2019年名古屋城盆踊りの雑感。

名古屋城の盆踊りがどうしてあそこまでレベル高いかといえば、日本民踊研究会の歴戦の師範の集結する場であるからだ。

日本民踊研究会は決してローカルな組織ではなく、言ってみればJR東海みたいなもので、本拠地は名古屋だけども全国に支部がある巨大ネットワーク組織だ。

日本民踊研究会の創始者、初代島田豊年は戦時中に疎開先の愛知県春日井市にて有志の民踊講習会を催していた。戦後の1948年にその実績を愛知県に買われ、民踊講習会を依頼された。その後、島田豊年は1959年に日本ビクターと提携し、日本ビクターが発売する盆踊り曲を全国まわって踊り講習することで、それによって氏の影響力は全国に拡大した。

名古屋は小学校学区を基盤として、網の目のように名古屋中あらゆるところで盆踊りが催される(これは名古屋独自の自治制度である「学区連絡協議会」が絡むのだが詳しくはそれを参照のこと)。盆踊りの踊りを仕切る団体は各地にあれど、名古屋の場合はほとんどがこの日本民踊研究会の傘下に位置付く。各地の女性会が担うことがあるが、実態としては日本民踊研究会の踊りの講習を受けたりしてやっているものだ。

さてそのまさに総本山こそが名古屋城という訳だが、名古屋城盆踊りは長年、8月の10日間開催のうちの8日間が日本民踊研究会、2日間が名古屋市地域女性団体連絡協議会が仕切ることとなっていた。

しかし、名古屋城盆踊りの運営主体(名古屋市)は、数年前からそれらと別組織を参画させるように変えてきた。2017年2018年は、名古屋地元の日本舞踊団体「西川流」を参画させた。西川流は江戸期より長く続く歴史を持ち、戦後に「名古屋をどり」などのイベント興業などを軌道に乗せ、十二分に歴史を積み上げてきた日本舞踊のプロ集団だ。しかしそんな日舞のプロたちも、盆踊りについては新参であり、仕切りも振付も長けてないことが名古屋城盆踊りでは見事に露見され、2018年を最後に外れてしまった。そのかわりに2019年に参画してきたのが、岸野雄一率いる「大盆踊り会 “DAIBON”」のチームだ。大盆踊り会チームは東京で活動しているチームで、「中野区大和町八幡神社盆踊り」に2016年頃?から参画して評判を博してきている。DJプレイや既存のダンスナンバーなどを用いて自由に踊れるいわゆる“盆ダンス”や、かつての「竹の子族」を参照した現代の原宿を闊歩して活躍するパフォーマンスチーム「ケケノコ族」によるオリジナル盆踊り、そして日本全国の祭りや盆踊りを巡りまくってる東京の盆オドラーとして大変著明な「にゃんとこ(「白鳥拝殿踊り」「西馬音内盆踊り」「江州音頭」などの東京圏への普及活動や「すみだ錦糸町河内音頭大盆踊り」などのイメージイラストなど、活動が多岐に渡りすぎて全容が掴めない!)」と東京の江州音頭音頭取り集団「モノガタリ宇宙の会」による、江州音頭(それも今年はスチャダラパーのラッパーらとコラボするというウルトラCなアレンジをかましてきた)など、ひねりにひねった盆踊りを企画実施している。

そしてこれを統括してプロデュースしてるのは岸野雄一さんで、岸野さんについては大昔から音楽界でとても著明な方なのでググってください。氏の様々な取り組みはネットでググればたくさん出てきます(ケケノコ族やにゃんとこもググれば活動の様子がめちゃ出てきます)。

さて日本民踊研究会の盆踊りには隙がなさすぎるため、それは一方では名古屋の盆踊りを寡占化画一化させてる側面もある。西川流、大盆踊り会チームは、まさに名古屋盆踊りの一党優位制を切り崩さんがため、牙城である名古屋城へ遣わされたようにも構造上は見て取れる。それを目論んだのが、名古屋市なのか誰なのか、果たして誰の思惑なのかはちっともわからんけども(森道市場?SOCIAL TOWER MARKET?LIVERARY?大ナゴヤ大学?そのあたりの方々とかいろいろ思い浮かぶけど憶測だからまったくわかんない)、やっぱ独禁法しかり、健全な競争が促されることは文化経済に発展するのはもっともだ。

