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江州音頭、尾張万歳、ダウンタウン、ランジャタイ国崎についての雑感

コロナ渦以前の人数と熱狂で多くの踊り好きが踊り明かした2023年の錦糸町河内音頭1日目で、すずめのティアーズのポリフォニーハモリ歌唱と久下惠生のジャズドラムのセッションによる江州音頭を聴いて踊り、私の体がスパークした。

このセッションは他の音頭取りが歌う江州音頭に比べて私の体が圧倒的に呼応した。すずめのティアーズの極めてテクニカルなハモリ歌唱、久下惠生の熟達のドラミングが裏打たす気持ちよさで、音の指令に小刻みにビートを打つモードへと変換した私の体は気持ちよいまま心身における音の神経群に直接作動し、意識も意図もキャンセルされた体が動く。
それがどうしてかと言えば、勿論私たちは、西洋音階やジャズのリズムであったり音の揺らしに親和して生まれ育った現代人なのだから、自己の幼年体験に存在しなかった古典のリズムやテンポより、西洋音階やジャズのそれに強く馴染みを覚える。
近代にスタイルが固まった古典的な江州音頭は、戦後以後の西洋音楽や黒人由来白人音楽の様々な間、テンポ、リズム、声量、声質に慣れている現代日本人には、掴みにくかったり捉え難い側面が確かにある。その人の内に刻み込まれた、間、テンポ、リズム、声量、声質は、なかなか変質できないものだ。

しかし江州音頭とは、固定化されて保存されるべき芸能では全くなく、様々にその時代の流行物とマッシュアップして変遷を受けたごった煮の音楽であり、可変性が極めて高い性質を含有する歴史を持つ音楽だ。改変されることこそが真髄といって良いだろう。これこそが近代寄席で江州音頭が尾張万歳と邂逅した事実の根底に横たわった原理だから。

近代に江州音頭が尾張万歳とマッシュアップした後に発展したのが、今日のお笑いの漫才であるのは歴史の自明だ。しかしアメリカのスタンダップコメディを万歳に取り込んだエンタツアチャコによって、その歴史は断絶したとされている。だが実はそうでない。

江州音頭と尾張万歳に内在した、間、テンポ、リズム、声量、声質といった要素で生まれるグルーヴィな気持ちよさは、後の漫才もずっと引き継いでいる。
時代が下って1980年代初頭、MANZAIブームでツービート、B&B、紳助竜介などが、とかくテンポは速いがリズムが単調な漫才のスタイルを興隆させた。そのあとにダウンタウンが登場した。ダウンタウンはMANZAIブーム世代から一転して、スローテンポを用いて極めて複雑だが圧倒的に気持ちいい間、テンポ、リズム、声量、声質を駆使して客を熱狂させて大人気を博す。テンポがスローなので、極めて細かい絶妙な間の取り方や声量のボリュームなど微細な調整が、早口ではごまかしできない。そうした綿密な構成がダウンタウンによって発揮されたからこそ、あれだけの大熱狂を受けた。若い頃のダウンタウンが漫才でわざと早口となる演出部分の扱い方を見ると、余計にそのように感じる。

さて今日の漫才は、尾張万歳の何でもありのスタンスを勿論引き継いでもいるが、間、テンポ、リズム、声量、声質で気持ちよさを観衆が覚えるという価値観や態度そのものを、江州音頭と尾張万歳から十全に引き継いでいるのは、どう見ても間違いない。

たとえばトムブラウンやランジャタイ、ヨネダ2000など、一見するとナンセンスで無茶苦茶な芸をしていると見られるものは、アドリブと思いつきで何でも取り入れた尾張万歳から引き継がれたスタンスや態度の証左とも言えるが、それよりも、無茶苦茶と見えても観客をしっかり掴むタイプの芸に通ずるのは、間、テンポ、リズム、声量、声質を綿密に練り上げて、客を魅入らせる芸へと昇華できていることだ。

だからこそ多くのお笑い芸人がリズムネタの一発屋に陥るのは、間、テンポ、リズム、声量、声質を程よく活用すれば、ある程度の技量でも手軽に笑いが取れてしまう性質を利用した、システマティックなものだからだ。

デビュー当時のダウンタウンは、吉本の少し先輩の河内家菊水丸をめちゃめちゃけなしていた。確かに生きた芸として見たとき、間、テンポ、リズム、声量、声質が、現代の観衆を気持ちよくさせているかどうかを問うたとき、その時代の客がノるリズム、テンポをばっちり打ち出していたかつての江州音頭や尾張万歳の演者の態度と共鳴するのは、圧倒的にダウンタウンの側だろう。

ランジャタイ国崎は松本人志にとても気に入られているが、先月の「ガキの使い」で再現した、コロッケのロボット五木ひろしの完成度の高さに目を見張った人はとても多いだろう。普段の彼自身のオリジナルの動きでなくコロッケをトレースする動きを再現してみせ、いかに芸人としての能力が高いかを見せつけた。

あれだけの完成度が発揮させられるのは、芸人に間、テンポ、リズム、そして表情のずば抜けた能力がなければ成立しない。
ではランジャタイ国崎に見て取れる芸人としての能力とは何か。それこそはまさに、江州音頭と尾張万歳が涵養して成熟させた価値観であると言っていい。
間、テンポ、リズム、声量、声質を捉える能力が日本の芸人で他の追随を許さない圧倒的なレベルにあるランジャタイ国崎だが、江州音頭と尾張万歳が共鳴したエッセンスや態度を誰よりもしっかり引き継いでいるのは彼だろう。

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