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14歳でドイツ人学校に放り込む その3

前回の最後の文章は、「14歳の子供は、夏休み明けに、こうしてドイツの総合学校9年生に入学した。」であった。

入学をしたところで、ドイツ語が喋れたり、理解できるようにはならない。
14歳というのは、大変重要なファクターだ。
先ず、環境に放り込めば、外国語を空気を呼吸するように吸収し、あれよあれよと使っていくのは、幼児小児である。
大人には無理だ。
14歳にも無理だ。
その上、大人の都合のせいで、自分が望まない環境に押し込まれていることを、全身全霊でわかっている。
更に、ティーンエイジャーだ。
自分の立ち位置、集団の中の自己確立が凄く大事な時期だ。
友人が大事な時期だ。
子供があてがわれた学校は、ドイツ語補習授業が充実しているので、ドイツ人の方が稀少で、外国人の子弟が半数以上だが、学校中を見ても日本人は一人もおらず、有体にいえばG7に属する子弟は殆どいない。
いわゆる中進国、開発途上国の子弟の方が多かった。
段々わかってきたのだが、日本人学校のレベルから見たら、所謂荒れている学校で、学校内に年に何回かは警察が入り、女子トイレのドアさえ蹴りで壊され、修理が間に合わないそうだ。
入学したクラスには、転入生お世話係が指名されており、当該の生徒さんは、大変頑張って面倒をみてくれようとしたが、精神的には手負いの獣のようになっている子供に必要なのは、寧ろセラピストのような状況だった。
兎も角、ドイツ語補習授業に参加し、スポーツや美術の授業に参加し、普通授業にも少しは参加する。
しかし、考えてみてほしい。
例えば理科の授業を全く自分がわからない言語で授業されて、楽しいだろうか?

なりふり構わず子供に有利になることは全て試す・ドイツ人家庭教師をつける・常にプランBを用意する

学校だけでドイツ語が出来るようになるなんて、何年掛かるかわからない。
子供から感じられる雰囲気は、一分一時間一日でも早くドイツ人学校から脱出したい、留年なんてしたら、絶望のあまり何をしでかすかわからないぞというものだった。
先ず、ドイツ人の家庭教師を雇った。
政治的方向性は全く相容れない、スノッブな女性の大学生だったが、指導がとても細かく、言い間違い・書き間違いはとことん直してくれる。
わたしは文法的に完璧なドイツ語は出来ないので、これは大変助かった。
週に2,3回放課後に、宿題を含め、しっかり見てもらった。
日本で所持し、家具等も残してあるマンションは、無職で逃げ帰っても、家だけはあるのだという安心感を、親に与えてくれた。
現役の日本の高校教師である2人の弟たちは、ドイツの学校がうまくいかなくても、高校認定試験という手がある、ドイツでどうしようもなかったら日本の高校に編入する手もある、場合によっては、全寮制の日本の高校もある、そういう場合にはわたしがドイツで稼ぎ、弟が準保護者として日本で機能する手もあると、様々なプランBCDを提示してくれた。
これは、他に相談できる相手がいないわたしには、心強い精神安定剤だった。
いざとなれば、弟たちが親身になってくれるというのは。

日本人学校では勉強に困ることなぞ全く無かった子供が、ドイツ人学校の最初の9年生(日本では中学三年生に相当)の前期に得た成績は、素行と社会性は優(大人しくしか出来なくて、悪い事何もしないからね)、英語ギリギリ(同学年だと日本人学校より程度が高い)、生物ギリギリ、体育良、数学良、芸術優だ。
数学が良なのは、日本人学校で全て学習済みの内容だったので、ドイツ語がよくわからなくても、内容が既知だったからだ。
他の科目は、一切点がつかない。
ドイツ語補習授業に参加しているので、他の授業に参加出来ないからだ。