名古屋城盆踊りは、ここの盆踊りを特別愛してやまない一般の躍り手があまりに異常に多い場所で、特に30代40代くらいと見受けられる女性のコアな踊り手たちがここにはすこぶる集まる。今日の名古屋城盆踊りの代名詞である「ガッツ!!」が流れる最中の最前列の女性たちが飛び跳ね叫ぶ様はぜひぜひ直に見てほしいし、更には近年、「おもてなし武将隊」が名古屋城盆踊りに積極的に参画してるので、彼らのファンたちまでもが熱心に踊りまくる。まさに熱量が度を越したレベルに引き上げられてる。これはもう、一遍が企図した踊り念仏の次元なのではないだろか。。。

さて今年の名古屋城盆踊りの運営上で問題と思ったのは、タイムスケジュールについてだ。18:00に日本民踊研究会の盆踊りが始まり、一旦休憩となって19:00前あたりに大盆踊り会チームの「メガヒッツ盆」の盆ダンスが始まり、そして20分後くらいに日本民踊研究会が再び盆踊りを担い、20:00にまた大盆踊り会チームと交代して、そこからケケノコ族やにゃんとこらがやる、という時間の流れだ。

常連の名古屋城盆踊りの愛好家たちすれば、自分たちが踊れる時間が例年に比べて大幅に削減されてしまっていて、不満を募らせただろう。メガヒッツ盆のノリの軽さや、また名古屋における東京への反発心なんかもあっただろう、常連の名古屋城盆踊りの愛好家たちは不信感めいてる様子はけっこう見受けたし、20:00過ぎると日本民踊研究会の盆踊りを踊っていた人達のほとんどは帰ってしまった。なぜこのような日程やタイムテーブルとしたのか。

それらの様子を見て疑問と思ったことは、大盆踊り会チームを名古屋城に招いた立場の方々が、名古屋盆踊り事情に精通していたわけではないのでは、ということだ。名古屋城での日本民踊研究会の盆踊りを愛する熱烈な人々の心情を、東京から大盆踊り会チームを招いた人々は、さして重要視していなかったような印象は見受けてしまった。招いた人たちがどれだけ真剣に考えていたかは、すごく知りたい。

だからそんな状況なので大盆踊り会チームの演者たちはやりにくかったのではなかろうか。特にケケノコ族の初日はアウェイ感たっぷりで、でもそんな中でケケノコ族はめちゃくちゃ頑張っててめちゃ真剣だった。ケケノコ族のみなさんは、日本民踊研究会の盆踊りの最中もずっと輪に混じって踊っていて、だからケケノコ族のプロ意識は随所に感じとれた。

ケケノコ族は2日間の出番が決まっていたので、2日目には前日の様子を楽しんでリピーターになってた人もたくさんいた、だから踊りに加わる人がたくさん増えた。そしてその日こそは、にゃんとこ、モノガタリ宇宙の会、スチャダラパーのラッパーらによる江州音頭がついぞ催される日だった。私は名古屋で江州音頭が踊れるなどという画期的事件に期待を強く持ちまくっていた。というのも、それもこれもじつは昨年の7月に大阪へとお邪魔して、河内国分神社の盆踊りに、踊れないくせに出向いてしまい、無謀にも実践試みたのが江州音頭だ。しかし無謀すぎだった、振付もわからないのにその場で見て覚えようとした慢心があった、そのときあまりに踊れなさすぎて泣きそうになった、地元のおじさんが優しくて、熱心にマンツーで指導してくれたりしたのだが、あまりに飲み込めなさすぎてパニクって心も折れてしまった。そんな経験から1年経った今、いろいろと自主練つんだりもして、足の運びはおぼろげだけどもなんとはなしに江州音頭が踊れるようにはなってきてた。そんなところに、まさか名古屋で江州音頭が踊れ機会が表れるなんて、びっくらこいた仰天した。

