西区市民吹奏楽団を聴いて

今日、アクロス福岡で西区市民吹奏楽団と西区フィルハーモニーオーケストラの合同演奏会に行った。

感想と個人的な意見を。

オーケストラといってもプロ以外聴くことがあまりないのが事実、初めて聴いたけど誰が聴いても上手いといえるレベルだった。
年齢層は高めだそうで、水崎先生がマイクを通して「やる気があって意識の高い活動ができている」と言っていた。
ふだんは、普通の仕事をしているであろう音楽の先輩方が奏でる曲はとても綺麗で繊細だった。
(オーケストラがあまり詳しくないから上手いなぁ〜しか感じなかったのは内緒🤫)

そして、西区市民吹奏楽団の演奏。
まずはドラゴンの年。
(12年前、中学の顧問の先生が「人生で1番練習して難しかったのはドラゴンの年」と話していたのを今でも思い出す。。)

率直な感想として「ドラゴンの年」をすごく楽しめた数分間だった。
それは「色がない」とか「西区らしくない」という否定的な感想ではなく、「この曲を生で聴けてよかった!」という満足感からくる感想だった。

宇宙の音楽でも同様。久しぶりに吹奏楽曲を楽しめた2曲だったと思う。
ただ宇宙の音楽を聴いてて、どうしても伝えたいのが木管と打楽器のバランス。



完璧。
【心地が良い】とはこのことかというくらいの素敵なバランス。

本当によかった。

そして、演奏を聴きながら少し考えていたことがある。

この2曲を生で聴いたことはもちろんある。だけど、聴いた場所は吹奏楽コンクール会場がほとんど。
コンクールで聴く曲はどうしても粗探しや特徴探しをしてしまう自分がいる。
「ここは金賞だな」「ここは難しいかも、、」と。
また、定期演奏会などで大曲を聴いてもコンクールで披露した自由曲などだとどうしても身構えてしまう。
勿論、自由曲じゃない大曲を披露する団体もあるが、半年間以上作り込んだ自由曲と比べるとやはり見劣り(聴劣り?)してしまう。

そして、コンクールには「この曲だと勝てる」という[勝ち曲]がいくつかある。
今日聴いた曲も[勝ち曲]に当てはまっている。
ただ、[勝ち曲]を理由にコンクールで選ぶ事は【曲への敬意】というのを感じない。
本来ならもっと楽しめるクラシック音楽をコンクールという大会によって楽しめなくなっているのではないかなと思った。
(おれが今まで聴いたのは[コンクール用ドラゴンの年・宇宙の音楽]だったな、、、)

お笑いでM-1よりも劇場の方が声を出して笑ってしまうのと同じ、目標にかける情熱は時として本来の価値を置き去りにしてる気がする。

今日の演奏は【曲へ敬意】を存分に味わえた素敵な演奏会だった。

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