見出し画像

息を引き取る

静寂という言葉の意味を知ったのは、6歳下の弟が亡くなる過程を見ていた時だった。

上咽頭癌で手の施しようがなく、夜中の病院からの電話でそこにいた家族は無言のままこれから何が起きるのかを悟っていた。彼には生まれて6か月の男の子がいて、生きている間は息子の成長を出来るだけ長く見ていたいとそればかりを言っていた。だから、どんどん弱っていく自分の現実をどれほどの思いで甘んじていたのかは想像を絶する。

病院に着いた私たちに担当医は静かにうなづき、私たちは病室に入る。間に合った。すやすやと寝ているようにベッドに横たわる彼を囲み、誰もが無言のまま彼を見ていた。癌の部位が部位なだけに少しシューシューと空気が息が抜けるような音を出して呼吸をしている。そして、瞬間的に呼吸のリズムが変わるのが分かった。細く薄くなっていく。ゆっくりとゆっくりと。ほんのわずかに最後に空気を揺るがす長く細い息を吐いたあと、静寂が残った。

静かで穏やかだった。目をつぶったまま身動きすることもなく、ただ最後の呼吸だけがあって、それを神様が引き取って行った気がした。

無念はあったはずだけれど、苦しみも痛みも悲しみもはがゆさも何もそこにはないように見えた。喜びも嬉しさも楽しかった思い出もそこにはなかったのかもしれない。死には何もないのかもしれない。ただ、引き取られる息があるだけ。息を引き取るとは、誰目線の表現なんだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?