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the GazettE HERESY LIMITED 「SIX GUN’S」

 2024年5月27日。この日は私の30年余りの人生の中で、最も心が揺さぶられた日となった。人生の先輩方からすれば数多ある通過点のうちの一つなのかもしれないが、若輩者の私にとっては感情の整理もつききらず、この公演に思いを馳せては涙するばかりだ。
 思い出すことも、書き連ねることも胸が痛んで涙が滲むのだけれど。この日を死ぬまで忘れたくないので、非常に拙い文章でお恥ずかしくはあるがこうして書き残すことにする。
 また、公演に対するレポートというよりは自分の感情の発露を書き連ねただけの所謂自分語りであるため、ライブの詳細を知りたい方には向かないことを予め記載しておく。

 それはあまりにもいつも通りの豊洲PITだった。
 晴天に恵まれることが滅多にないthe GazettEらしい、小雨のぱらつく曇天。近場のららぽーとに行けば、待ち合わせもしていないのに集まってくる友人たちと会えるフードコートが黒服の集団で賑わっている。
 違うことと言えば、これから観るステージに大切な人がいないことだけ。ただ一つのそれが、何よりもつらかった。つらいと一言で表してしまえばそれまでだけれど、忘れもしないあの4月16日からこの追悼公演と銘打たれた豊洲PITでの公演を迎えるまでの毎日で、どれだけ苦しんだことだろう。

 私にとってのthe GazettEとは、いつでも側にいてくれる大事な私達の居場所であり生き甲斐だ。生活の中で悲しいことや怒りに震えることがあっても、the GazettEの音楽やライブがあれば乗り越えられる。そんな存在だ。
 ヴィジュアル系を貫き通して22年。いつだってどっしり構えた彼らは、ずっと変わらずにそこにいてくれるものだと安心しきっていた。
 男気溢れるパフォーマンスの裏で繊細な心を持っていた彼のことがいっとう好きだ。おちゃめで、真面目で、優しくて、フラフラになるまで全力のライブを観せてくれるその人のことを、これから先もずっとずっと変わらずに応援していくのだと思っていた。

 そんな彼を追悼するという名目で急遽抑えられた会場である豊洲PITは、the GazettEを愛するファンが到底収まりきることのない、3000人強ほどのキャパシティだ。できる限りを尽くしてくれたのだと理解していても、ここに来れなかった友人たちのことを思えば胸が締め付けられるようだった。
 その狭き門を幸運にもくぐり抜けた友人と足を踏み入れたフロアは、青天の霹靂のごとく私の人生を揺るがせたあの日より前の景色と一つも変わらなかった。
 センターのお立ち台、上手下手のマイクスタンドと機材。少し上手に寄ったドラムセット。それから、いつも私が見つめるセンター寄りの下手の定位置。そこには全く普段と変わらず機材もマイクスタンドも置いてあって、なんだかこれから起こることが嘘なんじゃないかと錯覚でもしそうなほどだった。

 フロアの中ほど、段の手前の柵の横に前後に並んで位置を定めた。満員のそこは眺めは悪く、ほとんどステージは見えなかった。それでもなんとか確保したいつものセンター寄りの下手。友人の足の不調を気にしているうちに刻一刻と時が進む。
 待機列ではわりかし平気な顔でいられた私も友人も、開演時間の19時が迫るごとに言葉少なになっていった。
 今まで見ないふりをしていた現実が眼前に迫っている。関係ないことを話しては無理やり笑顔を作って誤魔化していた不安、緊張、絶望、全部が重く肩にのしかかる。世界が一変したあの日から、社会生活を送るにはあまりに耐えられないと心の奥へ仕舞い込んでいた現実への苦しみが、一気に胸を覆い尽くしていくようだった。

 やがて定刻、いつもの影アナが流れ出す。ライブの注意事項が読み上げられ公演が始まると告げられるそれすらいつも通りだった。
 こんなにいつも通りなのに、今かられいたは出てこないのだ。
 それを頭で認識した瞬間に、目の前が真っ暗になった。柵にもたれて縋りつかなければ立っていられずに、呼吸が荒くなる。勝手に溢れて止まらない涙、しゃくりあげて引きつる喉と胸。始まってもいないのに過呼吸寸前でコントロールが効かない体。ここで退場するのか?と頭をよぎったが、震える友人の手がそれをなんとか繋ぎ止めてくれた。
 気がつけばもうメンバーが登場していて、何か一言あったような気もするのだが記憶はない。滲む視界でステージを見れば4人の影しか見えない。いつも見つめるそこはからっぽで、ああ現実なんだ、と強く思い知らされた私の耳に届いたのは、最後に彼を観たライブの最後の曲のイントロだった。

 もう、だめだと思った。本当に彼がいたあの時間は終わってしまって、the GazettEというわたしの大切な居場所は変わってしまったのだと思った。
 ライブを終えてあとから思えばそれは的外れというか、私達のthe GazettEがそんなことする訳無いだろ、と解釈違いも甚だしい思考に陥っているのだが。このときは何も受け入れられずに、ただただ体を震わせて涙を落とすことしかできなかった。

