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国立西洋美術館「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか? 国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ」展遠藤麻衣+宇佐美なつ作品の感想。上野の地とストリップと日本近代のシンボリズム。そして「盆」。

近代とは、軍事による簒奪と労働搾取によって、ごく一部の人間が利益を上げる仕組みの洗練だ。科学技術にしろ文化芸術にしろ、そのための機能的目的で推奨と発展が為された。
富を蓄財する者たちは狭い身内の共通言語として、またマウント合戦ツールとして科学・芸術を用い、タニマチとなったりコレクションをかき集めた。
古代/中世から、学者や画家はパトロンの庇護に縋ってきたが、近代制度によって学校や研究機関が設けられて研究者や芸術家がシステマティックに養成され、金持ちの草刈り場は大幅に広がった。

さて「国立西洋美術館」のあらましは様々なところで記され論じられているが端的に記せば、川崎造船所(川崎重工の前身)初代社長である松方幸次郎の大正期以後の個人コレクション(松方コレクション)が基盤となって設立された施設だ。第一次大戦の武器商人として多額の利益を上げて得た財を元手に、西欧で松方が買い漁った絵画・彫刻の群だ。

第二次大戦後、日本敗戦によってフランスに保管されていた松方コレクションはフランス政府に接収された。しかし大戦後ただちに冷戦構造が表面化し、敗戦国日本は朝鮮特需とサンフランシスコ平和条約締結によって米国の下請け国家として経済が急拡大する。
その背景下で松方の絵画彫刻のコレクションの群は、戦後の国家間関係の転換を企図した日本政府の外交取引ツールとして利用されていく。

フランス政府も、米国のポチとなって小金持ちとなりつつある日本をむやみに逆撫でしたくなく、松方コレクションの日本返還を承諾した。ただしその代わり、フランス文化を啓蒙喧伝する施設を設けよ、との条件を日本政府に出した。

そして東京上野の地に、フランスを代表する建築家であり近代を象徴するモダニズム建築の象徴的作り手である、ル・コルビュジエ基本設計による美術館が設けられることとなり、設計施工の実務はコルビュジエの弟子であった前川國男、坂倉準三、吉阪隆正が担った。

ル・コルビュジエ基本設計による国立西洋美術館

現在の上野公園の地は、江戸期は徳川幕府そして江戸鎮護のシンボルと言える、東叡山寛永寺の境内だった。幕末に旧幕府軍が足掻いた上野戦争で、旧幕残党の息の根が止められて薩長主体の新政府軍に上野は火の海とされた。明治新政府にとって徳川を潰した象徴的空間である上野に、あえて明治近代を走らす象徴的施設を次々と林立した。

帝室博物館(現在の東京国立博物館)、教育博物館(現在の国立科学博物館)、恩賜上野動物園、東京美術学校(現在の東京藝術大学)。それらは第二次大戦敗戦を経て平和憲法が施工されている今日の日本でも、何ら変わりがない。
余談だが、東京美術学校洋画科創設時教員である黒田清輝の養父は黒田清綱、松方コレクションの松方幸次郎の実父は松方正義。いずれも薩摩出身の明治政府要人であり、若年の頃に造士館で学んだ同世代人だ。

そのように明治近代が一覧展示される地である上野には、権力分散を原則とした戦後平和憲法体制から一転して軍事化と中央集権化した、50年代後半のダイナミックな日本の状況が顕されるかのように、国立西洋美術館が建った。国立西洋美術館は「逆コース」の象徴だとも言えよう。

さて現在の国立西洋美術館はどのような存在であるか。JR上野駅を降り、上野動物園や上野公園を散策しようと歩行する人々は、東京文化会館と国立西洋美術館の前を通り過ぎていく。多くの人々にとって国立西洋美術館は、だだっ広い空間にぼこぼこと古めかしいコンクリートの巨大建物造がいくつもあって、上野公園らしい景観ね、と言った程度の認識だろうか。
上野という地を俯瞰で見たとき、日本近代から戦後再軍備化まで総覧できはするが、そのように思案しながら桜を見たりパンダを見に行く人はまずいない。

美術鑑賞を趣味とする者でも、国立西洋美術館は素朴に誰もが美術館らしいと認識できるオーソドックスな西洋絵画や西洋彫刻が展示されている場所として捉え、鑑賞体験としては地味な営為だと理解するであろう。様々な知見を得たり価値観の提示を求めるような場として求めてない。
政治外交の産物である国立西洋美術館は、美術鑑賞として取るに足らない場所だ。

しかしだからこそ国立西洋美術館の中の人は奮起した。そんな近代システムの手垢にまみれたくだらない美術館であるからこそ、批判言論が体よく構築しやすいとも言える。そうして国立西洋美術館のある学芸員の企図によって、国立西洋美術館で現代美術の展覧会が実施されることとなった。

