夏の砂の上観劇 前編

夏の砂の上 観劇2022/11/10

栗山さん演出の舞台はくらうとより
穴に落ちる感覚に似ている気がして整理しようと思う。
前作のチャイメリカは
真っ逆さまにドン底まで堕ちて
懺悔、もう償いさえも出来ない様な暗い穴。
ただ、その穴の遥か頭上に小さな輝く光
が見える感じ。

なら、今回の夏の砂の上はどうだろう。
小浦治について考える
確かに人生としては全く華やかさはなく
誰もが同情し、丸まった肩を優しくさすってあげたくなるが彼の心情を考え進んでいくと
徐々に徐々に黒い穴に自ら進んで沈んで落ちていく感覚になる。
トタンに意識を切り離したくなる。
覗いても深く簡単に入り込んでしまう穴。

そこで小浦治の感情に同調同化するのは危険なのだと悟る。
彼はどこかにすっぽりと感情を無くしてしまった人物で、最初は気の弱いが短気でその癖、喧嘩の出来ないの男かと思っていた。
腹立たしさや声を張り上げるさえも、どこか感情の入りきらない、途中で諦めてしまう様な渇いた人物。

しかし、甘かった様である。
妻の最後の挨拶の際、亡くなった子供について話を聞いてて治の空っぽさ空虚さが膨れだし
煙草の白煙と共に居なくなってしまいそうになる。ふわっと。
舞台の真ん中で項垂れている姿がとてもみていられなかった。

治はいつからあんなにも虚ろになり始めたのか気になったのだが、やはり子供が亡くなった時なんだろうとぼんやり思えた。

子供の可愛い盛りの事故。
あの時確認や一緒にいれば良かった等の後悔や辛さ、全ての悲しみを吐き出して泣いて
涙も笑顔も辛さも渇いて置いてきてしまったんではなかろうか?

妻と同僚の不貞も怒りすぎる事もなく
最終的に淡々とこなすのは、感情の起伏そのものが沸かなくなり
人の形をしていた息子も妻も同僚も先輩も
ボヤけ始め砂が飛び散る様に消えてしまう。
最初から居なかったと考えると悲しさも痛みも感じなくなるのだろうか。

そして、そんな治と生活する姪優子
彼女は周りからの愛に渇きを持っていて
母親からの愛、恋人からの愛、治との家族愛に
とても敏感に手にしていくように思えた。
けれど彼女もどこか感情に一線をひき
全てを享受出来てはいなかった。
手に入れようとしては裏切られ、信じる前には手放しを繰り返し周りの愛を遠ざけていく。

2人の歪な生活は大きな変化はないが
続けていれば、支えていける気がしていた。
長らく降らなかった長崎に雨が降り
譲り合って中々飲まない雨水をのちに取り合う様に飲む2人を見て、これで彼等は大丈夫だと信じてしまった。
ここから、また潤い感情を取り戻すと。
また新たな家族として育んでいけるのだと。

しかし、残酷だ。
また離れて暮らす事になる2人は、視線が絡み合う事はなく、2人とも焼け石に水の様に元に戻った様にみえてしまった。
治は、指を失って職場を失っても、痛みやしんどさの感情の起伏は現れなかった。
また、2人は潤う機会を手放す様に振る舞う。

最後にかぶされた麦わら帽子、目が霞む程の光は治と優子にどんなきっかけを残すのだろうか。

感情を無くし心身を痛めた末路(持田や陣野の妻)はすこぶる凄惨で悲しい現実しかない。

2人の今後にも恵みの雨(出会いや縁を繋げる人)がありますように。

圭くんは毎回、現れた時から田中圭でなくなってしまう。声質や背格好、別人で出てきてしまう。
だから、緊張もたかだか3分程度で吹き飛び
物語に没入してしまう。
今回も3回のカテコ最後の戻り途中にペコリと頭を下げるまで小浦治だった。

そして、扇風機の後ろから観た
夏の砂の上の物語を、その内また考えては手放し手放しては考えてしまう。
次回は2階席で舞台全体と照明等を俯瞰で観れ、3回目は近場から観る。どれだけ感覚が変わるか楽しみにしてる。

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