 此処から先、正直に言えばあまり記憶がない。忘れたくないから書き残す、と最初手に言っておいてこの様で情けないことこの上ないのだが、呆然と涙を流しながら見つめる下手の定位置が空であることが何より強烈に焼き付いてしまったのだ。

 僅かな記憶だけでも置いておくことにする。
 ガンジスのベースがとてもよく聞こえるのにそこに居ないのだとまた涙がこみ上げ、彼が好きだといつか言っていた痴情が始まって思わず座り込み。バラードの間中ずっと肩を震わせ、Hyenaの彼のシャウトで顔を覆い、やっとVORTEXで意識がはっきりしたので少し頭を振れば次のれいた曲でまた涙がこみ上げる。

 しかし、次の曲のことは鮮明に覚えている。「俺達にとって大事な曲だから」と前置きされて始まったのは、節目節目のライブで大切にされてきたナンバー、未成年だ。
 Cassisの頃に出会ったガゼットの鼻布の彼をひと目見て好きになって、初めて行ったライブの武道館のことを思い出した。涙ながらに初武道館ライブで歌い上げられたこの未成年という曲で、当時中学生だった私も釣られてわんわん泣いた。初めて見たthe GazettEが、れいたがかっこよくて、かわいくて。まだ幼い私は夢中になった。もうその時の記憶は曖昧になってしまったけれど、それから大人になった私も彼がいっとう好きなのだということは変わらなかった。
 ライブに行かず、曲だけ聞いていた数年間もある。それでもまた一つのきっかけがあってツアーに通うほど熱量が戻って、かけがえのない友人もできた。
 いろんな思い出と、曲中の『素晴らしき仲間を持った 最高の日々だった』という歌詞までが一気に頭を駆け巡り、ぼろぼろと涙が止まらなくなった。
 そしてこの曲中で象徴的でもあるのが中盤のベースソロだ。何度も見てきたステージのセンター、お立ち台に上がる彼の背中に『on Bass!REITA!』とかけられてきたルキの声。この日も、それは変わらなかった。
 ベースソロが始まる直前、スポットライトの当たるお立ち台にかけるルキの声に重ねるようにれいたの名前を呼んだ。喉が千切れそうなくらいに叫んだ。からっぽのお立ち台に、せめて彼を愛したこの記憶や気持ちだけでも届いたら良いと。魂がそこにあるかなんて分からない。でも、呼ばずにはいられなかった。
 ベースソロに合わせて跳びはねて拳を上げて応援するのが、いつもの私と友人の楽しみのひとつだった。ベースの目立つ曲がライブでセトリ入りするたび、声を上げて喜んだ。十四歳のナイフ、Ruder、MOTH、SLUDGY、他にもいろいろあるけれど、未成年は特別だった。
 泣きながら跳びはねたベースソロは一瞬で、着地した途端に力が抜けた。しゃくりあげて引きつる喉が苦しくて、痛くて、嗚咽が止まらなかった。

 その後は、公式に配信されているMCの通りだ。ここで詳細な記載はしないけれど、涙の中で聞いた彼らの話はどこか遠い世界の話みたいに感じた。
 メンバーの並んだステージには、やはり4人しかいない。葵さんが、いつもれいたがいるポジションを空けてくれているのに気づいてまた胸が震えた。もう居ないのだと受け入れなくちゃいけない。それが私にはひどく無理のある未来に思えた。
 しかし、深い悲しみとやりきれない思いの中で、メンバーの言葉が自分を救ってくれたのは事実だ。区切りをつけなくていいと言ってくれた彼らが、それでもずっと五人だと明言してくれたこと。れいた以外のベースは入れないと誓ってくれたこと。それぞれの思いから、れいたのことを心から愛していたのだと再確認できたからかもしれない。
 私達のことを取り残したりしない、急がなくていいと、寄り添ってくれているのが嬉しかった。わたしがこの世で一番好きなバンドは、わたしがこの世で一番好きなベーシストとずっと共に歩んでくれるのだと心から信頼できることが嬉しかった。

 MCのあと、どこかぼんやりしたまま、安心したような気持ちで最後の2曲を聴いた。春雪の頃。竿隊がセンターに集まってルキと4人で並ぶお決まりのシーンも、葵さんはそこにれいたが居るのだと言わんばかりに一人分のスペースを空けていてくれる。涙を流しながらも記憶に焼き付けたその光景は、きっと一生忘れることはないのだと思う。
 どこかぽっかり空いた心の穴が塞がることはない寂しさと、人生が揺らぐような喪失感はどうやったって無くならないけれど。それでもthe GazettEという世界一愛するバンドを応援していきたいと心から思えた。

 MCで発表されたが、次のライブが9月と決定している。それに行く覚悟が決まるのか、まだ自分にはわからない。まだ、わからなくていいのかもしれない。これから先、何年だってthe GazettEは5人で私達のことを待ってくれると信じることができるから。一度足を止めたって、置いて行かれることはないと思えるから。

 悲しみを知らないふりして耐えなければならなかった一ヶ月と少し、本当につらかった。
 今もそれが無くなったわけじゃない。
 けど、少しずつthe GazettEと一緒に歩いていって、いつの日か笑ってライブに行ける日が来ることを願っている。この日々を支え合った友人たちと、みんなでまた一緒に。


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