それが2024年3月から始まった「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか? 国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ」展(以下「眠る部屋」展)だ。

「現代」と接頭語の付く表現行為は、何かしらの社会制度に一度は浸った者が、自らの浸った制度だったり制度を下支えする社会構造と向き合い、批評的言及や自己批判を為す性質を持つ。そうでないものもたくさんありはするけども。

「眠る部屋」展では、様々な側面から国立西洋美術館、近代美術制度、または上野という地を題材として批評的にアプローチし、近現代を炙り出す20組ほどの作家・チームが選ばれ、作品やプロジェクトを表現している。

さてこの文章ではその展示での、遠藤麻衣の表現についてのみ言及する。

遠藤麻衣は東京藝術大学絵画科油画専攻出身だ。
藝大油画の受験は漫画「ブルーピリオド」で描写されたりもするが、日本の受験制度を煮詰めたようなものだ。西洋で規定されて近代日本で独自発展して強固に定められたシステム。今日でも、美術予備校でギリシャローマ彫刻の陰影をひたすら木炭でデッサンして身体で覚えこむ。何回浪人して何年も予備校に通うのが当たり前にやられているのは、医学部受験か藝大受験くらいだろう。

そのようにどっぷりと西洋絵画の枠組みを体得した遠藤麻衣は、アーティストとなって以後は様々な表現を提示していく。

さて絵画という最たるオーソドックスな形式は、オーソドックスだからこそ第二次大戦後のあらゆる価値観の転倒とすこぶるリンクした。
安楽椅子で皮算用した各国為政者が巻き起こした世界戦争によって、何億もの人間が肉体を酷使、損壊させられ、抑圧下で自由と尊厳を奪われた男性たちを体よく宥めるための消費物として、無数の女性が肉体を貪られた。

絵画は西洋でがちがちに固められて構築された制度であるからこそ、転倒しやすく、させやすい。
特に20世紀の絵画表現の文脈でその顕れが濃い。画家が身体パフォーマンスする動きが活発化したが、具象画から抽象画への流れがそれを一気に押し広げた。パトロンのいない貧乏画家は肉体労働で生活費を稼ぎながら絵を描いた。筆を持ち続ければ手や腕や背中などの筋肉は疲労するし、絵を描けば描くほどに身体疲労する。そして抽象画は身体の躍動や筋肉、それを調整する意識の機微が筆致を形作るところがあり、身体についての自己言及的営みが色濃い。

画家が踊ったり裸になったり叫んだりは、鑑賞する者からすれば著しく倒錯した営為と見えただろうが、当の画家たちにとっては、身体的な営みである絵画制作と素朴に地続きであると咀嚼しただろう。

1984年生まれの遠藤麻衣は当然のように、知識や美術史として画家によるパフォーマンスを吸収した世代である。

遠藤麻衣の活動の特徴としては、美術作品制作やパフォーマンスのほかに、舞台俳優として演劇作品に多数出演している点がある。様々な仕方で身体性を観点とした表現活動を試みてきている。
また遠藤麻衣は自身の裸体を用いた表現へのこだわりを強く持つ。その上で表現を実践するにおいて様々な障壁とぶつかっていく。

身体についての思考を純化すれば自ずと、何も身に着けてない裸体について観想するのは妥当なことだろう。
ただし、裸体を公的な場で顕わとしたとき、女性であることによって即座に自由が制限される状況が、現実社会にある。
日本の日常生活で、男性ならば夏場の公園や海岸で上半身を晒していたとて、殊更誰かに何かを言われるわけではないが、女性がそうしたならば警察が来る。社会構造が築いたあからさまな性差別であるはずだが、多くの人はそれが当然の社会モラルだと認識して生きている。

表現の自由が比較的尊重される、閉じた室内空間での舞台芸術や服飾等の界隈では、女性の乳房が露出されることはさほど珍しいことでない。
しかし、遠藤麻衣はとある美術館でのパフォーマンスで裸体になろうとしたとき、美術館側から裸体露出を規制された出来事があった。その体験を題材とし、遠藤麻衣はなぜ美術館で裸体となってはいけないかを法の専門家と協働し、疑似裁判議事録として作品制作した。女性であると上半身すら裸になれない。男女同権の日本国憲法の原則が適用されない現実がある。

一方で、男性の欲望解消として都合よく整備されてきたのが性労働であるが、そのひとつの業態としてストリップが戦後日本で普及した。乳房だけでなく性器を露わにして観客に全開で見せる形式が、ある時代から定着した。踏ん反り返る男性が顔をにやけさせて集うのを警察は意図的に見過ごし、けれども自己のメンツの都合次第で恣意的にストリッパーを逮捕拘留する。

