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クラリネットをこわしちゃった彼を助けたい

私には、昔から苦手なものがある。

それは、怒りだ。


他人から怒られるのはもちろん、自分が怒るのも苦手だ。
どれくらい苦手かと言うと、自分が怒ると途中で訳が分からなくなり、最終泣いちゃうくらい苦手である。

さらに言えば、怒られている人を見ることでさえも苦手だ。
全く知らない人が怒られていても、その光景を見るだけで胃がキリキリし、長年の腹痛によって異常発達した肛門括約筋のお世話になる始末である。

そんな怒りに対して過敏な私には、昔から気になって仕方のない人物がいる。




童謡『クラリネットをこわしちゃった』の、クラリネットをこわしちゃった少年である。

父親から貰った大事なクラリネットを、あろうことか彼は壊してしまい、その後に待ち受けているであろう叱責を前にしたパニックのあまり「オ パキャマラド」するほかない状態の彼に、私は昔から心を砕かずにはいられなかった。

しかしながら、クラリネットの専門知識を持つわけでもない私には、壊れてしまった彼のクラリネットを修理することは当然不可能である。
また、新しいものを買えば良いというわけでもないだろう。
きっと大事な思い出の詰まった、彼にとって世界で一つの楽器だからだ。

そんなことを考えていると、一つのアイデアが思い浮かんだ。


壊れたクラリネットでも演奏できる曲があれば、彼を救えるのではないか?


どうしようもないと思われた彼を救うことができるかもしれない。
そんな気持ちに突き動かされるように、私は曲を作ってみることにした。


ここで、作曲の前にクラリネットの仕組みについて話しておかなくてはいけない。

というのも、クラリネットの「ドレミ」というのは、仕組みを知らない人の認識と異なるからである。

クラリネットのような一部の管楽器には、基準の音というものが存在する。
要するに一番楽に出せる音ということなのだが、これが一般的なクラリネットでは鍵盤でいうところのシ♭の音なのだ。

ややこしいことに、そういった管楽器はシ♭の音を楽譜上では『ド』として扱う。
そのため、クラリネットにおけるドレミは、我々が思うドレミと鍵盤二つ分低い音だと考えなければならない。

鍵盤二つ分低いの図

すなわち、少年が出ないと言っていた『ドとレとミの音』というのは、鍵盤でいう『シ♭とドとレの音』である可能性が高い。
そのためこれから使用する『ドレミ』は、基本的にクラリネット基準で進めていくこととする。

非常に面倒だが、私は本気で彼を助けたいので、ここで妥協する訳にはいかないのである。

前置きが長くなってしまったが、これから作っていくぞ!







カチッ…… カチッ……





カチチッ…… ジャーン……





ウーン…… カチッ……





カチッ…… カチッ……





アッ…… クライ……






やってみて初めて知ったのだが、作曲とは孤独との戦いである。

調やコード進行という、設計図のようなものを考え、そこから各楽器のリズムや動きを決め、さらにメロディーを乗せていく。

これを、やったことのない楽器についても一人で考えなくてはならない。

さらに、メロディーというやつが非常に厄介で、私はどうもメロディーを考えるのがあまり得意でないようである。
しかもそれをドとレとミを使わないように気を付けながらやらなければならない。

しかもこれらの作業はひたすらに地味である。

作曲という、いかにもきらびやかな世界とは幻想なのだと感じた。


しかし、少年が父親に怒られてしまうのは耐えられない。
その一心でどうにか一曲作り上げた。

それがこちらだ。


調はホ長調、使われる音はピアノでいうところのミ、ファ#、ソ#、ラ、シ、ド#、レ#である。

つまり、この楽譜で臨時記号(途中で調から外れた音を使うことを示す記号)がなければ、すなわち少年が壊したクラリネットでも演奏ができるという寸法である。
動画の楽譜を見てもらえれば臨時記号が使われていないことがわかると思う。

また、曲調はゆったりとしたバラードにした。
この優しい雰囲気ならば、きっと傷心の彼に寄り添うことができるであろう。

これにて一件落着、と思っていたのだが、改めてちゃんと歌詞を見てみるととんでもないことに気が付いてしまった。

彼のクラリネットは、ファとソとラとシの音も出ないではないか。



どゆこと??????????



半分以上音が出ない楽器を楽器と呼べるのかはわからないが、このままでは彼を救うことができていない。

次は、ドとレとミとファとソとラとシを使わない曲を作ることにする。

音楽というものは基本的に12の音階でできており、そのうちの7つを制限されてしまってはかなり厳しい。
使える音はド#、レ#、ファ#、ソ#、ラ#のみである。

そこで、先人の知恵である『ペンタトニックスケール』を用いることにした。

ペンタトニックスケールとは、それぞれの調において特定の5つの音だけで構成された音階のことで、これを用いるとそれっぽいメロディーが弾けちゃうというスグレモノである。

これをクラリネットのド#、レ#、ファ#、ソ#、ラ#に当てはめ、導き出された調は……


ホ長調

またホ長調だった。考えた意味…… トホホ……

しかし落ち込んでいても仕方がない。
もう一度ホ長調で作っていこう。

カチカチ……



というわけで完成した。

先ほどはしっとりしたバラード調だったが、落ち込みそうなときほど快活に笑い飛ばすのも一興と思い、今度はファンクっぽく作ってみた。

しっかりペンタトニックスケールに則って作ったので、これならばドとレとミとファとソとラとシの音が出ない少年のクラリネットでも吹けるはずである。

願わくば、これを父の前で演奏して笑顔でいてくれれば幸いである。




……しかし、本当にこれで良いのだろうか。

ドとレとミとファとソとラとシの音が出ないと言っていることばかりに着目していたが、彼が言いたかったのは本当に額面通りのことなのだろうか。

恐らく、違う。

多分そんな壊れ方は存在しない。



彼のクラリネットはきっと、もう吹いても音が鳴らないのだろう。



吹いても鳴らないクラリネットをどうすればよいのだろう。

そんなもので、音楽は作れるのだろうか。

悩みに悩んだ結果、私は決断した。





クラリネットを購入した。

amazonで15,000円くらい。
正直痛い出費である。

せっかく買ったので試しに吹いてみる。


スーッ……

鳴らない。
それもそのはずで、クラリネットはリコーダーとは音を出す仕組みが異なるのだ。
その後も何度か吹き方を調べながら試してみたが、「プモー」といったような、やや大きな生物のオナラみたいな音を出すのが関の山だった。

実質これは、音の出ないクラリネットである。

困り果てながら、あてもなく色々触ってみる。

ふと思い立って、下の膨らんでいる部分を軽く叩いてみた。


ポンッ

思いのほか良い音を発した。

他にもいい音が出ないか試してみる。


※リード(木の板)を痛める可能性があるのでマネしないでね

パンッ



キュッ



トンッ



カンッ



カツンッ



管の掃除用の布

シュボッ



ボンッ




……これなら!

光明が見えたような気がした。

これまでにない作業に苦戦しながら、それを形にしていく。



……ついに完成した。

クラリネットを吹く必要が全くない、クラリネットをこわしちゃった少年のための曲である。




壊れて音が出なくなった楽器でも、音楽はできる。

このことが、クラリネットをこわしちゃった少年に届くこと、そして彼の父の怒りが収まり、私の腹に平穏が訪れることを祈る。


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