こんな学校生活は子供にとっては地獄に似ているだろう、毎朝大嫌いな場所に行くのだ。
文句を言い、泣き、癇癪を起す。
当たり前だ。
自分がドイツに留学した大学での最初の講義後の絶望感を思い出す。
日本の大学で、理系とは言え、片手間6年間のドイツ語授業を受け、ドイツ国費留学生試験に合格し、ドイツでの二か月間の優秀な語学学校の集中コースをこなし、さらにドイツの大学が外国人留学生に課する語学試験に合格したのに、最初の講義が一切合切わからなかったのだ。
教授の講義の口調が速すぎて。
自分が望んで留学したのに、ホームシックにどっぷり浸かった。
人間関係がなく、何もわからないということは、学校では、すなわち絶望なのだ。

毎日のように、子供に、問題は語学だけなのだ、能力はあるので、道具としての語学が使えるようになれば、本来の能力を発揮できるのだからと、言い続けたが、役には立っていないようだった。
寧ろ、学校で段々言われていることがわかってくる、自分が望むほどの速さではないせよ、進歩しているという実感が、子供を諦めさせなかったのではないかと推測する。

9年生後期には、大イベントが2つもある。
1つは3週間にも渡る職業研修で、これは自分で研修先を見つけ、学校に研修先を届け出て、最後に詳細なレポートを出すという、たった半年ちょっとドイツ語を学んだ生徒には、とんでもない課題である。
子供は未だまともに電話を掛けることさえ出来ないので、親がしゃしゃり出て、あちこちのHPを見て電話するが、生徒が外国人でしかもドイツ語半年学習では面倒見切れない、危険過ぎると、どんな業種からもお断りの嵐である。
しかし、この職業研修は進級の義務課題、やらなければ留年の可能性がある。
ついに自分の会社の上司に泣きつき、自分の職場の所長に通してもらって、研究所での研修ということにした。
勿論親は直接は研修に参加しないが、色々な研究室を数日ずつ回って、実技を含む実習を受けることになり、親は各研究室に頭を下げ、わからないことは、まだ英語の方が通じる、万が一問題があったり、危険なことがあったら、すぐ呼び出してくれ、通訳するし、言い聞かせる、本当に面倒を掛けて申し訳ないと平謝りである。
同僚たちは、至極同情的で、わかりやすい資料をふんだんに用意し、レポート作りを簡単にできるよう準備してくれた。
実習の内容をつたないドイツ語で家庭教師に伝え、仕事内容を全部知っている(そこで働いているからね)親が情報を足し、家庭教師が完璧なドイツ語にして、子供がPCで入力して、親切な同僚たちが用意してくれた資料を加え、レポートは最高点だった。
先生は、子供が書いたのではないだろうと面談の時にわたしに言ったが、研修を本人が受け、家庭教師に伝え、その文章を子供が自ら入力したのだ、今は仕方ないだろうとド迫力で言ったら、成績は優がついた。
二つ目のイベントは、国数英の義務教育終了相当試験(ドイツも義務教育は9年間)だ。
国語はこの場合勿論、ドイツ語を意味する。
この試験の最中に、弟たちから「母が亡くなった。」という連絡が入った。母、子供から見て祖母は、孫の学校のことを大切だと考えていた。
雇用先が変わったこと、学校も変わらなければならなかった事情は、既に入退院を繰り返して、弱っていた母に詳しくは説明しなかったが、孫の進学を楽しみにしていた。
葬式のため帰国をすると、試験の科目を欠いてしまう。
母も喜ぶまいと、葬式参列の一時帰国は諦め、弟たちは、その後の手続きも含め全てを行ってくれた。
義務教育終了相当試験は合格した(ほぼ全員合格だが、受けなければ話にならない)。

9年生後期の成績は、素行と社会性は当然優、国語が外国語としてのドイツ語(小学生レベル)だが優、芸術・倫理学・職業研修が優、数学良、生物普通、物理と化学良、社会科ギリギリという、前期に比較すれば明らかな進歩が認められるものだった。
子供は留年することなく、9年生から10年生に進級が決まった。


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