それでも私は食べていく①

【彼女と唐揚げ定食】

 人生で一度だけ、ご飯を食べられなくなったことがある。
正確に言うと、食べられなくなったのではなく、食べることをやめた。
無理やり食べてみたけれど、戻してしまうのが切なくて、やりきれなくて、食べることをやめた。生まれて初めて、二十歳の夏。

 当時の私は塾講師のアルバイトをしていて、夏休み真っ盛りの超繁忙期だったのが救いだったかもしれない。唯一の栄養源は出勤前に寄るコンビニで買う栄養ドリンクだった。人間は思っている以上に食べなくても生きていけるんだなと思ったし、人間って本当に食べられなくなるんだなぁなんて、感心してしまった。

 食費は浮くし、なんも考えないで仕事だけしていればいいし、それはそれで悪くないよなあなんて思っていたのだけれど、運悪く4日目のその日は仕事も何もないただのお休みだった。栄養ドリンクを買いに行くことさえもめんどくさい、布団から起き上がることができない、考え出したら涙が止まらない、想像以上に自分がボロボロで驚いた。「どうしていいかわからない」というのが一番で、事情を知っている友達にとりあえずSOSだけ送ってそっとスマホの電源を落としたのだった。電源を落としたスマホが鳴るはずもなく、次に鳴ったのは家のチャイムだった。やっとの思いで身体を起し、ドアを開けるとSOSを送ったきりにしていた友達が立っていた。「連絡が取れなかったこと、怒られるかな」と思っていた私の予想とは裏腹に、彼女はたった一言「ごはん食べに行こうよ。」と私に言ったのだった。


 その日は確か、私たちがよく行っていたラーメン屋さんで(今はもうなくなっちゃったらしい。)唐揚げ定食を食べた。ごはんが大盛なことで有名なそのお店の唐揚げ定食を前に、食べる前から泣きそうになった。
「私のおごりだから!食べられるところまでおいしく食べて!戻すのは許さん。」
と彼女に釘を刺され、同じものをモリモリと食べていく彼女を見ながら、5日ぶりにきちんとしたご飯を食べた。よく食べに行っていた唐揚げ定食だったけれど、その日はなんていうかお米おいしいなとか、唐揚げジューシーだなとか、いつもわざわざ考えたり思ったりしないことを思ったお昼ご飯だった。

 久しぶりにきちんとしたご飯を食べるには、とっても時間がかかった。お店についた時点でランチタイムの後半に差し掛かろうかというところだったけれど、おいしく食べられるところまで食べ終えたころにはランチタイムが終わろうとしていた。
「たぶん、こういう時はめちゃくちゃ叫ぶとか大声出すとか、そんなことが必要だと思うし遊びにいこう!」
と彼女は言った。たしか、彼女は試験期間真っ只中だったはずなのに。
その日の昼は、大声で歌いながら泣くなんて高度なことを彼女と二人やり遂げたのだった。

 その晩はさすがにお腹いっぱいでほとんど食べられなかったけれど、あの日の唐揚げ定食のおかげで「ご飯を食べよう」という当たり前のことを思えるようになったし、彼女と食べたあの唐揚げ定食に救われた毎日がある。

悲しくても怒っていても切なくてもやるせなくても、それでも私は食べていくのだ。

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