音頭取りとスチャダラパーのラッパーたちとのコラボという体裁の江州音頭。しかしあくまで基本は江州音頭だ、櫓の上でしっかり音頭取りによって歌われて、にゃんとこさんら見本の踊り手がしっかりした振りで踊る。ちなみに7月に東京でやったときの様子がツイッターの動画があがっているので見てください。https://twitter.com/daibonjp/status/1155436942214909954

この江州音頭、大阪など本場でやってるスタンダードなものに比べて味気なくないのかな、とかも思ったりしてたけどそんなことなかった、杞憂だった、思いきり踊れて堪能できまくった。なんと私はケケノコ族に挟まれて踊れて感無量だった、櫓上のにゃんとこさんのきれいな見本を見ながら私が踊りズレてもすぐ修正できて、ストレスフリーで踊れた。ちょっと贅沢すぎませんかねってくらい。踊りに夢中ながら周りの様子もちょろちょろ見てたら、ビギナーの大勢も見よう見まねでみんなノリノリで踊ってる様子、すごかった、名古屋はほんとスゲーわ。

しかしこのときの様子を見てた方によると、一般の参加者でそれなりにかたちになって踊れてたのはどうやら私だけだったらしい。やはり名古屋で江州音頭はまったく知られてない。

踊った熱狂の興奮は、その反動により極度にシニカルな分析衝動を駆動させる。名古屋城での江州音頭、とてもいろいろと思うところがあった。

そもそも今日の盆踊りの楽曲は、西洋音楽理論に基づくものと、それ以前の音楽構造に基づくものとがあって、 東京音頭以降の盆踊りは西洋音楽理論に基づいて作られているので、名古屋でいったらば「名古屋ばやし」も「大名古屋音頭」も「ダンシングヒーロー」も「ガッツ」も、音楽構造上はぜんぶ西洋音楽だ(演歌や童謡と同じように)。 

いっぽう郡上白鳥おどりや河内音頭、江州音頭や阿波踊りなど、いわゆる伝統的な盆踊りは、西洋化以前の音楽構造に基づいてる。もちろん今日に生きるものは西洋音楽理論の影響は多大に受けてるから、演者の方々は音楽についての構造をすごく理解しているわけであり、音楽構造の差異に敏感に感じてやってると思われる(特にポリリズムと不協和音など)。

そして、ブルースやジャズやレゲエなどいわゆるブラックミュージックは、アフリカのポリリズムやノイズがふんだんに盛り込まれた音楽であり、かつ西洋音楽の影響を多大に受容したものであり、ロックやヒップホップやクラブミュージックもそうですね。そして実はこれらこそが西洋化以前からある郡上白鳥おどり、河内音頭、江州音頭、阿波踊りなどと歴史や音楽構造がとても親和する。だからそのような文脈からのクロスオーバーが、近年ますます盛んになってきている流れがあり、そんな大きなうねりの中で今回の名古屋城での江州音頭も催されるに至った、とも捉えてみたっていいい。名古屋の盆踊りでやる楽曲では、西洋音楽構造でないものは郡上踊りのかわさきや春駒くらいだ。

また、名古屋の盆踊りの特徴としては戦後のものだという色味が濃厚だから、つまりは録音されたもので踊るという形式が色濃い。盆踊りの音楽の発生のさせ方には、生唄生演奏のものと、録音されたものを再生して踊るもの(いわゆるディスコテーク)とがあるが、名古屋は圧倒的に後者。

まとめると、西洋音楽構造ではない江州音頭(ラッパーとのコラボではあったが)を生唄にてやったとことで、名古屋の盆踊りの基本構造(ディスコテーク+西洋音楽構造の楽曲)とのギャップが、如実に表れるかたちとなった。

そして、どれがいいとか悪いとかでなくいずれもすべてが盆踊りであり、名古屋城にてそれらが多様性として包摂されたことのすばらしさを見た。一方で会場の人々の様子から、性質も文化も異なるそれぞれの盆踊りに対しての好き嫌いや分断も散見し、だからほんとにいろいろ考えさせられた。

