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紫陽花

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私は今まで花の絵を描いたことが殆どない。カメラを様々な被写体に向けても花に向けるのは稀であった。何故か、しかし単に物の好き嫌いを述べて、お花愛好家の方には聞く耳持たぬで終わってしまうが如きつまらぬ文章になるのは避けねばなるまい。

薔薇・チューリップ・菊・カーネーションなど、どれもお花屋さんの代表選手だし、その美しさは一目瞭然&天下一品だ。どれも派手で目立つので、それ以上表現で何かを付け加えるのは到底無理に思えて、いつも尻込みしてしまうのだ。ゴッホがそんな存在感の強さがある向日葵と真正面から向き合い、相手をねじ伏せて、絵画的強度を達成出来たのは正に驚異的だ。

ものの美しさ、見え方は様々な要因で変わるのは皆さんご存知でしょうが、例えば、一輪の美しい花も距離を隔てて見れば、その美しさは大分ぼやけてしまうのは当たり前だがしかし、これが一輪一輪そう目立つ花でないとしても、ある一定の群落となれば話は別だ。高山植物の花は暖かい所に自生するものより概ね地味だが、一面お花畑のように呈すると格別だ。私はこのような場面下で初めてお花の鑑賞を楽しむことが多いし、カメラも向ける。言ってみれば、自然融合型鑑賞者だ。それは時に別の花が混じってたり、緑の葉っぱが引き立て役になってたりする混合型鑑賞形態とも言える。何やら料理の盛り付け極意にも通じるような話っぽさになったが、適当に色が散らばってたり、グラデーションになってたりするととても目に優しいのだ。

紫陽花の花はそういう態度の鑑賞者でも、群落ではなく花一輪だけで見ていてもまるで群落を見ているが如く引き込まれる。花の種類には全く疎いが、そういう花は私の周りでは紫陽花しか知らない。紫陽花にも様々な色合いがあるようだ。紫・青・白などほぼ単一色のものから、それらの色が入り混じったものまで、形の違いも含めると自然は何と多様かと驚かされる。もともと紫陽花は、ガクアジサイというのが日本原種だそうで、話しをそっち方向へ持って行きたい私としては根拠があって好都合だ(笑)。

6月の雨に濡れて、これ程風情を醸し出す花は他にあるだろうか?   色調は一輪の花弁(本当は顎)に多くの色相(色合い)を忍び混ませ、明度は中間調、彩度は淡く濡れた質感を表すに最も映える色の調合具合だ。梅雨時、紫陽花を見かけると幼少時に紫陽花を見ていた自分を今でも思い出す。そうだ!!  あの色のブレンドの妙味は味わっていたのだと。

長く忘れていたその感覚を取り戻すべく、紫陽花をモチーフにした絵を手掛け始めた。最終的な調整であるグラフィックソフトの彩度を上げ過ぎないよう気を付けながら・・・

紫陽花にはそれとは別にもう1つの思い出もある。山に自生する山アジサイだ。蓼科高原に在住してた頃、何と冬でも葉脈だけ残って透けた花弁の形が毎年見られたということ。不思議な体験だった。

私の紫陽花にはそんな世界が凝縮している。いつまでも見続けていたい。






















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