部を父親の脳髄がこびりついた女神像で殴って、壁に乱暴に押しつけていました。
 かきむしるメイドの手がイタイですが、力が解けることはありません。
「私は、おかしくなりたくない……でも」
 手応えがなくなっていきます。
「でもそれ以上に、このまま、『おかしくなっていきたく』ない」
 より一層、私はそれを離すまいと掴みました。


 切り分けた肉は、血が滴って、脈打ち、赤々としていて、あの日のものと同じでした。
 私はうやうやしく両手のひらにのせて点々とよく掃除がされた廊下に鮮度を滴らせていきます。
 調理室で肉を洗い、まな板にのせます。明かりに照らされてテラテラと光沢を放っていました。
 待ちに待ってたというのに、料理ができるのはコロッケだけだと今更になって気がついてしまいました。

 あの日と同じステーキにして食べましょう。
 フライパンを用意して、薄く油を引き、お肉を。
 でも無理でした。およそ10年間抑え続けてきた欲望に抗うのは、餓死寸前でコレストロールいっぱいの牛肉のソテーをお預けされているようなものです。
 お行儀悪く、野良犬のようにまな板のお肉に食らいついていました。

 眼が爛々。
 視界がひらけて行く感覚、思考にかかっていた漠然とした靄が晴れていき、つむじから足の先まで精力に満ち溢れていくのがわかったんです!
 自ずと笑顔になって、笑いだしていました。
 まるで四次元が通り過ぎていって、これまでの陰鬱な私と過去を連れ去っていってくれたようでした。


 激しく叩く雨音のしらべにのって、青白く優しい笑顔の千鶴と踊りました。
 もっと早く気づいていれば、私の人生は変わっていたかもしれません。
 真夜中の寒々しいダンスホールが鮮やかに彩られ、明かりをつけていないのにほのかにホタルのような小さい光が集まってきます。
 なんと、妖精です。楽しい気持ちに反応して集まってくると本で読んだことがありますが、本当にいるなんて!
 群れをなして踊る妖精に囲まれて、私も千鶴と踊りました。
 こんなに楽しいのは、千鶴といた日々いらいです。

「ハッピーバースデー、千鶴」
 眠ったままの千鶴が私にそういいました。
 千鶴は貴方で、私はクロケットよ?
「お嬢様はもう、お嬢様じゃないの。新しい貴方になるのですもの、名前が必要でしょう?」
 でも、貴方の名前が。
「私にはもう必要のないものだから、貴方にもっていてほしいのです。そうすれば、ずっと、ずうっと、クロケットお嬢様をお守りできますわ」

 涙が溢れて止まりません。
 こんなに私のことを愛してくれている存在がいたなんて。
「それと忘れないで。貴方はみんなと少しだけ違うの。だから、貴方の欲望を見守ってくれる……認識して、こっちに繋ぎ止めてくれる誰かを見つけて。そうすれば貴方はまだ――」
 万感の拍手が大雨と雷から送られました。
 クロケットホースベルショはもういない。
「ハッピーバースデー、二階堂千鶴」
 一人きりのダンスホールで。
 私は、わたくしになりました。


 俗世のルールから離れ、この孤島がわたくしの王国です。
 わたくしは孤独ですが一人では生きていけないし、狩りもできないので、メイドを見つけて、料理と狩りを教えました。
 わたくしの性質を知って彼女は怯えて逃げ出そうとしました。
 優しく指導しても聞く耳を持ちません。
 わたくしは父親がしたように、それをつかいました。
 ウソのように円滑に彼女をわたくしのメイドに仕上げ、ディナーの用意を完璧なものにできました。
 父親から注がれた、たくさんの恐怖で。
 また嵐がきそうです。


●あとがき
 クルリウタやクルリウタのドラマを聴いてインスピレーションが爆発して私が考えた館の女主人二階堂千鶴の過去の話がこれでした。
 このストーリーをメモった後にちょっとツイッターを漁ったら、絶対これだなというバッチリきた考察があったのですが書きたかったので書きました。
 本当に千鶴さんいい役をもらえてよかった~~い。

チケット代として使わせていただきます