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なぜ巨人は優勝できたのか

プロ野球。
先日、セ・リーグを巨人が制しましたね。
優勝おめでとうございます!
僕は巨人ファンなので、大変嬉しゅうございます。

僕は毎年、開幕前にセ・リーグのみ順位予想をしておりまして。
これが毎年大ハズレするんですが。。
今年の順位予想は、こちらでした。

僕の開幕前の予想



そして、今の実際の順位がこちら。

今の実際の順位


予想と結果を見比べてください。
優勝チームはハズしたものの、かなりいい線いってます!僕にしては珍しいです。


さて、ここからは『なぜ巨人が優勝できたか』の僕の考察です。

巨人は昨季4位ですから、優勝するには、かなり大変だったはずです。
優勝できた要因をあげだしたら、キリがないものではありますが。僕の考察では、巨人が優勝できた最も大きな要因は、ズバリこれじゃないかと感じています。

“原前監督を大いに反面教師にした”


では、原前監督のどういうところを反面教師としたのか。
僕は、下記の3つを実行したことが大きいと思います。
①独善的な決定をくださない。
②理にかなった戦力整備をした。
③マシンガン継投をやめた。


昨季まで指揮をとっていた原監督は、いわゆる“全権監督”と言われていました。
「全ての権限を握らせてくれるなら監督をひき受ける」。これが、第三次原政権の監督就任時に、原さんが巨人に出した条件だったと言われています。
よりわかりやすい言葉で表現するならば、“独裁”と言ってもいいでしょう。

このやり方により、はじめはうまくいきました。
原さんの判断が理にかなってさえいれば、どんどんいい方向に進むからです。独裁ですから、余計な反対意見を排除できるのです。

しかし、独裁である故。
原さんの判断がズレたものになってくると、加速度的にチームは悪くなってしまいます。
自分の考えが全てとなり、周りの真っ当な意見も聞き入れない。
現に、桑田コーチと投手起用についての考えが異なり、大きな軋轢を生みました。

「原監督に異を唱えると大変な目にあう。」
これがコーチ陣の共通認識となってしまい、ますます意見ができなくなる。
そうして、結果を出せなくなってきた原監督を、ベンチの誰も軌道修正できなくなってしまった。
これが、晩年の原政権だったのです。


そして、原監督が退任した。
戦力整備も含めて全権を握っていた原さんがいなくなり。新たに編成として就いた吉村さんが、まずチームの余剰戦力を大幅にテコ入れした。

原監督の顔色を過剰にうかがわないといけなかったベンチの閉塞感を問題視したのか、阿部新監督は自身の確固たる考えがあっても、コーチ陣の意見になるべく耳を傾けるようにした。

また、原監督のときには、中継ぎ投手をコロコロ代える“マシンガン継投”をやっていたが、阿部監督はそれも廃止。
それにより、中継ぎ投手の疲労が軽減されたことも大きかった。

これらの改革を1年でやりきってしまったのだから、並々ならぬ決意と苦労があっただろうし、今回の優勝はものすごく価値のあるものだと思います。


ちなみに。
高橋由伸監督の退任後に、全権監督として就任した原監督も、その1年目で優勝しています。

原前監督を反面教師にしたと散々述べてきましたが、原さんも最初の1年でチームを改革した方とも言えます。
その改革の際には、“全権監督”に一旦なって、原さんの思い通りに突っ走る必要があったんだろうなと思います。




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