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いつまでも思い続ける

海外に行って、もし見つけたら必ず入ってしまう場所が墓地。日本のそれを想像されると困ってしまうのだが、日本のはなんだかうら寂しいというか、何かが出てきそうな気がして落ち着かないのは、昔話や映画や本で怨みつらみのお話を刷り込まれているからかもしれない。海外の墓地は散歩コースというか明るい公園のような感じなところが多い。

昔住んでいたアメリカ オハイオ州クリーブランドに大きな墓地があり、好んで出かける場所のひとつだった。春になると、敷地内の斜面には水仙が咲き乱れ、大きな木が緑の葉をつけると涼しい木陰を作り、心地よい風が通り抜けるから、青空の広がる晴れの日は出かけるのが楽しみなくらいだった。

日本の墓石にはほぼ「OO家の墓」と重厚な文字で書かれていて、死んでも家単位かぁとどんよりしてしまうけれど、海外では、個人が眠るので「In Loving Memory Of OOO (OOOの思い出に)」とか、優しくて愛情深いOOOへ、とか、墓石の文句を読んでいるとだけでも、亡くなった人と送り出した人の関係やどんな人だったのかを自然と想像してしまう雰囲気がある。

ある日、年配の男性が折り畳み椅子と本と花束を抱えて墓地内を歩いているのを見かけて、気になって目で追ってみた。その男性をその後も何度か見かけるようになるのだが、あるお墓の前で止まると、お花を供えてから、椅子を広げて腰かけて、そして本を開いてゆっくりと本に視線を落とす。亡くなった奥様のお墓なんだと思った。やさしく穏やかな表情で、一緒の時間を過ごしに来ているのか、生きていても亡くなっていてもなんて幸せなんだろう。私はしばらくその人から目が離せなかった。

もし、私の大切な人が先に亡くなったら、私も同じことをしたいなと思ったのだけど、日本の墓地では、土の中の人も上の人も、ここじゃあね…と、笑い合って、普通にお参りして終わりだろうな。


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