日本民踊研究会の先生20:00の交代のタイミングで、ケケノコ族やメガヒッツ盆など大盆踊り会のチームを「パフォーマンス」と幾たびも言っていたのだが、それもとても印象深かった。たしかに、大盆踊り会チームのほうは演者が主体である要素は色濃く、踊る人は客体となってた。盆踊りの場合の主体は踊る人だ。だから来場者は客体でもないし客でもない。
日本民踊研究会の先生たちは、盆踊りにおいて自分たちがパフォーマンスという意識はないだろう。彼女らはふだん舞台演舞などパフォーマンスをしまくる身だが、盆踊りにおいてはあくまで引き立て役、盛り上げ役との態度で、その考えはプロのそれであろう。主体は踊る人。盆踊りは〝観客参加型〟ではないしそもそも客ではない。

「豊田橋の下盆踊り」「プロジェクトFUKUSHIMA!盆踊り」「池袋にゅ~盆踊り」などなど、新しい試みの盆踊りはおしなべて「演者と客」という階層構造、主従構造を持ってしまう。〝観客参加型〟になっちゃう。既存の盆踊りになじめない人が楽しむ構造を作るとき、参加者は客体の立場でないと入りにくいのはあるだろう、素人がその場のパーツとなるのは気が重たい。しかし盆踊りの場合は踊る人は確実に一部分になる。客体ではいられない。

昨日の江州音頭の音頭取りとラッパーのコラボはそのような主体と客体の問題でも考えさせられた。これはでもバランスの問題だと思う。音頭取りは踊りを引き立てる裏方としての色身の方が濃い。ラッパーはどうか。半々だ、ラッパーの表現を客として聞惚れるのと、踊りを促す引き立て役。いやほんとにそうか。
表現者の無名性がやっぱポイントなのかもしれない。客がラッパーやDJに求めるものだって、ノれるために必要なだけだからスキルあれば演者は特に誰でもよし、との捉えだってそれなりにありはするだろう。音頭取りもラッパーもDJも、無名性が前面に出てることの意義はたくさんあるだろうが、それも演者自身が表現したい欲求との兼ね合いとなってくるだろう。
自己表現欲求/自己顕示欲はそもそも何にために必要か。歌手でも俳優でも、ベテランとなればなるほど自己表現欲求/自己顕示欲は薄まり、自分にできることやるべきことをやるようになる。もちろんそれだって人それぞれだけれど、自己表現欲求/自己顕示欲があることが状況に主体客体を生みやすくするだろう。わかりやすい例えでは、ライブなどでお決まりの定番曲の演奏とかって演者がやりたいものではなくて、客が主体になるために重要なもの。演者はその場合に引き立て役になってる。どんなことでも熟練するほどオートマティズム的にできるようになって、ではそうなった段階となってさて何をコントロールするかは、より抽象化するものと思う。個性を消すというのはそれなりにできるが、個性を消すと普遍性が減るような気もする。

でも、プロ意識と自己表現欲求/自己顕示欲とのことはそんな簡単な話でないな、自己表現欲求/自己顕示欲でしかないというプロの表現者だって全然たくさんいるだろう。


※参考リンク

大和町八幡神社 大盆踊り会2019 https://daibon.jp/

「個人ブログ 民踊塚 ──民踊の師──』http://kasugaisn02.life.coocan.jp/kagiya/minyo_tuka.htm

「やっとかめ文化祭2016 唱って踊って民謡ふるさとの調べ チラシ」http://www.higashi-fukushi.com/takaoka/itiji/161106folksong.pdf

「ビクター民踊・舞踊連盟 五十年のアルバム パンフレット」http://minbu.jp/app-def/S-102/wp/wp-content/uploads/2012/02/minbu50aniv_album.pdf

「個人ブログ 天に軌道のある如く 名古屋の盆踊り」https://ameblo.jp/hanafubuki96/entry-11878209831.html




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