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2ヶ月半経った水害被災地を見た話

写真とかは特にありません。思ったことをつらつらと。

熊本滞在

 連休を使って、熊本に来ています。このコロナ禍で、おおっぴらには言えない状況ですが、感染予防を徹底し、警戒しながらの滞在です。
 かれこれ一年近く会うことのできなかったパートナーのところへ遊びに来たわけですが、彼女が住んでいるのは先日の水害が発生した人吉球磨地方。
 これまで、テレビやネットで情報はたくさん見てきましたが、現地でその景色を見ることになって、また感じるものがありました。というわけで振り返ってみます。

熊本市内から人吉へ

 初日は市内のホテルで一泊。修復中の熊本城がはっきり見える中々のお部屋でした。アークホテル熊本城前、オススメです。

人吉方面へ

 さて、市内から一気に人吉方面へ。当初はいつもと変わらない風景も、少しずつ変わってきます。
 被害が少なかった地域でも、球磨川支流に面した道が削られ、未だに片側通行を余儀なくされていました。
 道もまだ整備されきっておらず、砂利道の上を走らなければいけないシーンが多々あります。

 稲が立ち並ぶ田園の風景が広がっていましたが、この稲の多くは出荷することもできず、ほんとなら刈り取っているはずの時期でもそのままになっているようです。
 作物が一斉に駄目になってしまうなんて、もし自分が、と思うと喪失感・絶望感に打ちひしがれてしまいそうです。国からの補助金も出るようですが、果たしてどれだけの足しになるのか…。
 泥の入った田んぼでは、水路が破壊されていたりすることもあり、向こう2年は再開に時間がかかるとも言われています。
 見る限りで、そこまで大きな被害が残っていないように見えてしまいましたが、そこには沢山の辛い、苦しい現況が隠れていました。

被害が甚大な球磨村

 続いて、被害が最も大きかった球磨村付近へ。ここで、球磨川本流を拝みます。
 これまでも訪れたことのある場所ではありますが、久々に目にしてまず思ったのは
「この川が氾濫して街が沈むなんてありえるのか?」という疑問です。車から崖下に見える水かさが、電柱や信号機を折ったり超えたりするほどの高さになるなんて、想像がつかないというのが正直な感想です。
 これまで、ネットでは「なんでもっと早く逃げないんだ」なんて声も見てきましたが、この景色を見て、私は同じ言葉を口に出せません。あんな状況になるなんて思いもしないのだから。

 球磨村の役場があったあたりにやってきました。多くの家屋が水没し、泥まみれのまま放置されているような状態が見受けられます。
 ここも、川からある程度距離があるように感じます。これだけ離れているのに、二階の屋根まで水が来たというのですから、混乱も必至です。
 このあたりは、川からの水だけでなく、山からの土砂崩れの心配も大きかったとのこと。当時は本当に不安だらけだっただろうと胸が痛くなります。
 どこに目を向けても、打ち捨てられたような家屋が目に付きます。復興ができるビジョンがなかなか見えてこない…。
 存続ができないとして、解体・解散が決まったような自治体(町?村?)もあると聞きます。たしかに、その地域に立ち並ぶ民家を見ると、どれも家の骨格しか残されていないような状況。とてもやり直していけるようには見えませんでした。

 そんな中でも、解体などの作業に取り組まれる人の姿も散見します。ボランティアの方なのか地元住民の方なのかはわかりませんが、まだまだ人の手は足りていないように見えました。
 まだまだ復興は遠く、人の力も沢山必要な状況でした。

人吉市内中心部

 最後に、人吉市内中心部へ。私自身何度も来ていますし、テレビでも度々見たことのあるような景色が広がります。
 パッと見る限りでは、被害の爪痕もかなり減り、日常が戻って来ているように見えました。
 しかし、やはりまだあのときのままの景色も多くあります。

 ここでも感じるのは、あのときのような水が来ることが想像もつかないということ。ここが屋根まで浸かったなら、街中が沈むだろう、と思ってしまい、まさかそんなことがあるはずは、と思ってしまうのです。
 これが正常性バイアスというやつでしょうか。

 街には、沢山の人の姿が見えます。強く生きている街の景色が見えます。
 一見復興したようにも見えますが、それでもやはりまだまだ道のりは長く険しい、そんなふうに感じ取りました。

 以上、被災地を見た景色の感想でした。

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