ヒグチユウコ展に行ってきた

6月某日、「ヒグチユウコ展 CIRCUS」に行ってきた。

とりあえず、関係者各位様、まじで本当に会期変更してくださってありがとうございました!!!!!もう行けないもんだと……だめだ結局見られないまま終わるんだって思ってたよおおお見れてよかったああああほんとにありがとうございます。コロ野郎はゆるさない。


展示内容はもうね、異次元。そこに絵があり世界があるというだけでもう異次元。ヒグチユウコという世界が美術館じゅうに広がって、本当にすばらしかった。出口に至ったとき、長い小説を一気に読み終えたときと同じ充足感でいっぱいだった。ひとつの大きな物語を摂取し終えたという感じ。お腹いっぱいの満足感、しかもこの物語はこれからも続いていくわけだから、未来への期待や希望も感じさせてくれてよかった。


ヒグチユウコさんの絵を見ると、私はいっつも「寄生」って言葉が頭を過ぎってしまう。

ねことかたつむりとか。少女と爬虫類のしっぽとか。何をどうしたらこんな組み合わせが思いつくんだろうなあと不思議になる。きっと作者の頭の中では別々の動物は最初から組み合わさっていて、継ぎ接ぎのあとなんか見つからないくらい完璧にひとつの生き物なんだろう。すき。

少女の絵というものが好きです。作者の描く少女は細くて華奢で、かわいらしい。そしてフリルやレースのついたドレスを着ていても、植物を纏っていても、他の生き物と合体してかたちが違っていても、彼女には生命があるとわかる。

少女という対象と距離がある人の描く少女って、生命がない場合が多いと思うんですよ。そこまでいかなくても彫像のような、死んでしまったバレリーナが永遠にポーズをとっているような、たとえ胸が豊かで微笑んでいても不思議と生きてない、っていうか。ただひたすら美しく描写された少女、というだけの絵っていっぱいあると思う。ヒグチユウコさんの描く少女はそうではないのが好きです。なんなんだろうね、ふっくらしてるんだよね。ほっぺや手足の描き方からそういう印象を受けたんだろうと言われちゃうとそれまでなんだけどね~~~。

あと、目が絵によって全然違うと思う。きりっとしてる子や、あどけない子や、あどけなさがあるのにしっかりしてる子、少女だけど明らかに自活してる子、まだ親に養ってもらってるぽい子。もちろんねこの目の子もいる。異次元でその子が生きている。ふしぎ。


もちろんねこの絵も好きなんですが、ええもちろん好きなんですが、ねこはなんかちょっと怖い。

大体こっち見てるか、ちょっと視線を外してるかの角度が多い……気がする。そんで肉食獣特有の大きな丸い目がこっちを見据えて離さない。もちろんかわいいんだけど、感情の表現も描かれているんだけど、ちょっと怖い。ちょっとね。マジでちょっと。

たぶん私は絵の中のねこが思っていることがわからないので怖いんだと思う。少女はいいんですよ、少女には爪も牙もないじゃないですか。ねこにはあるんですよ……かわいいけど。

同じような描き方なのに、ぶんちょやわにやいぬは怖くない。ぬいぐるみも怖くない。なんだろう、直立してこっちを見つめてくるのが怖いだけ?とても不思議な感覚に陥ります。


という感じで見てきました。とても楽しかった。できればまた行きたいけどむりだろうな……

あと、コロ野郎のせいで展覧会に行くのが久しぶりすぎて作品酔いを起こしました。公共交通機関使うのも久々すぎて乗り物酔いもやばかったです。自分の体力とちゃんと相談するやり方を思い出さないとなーと思いました。

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