2020年3月15日
ぼーっとしていたら、最寄駅の反対側行きの電車に乗っていた。人生を線路に例えれば、前向きに進もうと思ってぼーっと電車に乗り込むと、それが地獄行きの電車でも私は気がつかない気がする。何駅か揺られて、ああ、これの行き先は、私が望んでいた場所ではないのだとぼんやり思うのだ。
人よりぼーっとしていると言われることが多い。上の例えでいうと、大多数の人間は、行き先を乗る前に確認するのだと思う。それか、間違えて乗ってしまっても、すぐに降りたり対処するだろう。私の「ぼーっと」具合は、ただ間違えて乗車するだけでなく、間違えたと気づいてからも何駅か「ぼーっと」揺られる類のヤバさだと思う。一時的な思考の鈍麻ではなく、もっと根底的なところで、わたしは、ぼーっとしている。
今回は、3駅目くらいで間違いに気づき、4駅目でホームに降りた。ホームのベンチに座る。反対車線には、「回送」と行先表示された空っぽの電車が停車していた。車内の電灯は消えていて、真っ暗な車窓に映る自分と目が合った。
しばらくして、私の最寄駅に行くには、階段を登り、反対側のホームに行かないといけないらしいことがなんとなく分かった。
反対側のホームに着くと、人はまばらで、私はあまり奥に歩かずに手前のドアから乗車した。何駅か揺られたが、そういえば人が少ない気がした。あの、だれか、この電車の終点を知っている人はいませんか。静まり返る車内、みなスマートフォンの奥を見詰めている。車内の音声は、私の知らない駅名を繰り返している。私は、ああ、またぼんやりしていたな。と思いながら、電車に揺られていく。電車の行き先は誰も知らない。
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