さてある時期から、恐らくはSNSの普及した2010年代以降からだろうか、女性が鑑賞して批評的に捉えてフェミニズムやクィアの文脈と親和させながら、元気づけられたり励まされたりするものとしてストリップを愛好する女性が増えて劇場に集うようになった。

女性が社会に押し付けられた様々な性役割を、あえて過剰に体現して女性が隠すべきと強制される裸体や性器などを、自らの意思で表示し表現するストリッパーの営為は、現実社会の女性抑圧を軽やかに反転させ、観る人は女性が女性であることのしんどさから、鑑賞の一時ではあっても解放されるだろう。ストリップを語り愛でる言論はSNSのみでなく、ZINE(同人誌)の界隈で盛んに為されている。

さてようやく今回の国立西洋美術館での企画展における遠藤麻衣作品についての言及に入る。

遠藤麻衣は今回、表現の題材としてストリップを選んだ。
女性表現者が裸体について自己言及するとき、安直な発想でもストリップは思い浮かぶ。演劇やダンスパフォーマンスなどではしばしば、女性の演者が衣服を身にまとった上でストリップ的所作の物真似を試みる演出があるが、ストリップを深く咀嚼した上で臨んではいないと見えるものが多い。

そうした安直さを回避するため、遠藤麻衣はストリップを真似事とはしなかった。

遠藤麻衣は今回の作品を、宇佐美なつという現役ストリッパーと共作した。宇佐美なつは、元は熱心なストリップ鑑賞者だった。宇佐美なつはその前史としてアイドルファンとしての経歴もあり、舞台表現や鑑賞行為に対して強く批評的な視点を持つ。
外資系企業会社員からストリッパーに転身したとのキャリアもあり、メディアからも着目されてしばしばインタビューなどへの露出がある。

遠藤麻衣の展示空間は大きく二つの要素で構成されており、ひとつは国立西洋美術館の敷地内で撮影したダンス/ストリップの映像作品の上映だ。

私自身、ストリップ観劇はコロナ以後に二度しか経験がないが、それだけでもストリップにおける表現の幅が極めて多彩なのがわかった。
ダンスを基盤とするが、各ストリッパーが披露するダンスジャンルは極めて幅広い。またひとりのストリッパーがいくつもの演目を披露する。ストリッパーが披露する演目に共通点がないとすら見えるが、いくつかの決まったルールや形式はある。演目の中で全裸になること、そして「盆」と呼ばれる回転舞台で様々なポーズをとって開脚して性器を露出すること、などだ。

さて今日の日本でのストリップの起源とされるのは「額縁ショー」と呼ばれるものだ。
第二次大戦直後のGHQ占領下、風紀を取り締まるGHQに対する方便として、性風俗ではなく芸術実践であるのだとの建前を用い「西洋画裸婦像を真似た表現行為です」との設定で立ち上げられた。「額縁ショー」にダンスはなく、表現者である女性は絵画を模して上半身の裸を観客に見せる、というものだった。しかし観客は芸術的な態度で鑑賞に臨むわけでなく、性的快楽として享受した。

ストリップの歴史は調べればたくさん詳述されているのでここでは割愛するが、元は上半身裸にて静止した女性を眺める行為であったものが、次第に時代の変遷を経て、時に激しく時に優雅に踊り舞う無限のバリエーションを持つダンス表現となり、上半身のみならず下半身を露出し、更に性器を開帳するようになって、今日にその形式が継承されている。

今回の遠藤麻衣の作品は、国立西洋美術館が遠藤麻衣に作品制作を依頼しているので遠藤麻衣の名でクレジットされてはいるものの、実態として遠藤麻衣と宇佐美なつの合作であり、宇佐美なつは客演という立場でない。
映像作品は国立西洋美術館敷地内で撮影したものだ。ダンスを軸に裸体となって、最終的に「盆」上にて性器を披露する。演目時間の長さや演目中のBGM構成など含め、ストリップ形式に準じた表現である。
振付・構成は宇佐美なつによるもので、ストリップの様式と形式を専門家が構成している。遠藤麻衣は宇佐美なつの指導の下、ストリップの技芸を学び実践している。
極めて短期間で遠藤麻衣はストリップの様式を身体で覚えたのだと思われる。短期間でストリップの所作を体得したのは見事だとしか言えないが、しかしやはり宇佐美なつとシンクロしてストリップ特有のあるポーズをとるとき、遠藤麻衣の脚は筋肉が身体負担に抗せず痙攣して震えている。一方、宇佐美なつの鍛えられた脚はぴたり静止する。

