神話の力 ジョーゼフ・キャンベル ビル・モイヤーズ

「千の顔を持つ英雄」を上巻だけ読んで放っておいていたところに、ふと書店で見かけたこれを買ってみて読了。

感想としては、最初にまずこっち読んでおけば良かった!の一言。こっちの方が対談形式になっていて読みやすく、著者の思想をダイジェスト形式で比較的分かりやすい言葉にして読めるようになっています。

タイトルにも入っている神話が人間にとってどういう役割を果たしていた(いる・いく)かが対談の主要テーマなんですが、僕個人の見解からざっくり2つにまとめると、

1:社会の形を定義し、決まり事や生き方を定めるもの

2:時代や地域によって決まらない、全人類共通の精神構造から出てくる欲求や見解の表出

という感じ。

1の方は、今まさに世の中に起きている問題と関わっているもので、どういう規範を持って生きていくか、いつ大人として生活を切り替えていくかについての考え方が神話の解体と共に無くなってしまったという話に繋がってます。

無制限の自由の中では自分自身を定義するのがほとんど無理で、それでは子供のまま成長できないのは大変頷かされる部分です。とはいえ、本文ではその時代に即した神話が必要で、単純に過去に帰ってもうまくはいかないと反動主義に先回りしているのですが(ここもやっぱりとても頷ける部分)。

この辺の、語られた言葉を奥に真意の潜んだ喩えではなく、額面通りの真実と受け取ってしまう形式主義は、本文でもたびたび非難されています。「こう書かれているからこれはこうなんだ」という、最も浅い読み方が最も偏った曲解になるのは皮肉ですね。

2については、一昔前の心理学で言う集合無意識(「今」人間全てが共有している精神というオカルト的な解釈ではなく、設計図の共通した部分)って奴でしょうか。いつでもどこでも、人間考えることは同じなんて言うけれど、そんな風な事です。

で、この辺の話はほぼ必然的に「生きるためには他の生命を殺さなければならない」とか、「誰でもいつかは死ぬ」みたいな、嫌だけど絶対に逃げられないことにどう向き合うかに関わってきます。こういった事柄に対して納得のいく説明を作ったり、あるいは受け入れるための心構えをさせる機能を果たしていたのが神話である、という論に繋がってるんですね。

前半のほうで「神は人間の理解を超越したものである」というオカルトのように聞こえる話が出てくるんですが、個人的にはこの話も避けられないことへの対応って部分に関わることなのではないかと思います。

知覚や理解、表現形式といった、避けられない人間の(この世界の?)   『仕様上』の限界は確かに存在していて、それゆえに理解できない物事も存在するという考えは、こういった神話への認識から生まれているものなのではないかと。

ただし、それは悲観的な認識とは限らず、人間そのものや一人の個人の限界を知って、初めてその限界へ到達する準備が整うという考えも本文全体から読み取れます。個人の意思や才能の力も決して軽視していない(というか、西洋的な個人主義から逃げられないと自覚してるし、偉大な考えと誇ってもいる)のは矛盾とも取れるんですが、月並みな言い方をするならその2つのバランスを取ってやっていくのがいいって事ですかね。

永遠性についての考えだとか、色んなところでまだ読み取れきれていない部分が多い本だったのですが、最近自分が思うようになったことがほとんどそのまま入っていたり明文化されていたり、全体を通して大変面白く読めた本でした。あんまり一度読んだ本を読み返さない人間なんですが、これは間を置いて再読したいところ。暴力性についての部分だとか、神話の変遷における二次創作的な部分だとか、まだ書きたいことはあるものの、収集が付かなくなりそう(なってる)ので今日はこのへんで。

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