夏の砂の上観劇 後編

観劇3回+戯曲読み 1ヶ月経過
2022/12/15
「夏の砂の上」
夏の日差しが和らいだ頃上演が始まり
冬の寒さにかじかむ現在も上演している舞台。

未だにふと小浦治とその関わった人達を思い出しては思慮出来る不思議な舞台だ。

初見の暗澹たる空虚の世界とはまた違った感想がある。

それは友人に観やすい席を譲って貰えた事もある。

感じたのは小浦夫婦の視線の先だった。
長崎の階段を昇った家、そこからは治のかつての寂れた職場が見える場所だったが
2人はいつからか、遠い先は見えていない
それは息子が雨の中、外に出て庭の水路から流れていった時から。
庭を見る時は2人は絶えず思い出しては、辛かったのだろう笑みがこぼれる事はなく後悔の顔が見えていた。

恵子は家を離れる様になって、外の景色
寂れた工場を認識したような出だしだった。
治と家と我が子の記憶を忘れて出ていく恵子
治のセリフと大差がなく、かなり酷いものなのに自分自身が聞くと途方もなくあわてふためき
焦燥した顔がなんとも言えなかった。
ただ、2人がこのままこの家に居続けるのは辛いのは分かる。

親指と小指だけ残った治の手。
2つだけはそのまま家に残るのか。

優子の存在はある意味、年頃の娘
息子の姉の様で体や心を心配する治の父親を感じる事が出来た。

あの雨の日、息子を亡くなった雨の日を、
雨の水を飲む経験と感動の記憶に上書きしてくれ
治にとっては大切な日になったのだろう。
今はそれが分かってとても胸を撫で下ろしてる。

最後に持田さんが陣野のおかげだよ~を遮って、持田さんの人徳ですよ!って話した治を睨む陣野さんの顔が凄まじかった。
驚く程、怖い顔をしていた。
コミニュケーションがうまく、笑顔で喧嘩等しなさそうな陣野さん。でも無口で淡々と過ごすのに愛される治はまさに目の上のたんこぶ、
治とは正反対で馬が合わらなかったんだろうな職場で、と邪推する。

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