ストリップは絵画模倣の静止芸である額縁ショーから始まったわけだが、激しく身体を動かし躍動する身体表現へと変遷した。
ただし性器露出するここぞの場面では現代のストリップでもピタリと静止する。各自が多彩な演目を披露する中で、性器露出のポーズは形式が固定されている。そここそはストリッパーの形式として技芸を試される。止めの動きこそにストリップらしい高い技芸が顕れる。

ストリップ劇場と同じく、写真や映像の撮影はできない。

さて映像上映だけでなく、展示空間のもうひとつの構成要素は、インスタレーション的に鎮座する直径3メートルほどの円形の自作回転台だ。
鑑賞空間真ん中に置かれ、自動装置で回転している。鑑賞者はこの回転台に座って映像を見ることができる。この回転台は明らかにストリップにおける回転舞台である通称「盆」をなぞらえたものだ。「盆」は大抵どのストリップ劇場にも整備してあり、ストリッパーが開脚して性器を露出する舞台だ。映像の後半でも、裸体となった遠藤麻衣と宇佐美なつはこの自作「盆」の上で裸体となって性器を露出する。性器にはぼかしが入り、ここでも裸体表現に規制がなされていることが観客に突きつけられる。

京都「棒」での「VOUで大きな回転舞台を制作する」にて。回転舞台「盆」は2023年9月に前もって発表された。

さて国立西洋美術館から10分ほど歩いた場所に「シアター上野」というストリップ劇場がある。東京国立博物館、東京藝術大学、国立西洋美術館など日本近代を煮詰めたような場所である上野ではあるが、上野でストリップと聞けば、当然ストリップ愛好者にはシアター上野が想念されるだろう。

シアター上野は2021年に警察が恣意的に摘発し、ストリッパーを逮捕拘留した。警察の恣意的な摘発は戦後から断続的に為されてきており、国家による性差別と職業差別がここにも滲み顕れている。
直近でも、2020年以後のコロナ関連での補助金では、性産業やラブホテルなどが恣意的に除外され、国によって職業差別が公然と成された。性労働に対する差別は長い歴史があるが、ストリップを含め性労働が周縁またはフレーム外にある非合法だと捉えられてきたのはあらゆる文脈でそうだ。政治的にも表現的にも、文化教育的にも、賤しく汚らわしく取るに足らず深慮に値せず省察に値しないものと、構造的に貶められてきた。

摘発によって経営的ダメージを大きく受けたシアター上野は、それをバックアップするためストリップ愛好者によってクラウドファウンディングが募られ、多額の寄付が即座に集まった。ストリップを愛して応援し、観客自身が生または性を応援される。
私自身はストリップ愛好者とまで言えないが、ストリップを愛する友人やストリップ愛好者によるZINEなどの理念には強く賛同している。

欧米列強と肩を並べるため表面的な西欧化を推し進めた日本近代政府は、国民の裸体露出や異姓装を厳しく取り締まった。身体の在り方について厳しく国民を管理し統制した。それは戦後憲法下でも根本的に変わっていない。
フレームの外、まさに関心領域外に目を向けないよう国民市民がトレーニングさせられるシステムが近代だ。支配と搾取で成り立つシステムであって、可視化さえ為されなければシステムを疑う術すら人々が持たなくなる。

一方で、西欧で支配階級のみが「芸術」という枠組みで裸体画や裸体像を愛でる文化を、日本の支配階級も取り入れた。日本の美術制度は上野の地で、東京美術学校(現在の東京藝術大学)が中心となって展開してきた。
女性の裸体露出が制度として都合よく制限されてきた近代構造。西洋近代をインストールするための美術制度は、限定されたフレーム内をはみ出さずに鑑賞をする態度への矯正こそがその目的だったと言えよう。

だからこそ、近代を超越する「現代」と名がつく表現は、近代構造を解体する態度とこそ親和する。近代と現代は態度がまるで異なる、はずだ。

しかし、「眠る部屋」展での遠藤麻衣の展示は、企画展での最終盤の枠組みのひとつとして構成されており、いわゆる展覧会全体を構成する「キュレーション」の観点では、遠藤麻衣の作品もストリップの歴史や社会性も、とある視点から体よく利用さえている構図にされてしまっている。

遠藤麻衣に隣接してユアサエボシや梅津庸一(また梅津庸一率いるパープルーム)といった、絵画を偏執的執着的に履修してきた表現者の実存的作品展示が続いた後、辰野登恵子、梅津庸一、坂本夏子の絵画作品で満たされる空間で、展覧会は終わる。オーソドックスな「絵画」という形式に回帰する、との印象を鑑賞者に強く抱かせて終わる構図だ。

近代西欧の枠組みを推奨して愛で、あらゆる制度で人々を縛り付ける。それこそがあくまで国立西洋美術館の役割であり態度である、と「眠る部屋」展のキュレーションは述べているように、私は受け止めた。

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